第21話 平和の終わりの始まり
「……いいか、バルガス。これが俺の『究極の内政』の完成形だ」
俺は執務室のソファに深く沈み込み、窓の外を指差した。
そこでは、元勇者アルスが魔族の子供たちに混じって、泥だらけになりながら用水路の泥上げをしていた。元聖女のリリナは、魔族のオバちゃんたちと並んで洗濯板を叩き、元賢者テトラは財務局の窓から「あ、また収支が1ゴールド合わない……殺す……」と不穏な独り言を漏らしている。
「ははっ、陛下。元英雄たちをこれほどまでに『ただの領民』として馴染ませるとは。天界の神々もさぞかし腰を抜かしていることでしょう」
「だろ? 誰一人として世界を救おうなんて考えていない。今日を食い繋ぎ、明日も同じように働く。この『退屈』こそが、俺が最も欲していた報酬だ」
俺は満足げに目を閉じ、昼寝の準備に入ろうとした。
だが、その平穏な空気を切り裂くように、頭上から「パリン」という乾いた音が響いた。
1
空間が割れる音。
俺は反射的に跳び起きた。この音には聞き覚えがある。女神たちが、俺のあずかり知らぬところで「イベント」を発生させた時の音だ。
『……あら、ごめんなさい。あまりに平和すぎて、私の水晶球にヒビが入っちゃったわ』
アストレアの声だ。だが、いつものような余裕はない。
彼女の視線が、魔王領ではなく、さらにその先――はるか東の「人間領」へと向けられているのが分かった。
『魔王。あなたの箱庭は、少しだけ目立ちすぎたみたい。……人間たちの強欲は、神の祝福が消えた後も、消えることはなかったようね』
「……何が言いたい、アストレア」
『あなたの島に、客人が向かっているわ。それも、お祝いの花を持ってくるような連中じゃない。……かつての仲間を「裏切り者」と呼び、この島を「資源の山」だと勘違いした、愚かな羊たちよ』
2
アストレアの言葉が終わるか終わらないかのうちに、港の監視塔から緊急を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「へ、陛下! 沖合に艦隊を確認! 旗印は……聖教国の『黄金の天秤』! 我が領に無断で接近しております!」
バルガスの叫びに、俺は盛大な溜息をついた。
聖教国。勇者アルスたちを「神に見捨てられた」という理由で追放し、難民船を海へ放り出したはずの国だ。
「……バルガス。迎撃態勢を。ただし、こちらから手は出すな。……あくまで『不法侵入者への退去命令』からだ」
「承知いたしました! ……しかし陛下、あやつら、この島に虹色の塩や黄金リンゴの噂を聞きつけてやってきたようですぞ」
(……だめがみどもの『やらかし』のツケが、今になって回ってきたか)
3
俺は執務室を出て、港へと続く坂道を下った。
途中で、作業を中断したアルスと鉢合わせる。彼は泥だらけのツルハシを握りしめ、水平線の彼方に見える「かつての母国」の船団を、冷めた目で見つめていた。
「……陛下。あれは、俺たちの追っ手か?」
「追っ手というより、タかりに来たハイエナだな。……アルス、お前はどうする? 昔の仲間に頭を下げて、勇者に戻るか?」
アルスは鼻で笑った。
そして、自分の手のひらにできた、分厚い「労働のまめ」を見つめる。
「……今の俺には、明日中に完成させなきゃいけない水路があるんだ。……あんな豪華な船に乗ってる連中に、俺の邪魔をさせるわけにはいかない」
「よし。採用だ。……お前は『土木担当兼、不法投棄監視員』として、あいつらを追い払え」
俺はアルスの肩を叩き、港へと歩を進めた。
せっかくの休日が、またしても遠のいていく。
空を見上げれば、ノルンが「待ってました!」と言わんばかりに、楽しそうに黄金の糸を編み直していた。
「……だめがみ。……これ、お前が誘い込んだだろ」
俺の愚痴は、荒れ始めた波の音にかき消された。
魔王領という「現実」が、人間たちの「幻想」と衝突する。
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