学校という一つの共同体に押し込められている小学生の頃の自分を振り返りつつ、その時代を懐かしみながら、かつての(いくつもの生き物との)出会いと別れのお話。
季節は夏。
近年の酷く暑すぎて外での活動が制限されるような夏ではありません。
我々の知っている夏です。
毎朝のラジオ体操にいそしむかたわら、ふと、庭先の朝顔と、家主らしき青年に目を向けるのが出会いのきっかけ。
余談ですが、最近は暑すぎてプールの授業がなくなってしまうそうですね。
かつては「水温と気温の基準を下回るから」っていう理由で授業がなくなっていたのに、上回りすぎてなくなることもあるんだ……。
短編ながらも色々な人が出てきます。生き物もたくさん出てきます。象徴的なのはタイトルの『朝顔』なのですが、蜻蛉のくだりや金魚の事件など、実際にこの世界の片隅で起こっていたかのような出来事が発生します。
紀子は二美との出会いによって精神的な成長を遂げ、二美もまた紀子との語らいによって住処を変える決心をする。紀子が二美の背中を押したように、成長後の紀子は二美の教えてくれた言葉によって決断をする。お互いが未来に対して前向きになれているので、重たさの中に爽やかさすら感じられて、不思議な読了考えありました。
第4回真白賞の秋乃光賞なのですが、まあそこは「一人の人間の心に刺さったんだなあ」と、参考程度にしていただいて。
感想を読む前に、まずはご一読してください。そして、自分の心のうちに浮かび上がった心情を大事にしてほしい。本作に関しては人の感想を読んでわかったつもりになってはいけないし、人の人生がそれぞれ違うように、違った感想になるのではないかと思います。
二美さんの言葉を味わいながら、読むのがとても心地よかったです。
私が一番印象に残ったのは「咲かなくていい」のセリフかもしれません。
小学生や子供などはかなり物事を右から左、上から下、と流れに逆らわず素直に見ることが多いです。
咲く咲かないなら、子供は咲くのが美しく、咲かないのは悪い、と普通は思うような所がありますから少しの間の付き合いでも、「咲かなくてもいいんだ」という二美さんの言葉は少女に思いがけない方向からの印象を残したのではないかと思います。
もう二度と会わないけど、忘れられない人。
会いたいとか、
会えるかもしれないとか、
最後そういう部分が全く描かれていないことで、
朝顔の花の印象だけが鮮やかに残って、余韻となっています。
本作はですね、筆者真白さんの自主企画「第四回真白賞」にみずから参加されている作品なのですよ。
まあ、それ自体はまったく問題ありません。
なにが問題かって、お題が「『アクシス』という語を作中に使用すること」なんですよ。
アクシス……?
日本人の9割が初めて耳にする単語、アクシス。
Guns N' Rosesのヴォーカルがたしかそんな名前だったような……?
いや、『逆襲のシャア』のアレのことか?
今回こそはと真白賞を狙うベテランも、虎視眈々と下剋上を目論むルーキーも、等しく地獄へと叩き落とす鬼お題「アクシス」
それでも、不屈の作家たちは諦めなかった。
内心(これアクシスか?)と思いつつも表には一切出さず、おのおのがこれと信じるアクシスを持ち寄りワラワラと集まってきたのだ。
そんな急ごしらえのアクシスまがいを薙ぎ払い、アクシスもどきを焼き尽くすために生まれたのが、たぶん本作。
いいのか?主催がそんな大人気ないことしていいのか?
いいんです。
真白賞の乱れた風紀に一本の「軸」を通さんとする、作者の気概が伝わる本作。
ぜひともご堪能ください。
この話の一番いいところは、朝顔が単なる季節の小道具ではなく、作品全体の精神を支える象徴になっているところです。
朝顔は「咲く/閉じる」「鮮やかさ/儚さ」「螺旋/軸」といった複数の意味を背負っていて、子どもの紀子にとっては宇宙の片鱗であり、大人になった紀子にとっては自分の生を見つめ返す鏡になっています。
最後に「アクシス」と朝顔の螺旋がつながるのも綺麗です。説明しすぎず、それでいてテーマがぼやけていません。
冒頭の
「蝉の合唱。膨張した空気。日に焼けた手の甲と手のひらの境目の不気味さ。汗の臭い」
この入りでもう、感覚の記憶を掴みにいく話だとわかります。
全体に、比喩や情景が過剰になりすぎず、それでいてちゃんと手触りがある。特に夏の湿度、古い家、果物の匂い、雪の庭など、季節の移り変わりが感情の層と結びついているのが上手いです。