第013話:二度目の邂逅

 扉の前に立った娘たちは、ここでも対照的だった。


 警戒心もあらわな姉、期待感しかない妹、手を強く握り合ったまま、恐る恐る扉を開けるや否や、大慌てで閉め直していた。


 あまりの唐突すぎる行動に思わず目が丸くなる。よからぬことが起きたのではないかと、左脚をかばいながら素早く立ち上がった。


「ミシェリア、アマレッテ、なにがあったの」


 不安が頭をよぎる。この時期、この時間に行商人がやって来るなど万に一つもあり得ないし、そもそもあの時の約束しか念頭になかった。


「まさか、魔獣が」


 切迫感あふれる声で問いかける。ごく少数ながら、知能を有する魔獣は人に化けて近づいてくる。心のどこかで油断していたのかもしれない。


「違うの、お母さん」


 すぐに否定の言葉を口にしたミシェリアに続いて、アマレッテが引き取った。


「あのね、あのね、大きな、大きな、雪だるまさんが立ってたの。それにね、真っ白なきのこがいっぱいくっついてるの」


 いかにも残念そうに、身振り手振りで大袈裟に説明してくる。それは次の言葉で分かった。


「テア様じゃなかったの」


 可愛らしい仕草を目の当たりにしても、疑問が氷塊したわけではない。それでも、少しばかりは表情をゆるめ、魔獣でなかったことに心から安堵した。


「よかったわ。魔獣じゃなかったのね。それで、その雪だるまさんと茸とやらは」


 どうなったのかと問おうとしたところで、閉めたはずの扉が音もなく勝手に開いていった。


「随分な歓迎だ。防寒着を用意してこなかったのは失敗だった」


 続きの言葉をなにか口にしているものの、全く耳に入ってこなかった。否応いやおうなしに、両の目が左手の杖へと吸い寄せられていく。


 そうだと信じていても、実際に確かめるまでは不安も大いにあった。これで雪だるまの正体も確信に至った。自然と涙が溢れ出し、止まらなくなっている。


 雪だるまから伸びた左手が動き、杖の石突きで軽く床を叩く。先端部の三日月に垂れ下がった八つ色の金属がりんとした音色を奏で、室内に広がっていった。


「わああ」


 アマレッテが目を見開き、感嘆の声を発している。ミシェリアも同様ながら、驚愕きょうがくのあまり完全に腰が引けてしまっている。


 分厚ぶあつい雪だるまの全身を覆う雪がたちどころに六花りっかきらめきとなって、ひらひらと床に舞い降りていく。同時に幾つかの茸たちが不自然な動きを見せながら落下していった。


「ファナエラ、久しぶりだ。二十余年か。随分と大きくなったものだ」


 流れる涙はそのままに、嗚咽おえつらさないよう重ねた両手で必死に口を押さえなければならなかった。娘たちの驚きと喜びに満ちた顔も、涙でかすんでよく見えなかった。


「ア、アシェリーテア様」


 あの時と全く変わらない姿で立っている。アマレッテが絶叫する中、輝く美しい銀の髪がゆっくりと宙から垂れてくる。幻想的な神々こうごうしさもそのままだ。


 口から零れ出た言葉はそれだけだった。まともに話などできるはずもない。本当に会いに来てくれた。頭の中はその思いだけで占められていた。どうして変わっていないのかなど、考える余裕は一切なかった。


