Weapons & Life
物欲
第1話
「……アンカーが初めてこの地球に現れたのは1960年代です。資料集の192ページに掲載されている写真は一番最初に……」
老教師の穏やかな語りが程よく眠りに誘う午後の授業、春の暖かな日差しが差し込む教室で起きていられる生徒は大半もいないらしい。
船を漕ぐ者、堂々と突っ伏す者、ペンを片手に体裁だけは保つ者。まさに死屍累々といった光景だがそれも当然だろう。体を酷使した後の昼食、その後にある退屈で冗長な授業など耐えられる者の方が少ない。
かく言う
最近流行りのデッキ構築型ローグライトは中毒性が高くてついやってしまうのだ。
(今回は少し下振れたな。引きたいカードが引けてないが……まだ挽回の目はあるか?)
高い点数を出せる構成というのは、多くは軸が決まっている。基盤となるような効果のカードを元に組み上げたり、効果にシナジーのあるカード同士を組み合わせたりデッキの幅はかなり広い。
だがそういったカードが提示されるかどうかは運頼りだ。引きが悪いと幾つものシナジーのないカードを抱えた、紙束とすら呼べないものが出来上がる時もある。
それでも回数をこなし確率の壁を超え、最高のデッキを作れた時の楽しさは他のゲームでは味わえない代物だろう。
(………普通に負けた。ルートを間違えたか?)
キャラのHPがゼロになり崩れ落ちていくのを眺めながら歯噛みする。腹の底から沸々と湧き上がるのは苛立ちか、悔しさか。
湧き上がる感情のままにすぐにやり直そうとしたが、ちょうどチャイムの音が鳴った。
音につられて黎が顔を上げれば、教室中の眠っていた人間がノロノロと起き出していた。その様はまるでゾンビ映画の様だ。呻き声を上げる生徒もいるからあながち間違いではないのかもしれない。
「……じゃあ今日はここまで。大変だと思いますがこの後も頑張ってください」
そう言い残して老教師は教室から出て行った。初回以降まともに授業を聞いている人間の方が少ないのにそれに対して彼が怒った事は無い。それどころか此方を気遣う様な言葉ばかりだ。
しかしそうなるのも仕方のないことだと言えた。
体育という名の戦闘訓練では治せるからという理由で新入生でもお構い無しに怪我まみれ。遊べる筈の放課後は実戦経験を積むという名目の下、化け物との殺し合いが待っている。
一般人である老教師の視点から見れば、黎達がこの地獄の中で必死に生き抜こうとする哀れな生き物に見えているのだろう。
「お前爆睡し過ぎ! いびき聞こえてきて笑っちゃったよ俺!」
「しゃーねーだろ……、つか逆に起きてる奴の方がおかしいだろマジで」
「この後実習なのやっぱりヤバいよね〜。私もう結構限界なんですけど」
「猫先生、他と比べても厳しい方なんだって。ハズレ引いちゃったって感じ」
それでも仲の良い人間同士で集まって弾んだ声で話す様子を見れば、一概にここが地獄であるとは言えない。このおかしな高校であっても、それが青春の一幕である事には変わりないのだから。
ではその輪に入れなかった人間はどうなるのか?
(……泣きたい気分だ)
喧騒の中、黎は一人黙々と机の上の教科書を片付けていた。その姿が周りからどう見えるか、想像してより惨めな気持ちになる。
高校生活が始まってもう一月が経っていた。だというのに黎は友人が一人もいない。それどころか話し相手になるような関係性すら築けていなかった。
クラスメイト達と仲が悪いわけではないと思う。だが彼らと上手く会話が出来ないのだ。
始まってすぐの頃は良かった。みんなが話しかけてくれるし、黎から話しかければ答えてくれた。だというのに何故か一週間が経つ頃には、クラスメイト達は黎から距離をとり始める様になった。
黎が何かやらかしたのかとも思った。しかしこのクラスになってまだ一ヶ月程でやらかしたなら記憶に残っている筈だ。そんな記憶はどこにもないからこれは違う。
では自分が原因でないなら彼等か、なんて事も考えたがそう責任転嫁できるほどに出来た人間でもない。無意識に何かやらかしている可能性は否定できなかった。
となると結局、ぼっちの原因はぼっちになる側にしかないという結論になる。
その原因を聞きに行こうにも相手に避けられる為、今のところ改善の余地が一切ないのが悲しい点だ。
(……ホントに悲しくなってきた、とっとと帰ろう)
そうして教室の出入り口に向かえばクラスメイト達の視線が黎に集まる。これもまたいつもの事だった。黎が動く度に遠慮がちに向けられる視線はまるで監視の様だ。それがまた居心地の悪さを加速させるのだった。
「あ……、おいお前邪魔になってる……」
「ん? あっすいません! 今すぐどきますぅ!」
教室からクライスメイトと同じ様に出ようとすれば、自然と道が開いていくのはやはりおかしな、もっと言うなら怖い光景だ。
