『華子前/華子後』は、SNSという日常の風景の中に、消えたはずの気配をそっと残してみせる短編である。記録は消えているのに、名前だけが先にあったように思える。その違和感が、語り手の静かな独白を通してじわじわ広がっていく。その運びが巧みだ。特に、華子が貼った「どこにでもいるおばさんが、低い声で踊っていた」動画が、画面を閉じても頭のどこかで動き続けるように感じられる場面は、この作品の不穏さが一気に立ち上がる印象的な一節だ。大げさに怖がらせるのではなく、流行、承認、忘却の底に沈んだ違和感を静かに掘り起こしてくるので、読後には「まだ覚えている、はずだった」という結びが良く効く。1話完結の長さだからこそ、この余韻が濁らず、きれいに残る作品である。