 呆然ぼうぜんと立ち尽くす中、ゆったりとした足取りで近づいてきたアシェリーテアに抱擁されていた。


「知らせが来た。だから会いに来た。わたしは、約束は守る主義だ」


 心地よい涼やかな声が心の奥深くにまで浸透してくる。胸に埋めたままの頭を優しくでられ、娘たちの前ということも忘れて泣き続けた。涙が止まることはなかった。



◇  ◇◇  ◇  ◇◇  ◇



「まるで子供だな。構わない。泣きたいなら、好きなだけ泣けばいい。このわたしの胸の中で。なにしろ、わたしはお姉さんだからな」


≪リーシェ様、お姉様、お姉様≫

≪僕たち、ちゃんとこの娘を見守って来たよ。だから、めて、褒めて≫


 この場に慣れてきたのか、騒ぎ始めた雪茸ゆききのこたちをあっさり無視する。


 余裕を見せつけたところで、いつものごとく鋭い突っ込みが待ってましたとばかりに来る。


うずめるだけの胸がないのは残念よね。だって、その絶壁≫


 左手に瞬時に魔力を集わせ、躊躇ためらいなど微塵みじんもなく一気に流し込む。しかも、最も苦手とする負の魔力、すなわち漆紅ディワゴドゥの魔力だ。


≪この魔力、大きらい。身体がしぼんじゃうよ≫


 方々から同様の声が上がっている。異様なざわめきに、少しばかり魔力量を絞った。


 あらゆる魔力を受け入れ、己が力に変換できる銀蒼月の錫杖ジェルブリュアにとって唯一の天敵とも呼べる魔力で、銀蒼の魔力とは対極の関係に位置する絶大な力でもある。


≪ごめんなさい。ごめんなさい。二度と言わないから、どうか許してください。ください≫


 哀れな懇願は通用しない。右手に新たな漆紅ディワゴドゥの魔力を集わせる。


「ディラァグ・サゥミィケ・シュリニ・ハゾア」

(訳:君との話は後回しだ)


 続けざまに言葉を発する。


「デンディ・ウィフォド・シリニハ・ベーレ・ンベティア

 パラーディ・オピュム・ナルキィジェ」

(訳:雪茸諸君、離れていたまえ。巻き込まれたくないだろ)


 いずれも母娘には理解できない言語だった。とりわけ、ファナエラの記憶力を考慮しても、言霊でない限り何の問題もない。


「先に済ませておく」


 言葉を戻し、漆紅ディワゴドゥの魔力を右手にまとわせたまま距離を取る。


「また泣くかもしれないが。我慢するんだ」


 流れ落ちた涙が細い糸を引き、充血した目も痛々しい。


「あ、あの、アシェリーテア様、それは」


 蒼の瞳でさえぎる。逐一ちくいち答えるなど、時間のむだでしかない。訳が分からず、戸惑っているファナエラに必要なことだけを告げる。


「君の額から指を離す直前だ。わたしは言霊を刻んだ」


 小さく頷き、両手で額に触れている。


 雪茸たちも同様に傘を大きく振って、頷いている。構ってほしいのだろう。今は無視に限る。


 あの時、やはり気づいていたのだ。なにかされた、という事実に。


「君を守護するための言霊だった。だから、左脚だけで済んだとも言えるし、一方で左脚を持っていかれたという事実は変えようがない」


 動かない左脚に視線を落とし、何度となくさすっている。


「辛いだろう。痛むだろう。申し訳なく思う」


 率直な気持ちだ。あの時の見立てに誤りはなかった。そのはずだ。ただ言霊を刻む際の条件が厳しかった。それを言い訳にはできない。だからこそ、謝意をめて頭を下げた。


 雪茸たちも慌てて、白い傘を大きく前に倒している。少なからず責任を感じているのだろう。


「アシェリーテア様、どうかそのようなことはお止めください」


 ゆっくりと頭を上げた先で、ファナエラが何度も首を横に振っている。


 どうしてとばかりに無言で疑問をぶつける。頭を下げることなど、なんでもない。必要ならいくらでも下げる用意がある。魔力を乗せた言霊がファナエラを守り切れず、左脚を持っていかれた。それが全てなのだ。


魔禍獣ガルドルムに襲われたわたしが、今こうして生きているのは、ひとえにアシェリーテア様のおかげなのです。命の大恩人に頭を下げさせるなど、あってはならないのです」


 真摯な言葉を聞いても、理解に苦しむばかりだった。思わず小首をかしげてしまう。


≪ああ、もう、どうして分からないのよ。そんなことだから、いつまで経っても≫


 ふん、とばかりに、石突きを今度は力任せに床に叩き付ける。


≪ひ、酷いじゃない。せっかくの忠告を≫


 今一度、床に落としてから小声でつぶやいた。


「うるさいな」


 手にした錫杖しゃくじょうと会話しているなど想像もしていないだろう。それになんといっても説明するのが面倒すぎる。

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