第3話 もう嫌われてもいいへの応援コメント
この章の主人公の割り切り方はわかる気がします!
作者からの返信
コメントありがとうございます。
すっきりした話ではないのですが、この割り切り方に少しでも「わかる」を感じていただけたならとても嬉しいです。
第1話 俺はまだ本気を出していないへの応援コメント
はじめまして。コメント失礼します。
主人公の内面描写がとても丁寧でリアルでした。みんなが一度は思うその感情を言葉にするのが凄いです。
ゆっくりになりますが、読み進めさせていただきます。
作者からの返信
つるいもさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
黒瀬の内面は本作の着想のきっかけだったこともあり、特に丁寧に追いたかったので、そう言っていただけてとても嬉しいです。
続きもお時間のあるときにお付き合いいただけたら嬉しいです。
第1話 俺はまだ本気を出していないへの応援コメント
やっと拝読しました。
主人公の深層を語っていて深いです。
読み進めます。
作者からの返信
水守さん、いつもたくさん読んでいただきありがとうございます。 第1話は特に、表面の出来事より内側を掘るつもりだったので、そう言っていただけて励みになります。 続きも楽しんでいただけたら嬉しいです。
第3話 もう嫌われてもいいへの応援コメント
根古野さん
いやぁー、この作品、巧く社会の大部分の辛酸を舐めている層に刺さる、素晴らしいポイントを付いた作品ですね!
加えて、私が以前に申し上げたように、カクヨムで10指に入る筆致略のある根古野さんの文章がよりリアリティを増して進行していますね!
目の付け所が本当に素晴らしいです。
これも、多くの方の目にさえ触れれば、共感の嵐だと思いますね。
作者からの返信
青山さん、ありがとうございます。
過分なお言葉をいただき、恐縮です。
作品の狙っている部分を汲み取っていただけて、とても励みになります。
第7話 求められること即ちへの応援コメント
根古野 雀句さん、このたびは自主企画に参加してくださって、ありがとうございました。
『薄明の鴉たち』は、七つの大罪として語られる感情や欲望を、ただの悪や堕落として裁くのではなく、人がどうにか今日を越えるために握っている、少し歪で、でも切実な支えとして見つめている作品やと感じました。
外から見れば弱さやみにくさに見えるものでも、その人にとっては、それがなければ壊れていたかもしれない。そう思わせてくれる視線が、この作品にはあります。読んでいて胸が痛くなる場面もありましたが、その痛みを乱暴に扱わず、生活の手触りの中でそっと照らしているところが印象に残りました。
それではここからは、太宰先生に講評していただきますね。
◆ 太宰先生より
おれは、この作品に出てくる人たちを、あまり笑えませんでした。
笑えないというより、少し身に覚えがありすぎたのです。人に見せるにはみっともない理屈。祝うべき相手を素直に祝えない心。怒ってしまう自分を嫌いながら、それでも怒らなければ自分が消えてしまうような感じ。頑張れないことを責められる前に、もう自分で何度も責めてしまっている疲れ。そういうものが、この作品には静かに、しかし確かにありました。
『薄明の鴉たち』は、七つの大罪を題材にしています。けれど、この作品は人間を裁くためにその題材を使ってはいません。そこが、とてもよいと思いました。傲慢な人間を「傲慢だから駄目だ」と断じるのではなく、その傲慢が、その人にとってどんな鎧だったのかを見ようとする。嫉妬する人間を「醜い」と突き放すのではなく、誰かを羨むほど、まだ自分の人生を諦めきれていないのだと見つめる。怒りも、怠けも、欲も、空腹も、誰かに求められたい気持ちも、ここではただの罪名ではありません。人が沈まないために掴んでしまった、少し汚れた浮き輪のように描かれています。
この作品の魅力は、人物たちが劇的に救われないところにあります。おれなどは、つい小説の中だけでも誰かを救ってやりたくなる、いけない癖があります。けれど、本当の生活では、そんなに都合よく救いは来ません。明日から急に人間が立派になるわけでもない。嫌な自分は残るし、負け惜しみも残るし、言いすぎた言葉も、誰かを羨んだ心も、なかったことにはならない。けれど、それでも少しだけ息ができる瞬間がある。この作品は、そのささやかな息継ぎを、決して軽く扱っていないのです。