少なくとも彼等と黎は同じ学生という身分の筈であり、こんな扱いを受けるのは間違いなくおかしな話だ。
だが緊張に固まる彼等の表情を見ると話かけようと言う気も失せるのだった。
結局、黎は今日も一人寂しく帰らなければならないのだった。
人の流れに逆らわずに歩いていけば勝手に駅に辿り着く。道中、向けられる視線と噂話の数々には呆れる程で未だに慣れる事は無い。時間が経てば経つほど増えていくのだから多分慣れる事は無いだろう。
入学式からこの一月、模範的な生徒であった事はあれど不良になった事も芸能人になった事も無い。生まれてこの方ただの一般人であった黎にとっては「有名人」の扱いはなかなかに辛いものがあった。ただでさえクラスメイト達から避けられているというのに、こうも遠巻きにされては他人と仲良くすることすら出来ないだろう。
だというのに——
「なあ、お前か? 噂の特待生ってヤツ。隻腕なのに強いんだってな?」
(こんな頭の悪そうなヤツばかり絡んでくる……)
希望はないのかと黎は頭を抱えた。
「……急になんですか。特待生って何の話ですか?」
不躾な態度で話しかけてきたのは同じ制服を着た男子だった。パッと見た感じ、男は上級生だろうか。同級生に金髪で高そうなアクセサリーを複数付けたチャラチャラとした男は居ない筈だった。
「しらばっくれんなって、その程度の事くらい調べてきたんだからよお。なあ、一年生の明石黎?」
(この学校は倫理観のない人間しかいないのか……?)
名前まで広がっているという現実に、黎は自分の選択を後悔していた。やはり高校進学などせずに家で引きこもっていたほうが良かったのだ。従兄弟に半ば無理やり入学させられたとはいえ、その後に通う選択をしたのは自分自身だ。その責任は果たさなければならない、なんてカッコつけてはいたけれどもう心が折れそうだった。
まさかたかだか噂話で個人情報まで拡散されるなんて思ってもいなかった。人間はやはり碌でもない生き物だ。それを本人に直接言ってくるこの男はそれに輪をかけて碌でもないだろう。
「……だったら何ですか? 先に言っときますが一緒に実習はできませんよ、ルールなんで」
「そんくらい知ってるわ、校則くらいちゃんと読んでるっつーの」
じゃあ一体何の要件だと問いただそうとすれば先に男が口を開いた。
「俺たちの『お手伝い』して欲しいんだよ、お前のその『特待生』の力でさ!」
嘲るようにニヤニヤと笑いながら彼はそう言って黎の肩に手を回してきた。
近付いた体から匂う甘ったるい香りに思わず吐き気が湧いてくる。文句を言いながら腕を払いのけて少し距離を取るが、男が追いかけてくる様子はなかった。
人を小馬鹿にしたような笑みを変えない彼の態度は、自分が上だと信じて疑わない人間のものだった。
「お手伝い」とはつまりボランティアだろう。無報酬で都合よく働く奴隷になれと言っているのだこの男は。
黎は他人を餌としか見ていないこの男の様な人間が嫌いだった。殺したくなる程に。
「奴隷なんて勘弁、人を舐めすぎだろアンタ」
「ハッ、先輩の為に働けるんだから、そんくらい当然だろ? なあ後輩君?」
黎の険のこもった言葉を男は笑い飛ばした。
「だからさ、今日はよろしく頼むぜ? 期待の
いつの間にやら男の仲間らしき人間が周囲から四人出てきていた。
男達は黎を囲むように立っており、ここから逃す気はないらしい。どいつもこいつも似たような出立ち、顔つきでこの男の仲間である事は間違いないだろう。
周囲を見渡すが男五人に囲まれている黎を助けようとするヤツは居ない。誰も彼も心配そうな顔で黎を眺めるだけで、関わろうという気はないらしい。怯えるような表情が一部混じっているのは彼らの被害者なのか、どうやらそこそこ有名な男ではあるらしい。勿論悪い意味で。
──どうしてこうも上手くいかないのだろう。
知らず知らずのうちに天を仰いだ。
「はあ……」
今日何度目かのため息が黎の口から漏れた。せめて人のいないところならばどうとでも出来た。黎にとって暴力はお手のものだった。だがこうも公衆の面前で話しかけられては暴力に訴えることも難しい。
(今までは殴っていう事聞かせてきたけど、今回はどうしたものかな……)
このまま彼らの言いなりになるにせよならないにせよ、これでまた新たな噂が生まれそして人が離れていくのだろう。人の噂も七十五日というがその間に新しいものができてしまう現状では、噂が消えるのが一体いつになるのか見当もつかない。
入学してから一ヶ月でこれ程酷い状況になるなんて誰が予想できただろうか。入学前に黎が思い描いていた平穏な学校生活は、もうどこにも見当たらなかった。
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