第10話 魔王「祝福はいりません」宣言
雨期が始まった。
魔王領に降り注ぐ雨は、本来なら乾いた大地を潤す恵みのはずだった。だが、天界での「女神会議」の結果、その雨には余計な「スパイス」が加えられていた。
「……陛下! 大変です! 降り続く雨の影響で、開拓地の土壌が『発光』し始めました!」
バルガスの報告を聞き、俺は現場へ急行した。
そこには、青白く光る泥に足を取られ、困惑する魔族たちの姿があった。
「これ、ただの光じゃないな……」
泥に触れると、指先から力が漲るような、奇妙な高揚感がある。
知恵の女神リュシエラか、あるいはノルンの仕業か。土壌に過剰な「魔力」を付与したらしい。これなら作物は通常の数倍の速度で育つだろう。だが、それは同時に、魔族たちの「闘争本能」をも刺激する劇薬だった。
「うおおお! 力が、力が溢れてくるぞ! なあザッハ、今ならお前を真っ二つにできる気がする!」
「抜かせガザ! 我こそがこの地の真の支配者にふさわしい!」
昨日まで風呂の掃除当番を話し合っていた二人が、理性を失った目で睨み合っている。
女神たちが用意した「絶妙な試練」。
「力(祝福)」を与え、それによって自立の芽が摘まれるかどうかを、彼女たちは特等席で観測しているのだ。
1
俺は、すっと息を吸い込んだ。
カリスマなんてない。チート能力もない。
だが、前世のデスマーチで培った、トラブルを冷静に切り分ける「事務処理能力」だけはある。
「……バルガス。全軍に、この光る泥を『産業廃棄物』として即座に埋め立てるよう命じろ」
「えっ!? しかし陛下、この魔力があれば……」
「黙って聞け。これは『汚染』だ。自分たちで制御できない力に頼れば、最後にはその力に食われる。……いいか、お前たちが欲しいのは、一晩で強くなる幻か? それとも、自分たちが耕して手に入れた、確かなパンか?」
俺の声は雨音に消えそうだったが、魔族たちは動きを止めた。
俺は空を見上げ、はっきりと、そこにはいないはずの「彼女たち」に向けて言い放った。
2
「聞こえてるんだろ。……いい加減にしろ」
空間が静まり返る。
俺の脳内に、女神たちの驚きと興味が入り混じった気配が流れ込む。
「あんたたちは、俺たちが苦労して、工夫して、やっと手に入れた『当たり前の平和』を、ただのエンターテインメントだと思ってる。だが、俺たちはあんたたちのペットじゃない」
俺は一歩踏み出し、泥の中に拳を叩きつけた。
「神様、その祝福はいりません」
明確な拒絶。
それは、この世界の住民が数千年にわたって、決して口にしてこなかった言葉。
「俺たちは、あんたたちのシナリオ通りには動かない。……この国は、俺と、こいつらの手で勝手に回す。だから、二度と勝手な『プレゼント』を放り込むな」
3
その瞬間、雨が止んだ。
青白く光っていた泥は、急速にその輝きを失い、ただの茶色い土へと戻っていく。
魔族たちの目から狂気が消え、代わりに俺への、以前にも増して重苦しいほどの「崇拝」が宿った。
『……ふふっ。言われちゃったわね』
アストレアの、どこか満足げな溜息が風に混じる。
『わかったわ、魔王。あなたの「宣言」、しかと記録したわ。……でも、忘れないで。あなたが祝福を拒んでも、世界はあなたを放っておかない。……運命の歯車は、もう回り始めているのだから』
女神たちの気配が消える。
俺は勝った。……いや、正確には「負債を一つ片付けた」だけだ。
「……はぁ。疲れた。バルガス、残りの土壌調査は任せたぞ。俺は……三日三晩、寝る」
俺はフラフラと城へ戻り始めた。
だが、運命の女神ノルンが残した言葉通り、平和な日常は長くは続かなかった。
数日後。
魔王領の海岸に、ボロボロの帆を掲げた一隻の船が、ゆっくりと近づいていた。
そこに乗っているのが、かつて世界を救った「元勇者」たちであることを、今の俺はまだ知らない。
「……だめがみ」
寝室に入る直前、俺は本日最後の独り言を漏らし、夢の世界へと逃避した。
第1章「楽隠居したい魔王と、忘れられた世界」 完
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