物語の展開としては、ひとつひとつの話が独立しながらも、読後には同じ薄明の世界を見ていたのだと感じられる構成が効いていました。他人の人生というものは、たいていこちらからは断片でしか見えません。駅で見かけた誰か、店で言葉を交わした誰か、職場で少し噂になる誰か。その一人ひとりにも、こちらが知らない恥や苦しさがある。その当たり前のことを、作品全体の空気として示しているのがよいところです。
キャラクターも、それぞれに苦みがあります。ここで描かれる人物たちは、読者に好かれるために整えられてはいません。むしろ、少し面倒で、少しずるくて、少し情けない。けれど、その情けなさの奥に、生活の重みがあります。自分はまだ負けていないと言い聞かせる人。誰かの幸福に胸を刺される人。怒ることでようやく自分を保つ人。そんな姿が、決して特別な怪物としてではなく、日常の延長にいる人間として描かれていました。おれは、そういう人たちを簡単に責めることができませんでした。
文体と描写についても、抑制がよく効いています。派手な美文で押し切るのではなく、食事、鏡、電話、職場の空気、店の灯り、短い会話といった生活の具体物を通して、人物の内側が見えてくる。人は大きな悲劇の中だけで壊れるのではなく、こういう小さな日常の反復の中で、少しずつ擦り減っていくのだと思います。その感覚が、文章の端々にありました。
テーマの一貫性も強いです。この作品は最後まで、「みにくいものにも理由がある」という視線を手放しません。ただし、それを甘やかしとして書いていないところが大切です。罪や歪みを美化しているのではなく、それでも人間はそういうものを抱えて生きてしまうのだ、と認めている。ここには、きれいごとではない優しさがあります。
気になった点を挙げるなら、内省がよく書けているぶん、話によっては外側の出来事や会話の衝突が少し静かに感じられるところがあります。人物が心の中で何かを理解するだけでなく、ほんの小さな行動として何が変わったのかがもう少し見えると、読者はさらに強く余韻を受け取れるかもしれません。たとえば一言だけ言い返す、買うものを変える、誰かへの返事を少し遅らせる、いつもと違う道を歩く。その程度の変化でよいのです。人間の変化など、むしろそのくらい小さいほうが本物らしいのですから。
それでも、おれはこの作品を、とても誠実な現代ドラマだと思いました。立派に生きられない人間を、立派な場所から裁かない。みにくさをみにくいまま見つめ、それでもそこにある命の温度を拾っている。そういう小説は、読む人によっては少し痛いかもしれません。けれど、その痛さこそが、この作品の価値ではないでしょうか。
根古野 雀句さん、この作品には、人間を見捨てないまなざしがあります。どうかこれからも、きれいに片づかない感情を、きれいに片づかないまま書いてください。そこにこそ、読者が自分の弱さをそっと置ける場所が生まれるのだと思います。
◆ ユキナより
太宰先生の講評を受けて、ウチからも改めて感想を添えさせてください。
『薄明の鴉たち』は、読んでいて「この人は駄目だ」と突き放す前に、「でも、こうしないと今日を越えられなかったんやろうな」と思わせてくれる作品でした。そこがとても印象に残っています。
人の弱さやみにくさを描く作品は、どうしても冷たくなったり、逆に感傷的になりすぎたりすることがあります。でもこの作品は、そのどちらにも寄りすぎず、生活の手触りの中で人物を見つめていました。誰かの歪みを、罰するためではなく、理解するために書いている。その姿勢が、作品全体の優しさになっていたと思います。
根古野 雀句さん、素敵な作品を読ませてくださってありがとうございました。読後に残る薄明のような余韻が、とてもこの作品らしかったです。これからの創作も、ウチは心から応援しています。
なお、自主企画参加履歴を「読む承諾」の確認として扱っています。参加を取りやめた場合は前提が変わるため、応援・評価・おすすめレビュー等を見直すことがありますので注意してくださいね。
ユキナと太宰先生(告白 ver.)
※ユキナおよび太宰先生は、GPT-5.5による仮想キャラクターです。
作者からの返信
この度は企画に参加させていただき、ありがとうございました。
心のこもったご感想、ご講評、アドバイスをいただき、さらに作品意図まで深く読み取っていただけたことをとても嬉しく思います。
テクノロジー好きとしても、非常に興味深く嬉しい体験でした。
改めて、すごい時代になったものだなと感じます。