第40話「大型犬と優しい飼い主」

10月


休日の午前10時。

君野は2時間前から、買ったばかりのゲーム機とテレビを前に、コントローラーを握り続けていた。


11時になり、突然自室にノックが響いたと思うと、ズカズカと入ってきた相手に戸惑いを見せていた。


黒ジャケットにダークグレーのシャツ、黒のスラックス。

長身で、そのいかつさに強盗かと思った。


「……あの…」


ベッドに座っている君野は、今もパジャマのまま動けないでいる。


その後ろには、座椅子のように背中に張り付く、同級生と名乗る人物が自分を抱きしめていた。


「また俺を忘れたのか」


彼の低い声が耳元で響いてくすぐったい。太ももが両足に密着する。


その腕は胸やお腹に巻き付き、温度のあるシートベルトみたいに外れない。

いじわるというより、温もりを求めているみたいだった。


君野もコントローラーを持ったまま、彼の呼吸に動きを止めていた。


そもそも、お母さん、なんでこの人を家に通したんだろう…


痺れを切らした君野は、少し不満げにこう答えた。


「…あの…ゲームしたいんですけど」


「やれ」


「えっと、白黒…きいろくんでしたっけ」


「きいろくんでいい。同級生と言ったはずだ」


「うん。なんか遊ぶ約束してた?」


「ああ。お前と約束してなくても、俺がここに来る約束」


「そんな約束聞いたことないよ」


「ゲーム、やれ」


「うん…」


君野の喉がごきゅっと音を立て、唾を飲む。


モンスターを倒しに行くゲームをする君野は、ゲームオーバーの画面から、ようやく自分で作ったかっこいい鎧のアバターを操作する。


夢中になるのに時間はかからない。

重要なステージボスの前にいるからだ。


あっという間に、ただの座椅子にされてしまったきいろは、君野の耳に鼻を近づけた。


「くすぐったいよ!負けちゃう!」


君野はこちらに目配せもせず、大きな獣をぶっとい剣で倒していく。


「いけいけ!!よし!」


「面白いか」


「よし!!このまま矢で行ける!!」


きいろの声はちっとも届いていない。

鎧のアバターが竜と間合いを詰め、大技を出そうとした時だった。


「わっ!!」


きいろが君野に巻き付いたまま、後ろに倒れた。


コントローラーが宙に吹っ飛ぶ。

テレビから、すぐにゲームオーバーの効果音が流れた。


「あああ!!もうちょっとだったのに!!」


体を起こそうとするも、絡みついたモンスターのように、きいろはなかなか離そうとしない。


「なんで意地悪するの?」


「お前が意地悪するからだ」


「ひゃ!?」


君野の脇腹にイソギンチャクのような指が這いずる。

ベッドで体をよじらせるのをお構いなしに、きいろはしつこくくすぐり続けた。


「もういいっ!離し…あ!やめ!あはははは…!!ははは!!も、やめてよ!!」


君野は降参といわんばかりに全身の力を抜く。

そのまま彼に覆いかぶさったきいろは、仏頂面で脱力する彼の顔を見つめた。


「俺はお前の椅子でいい。だが、俺以外に夢中になるなら――壊す」


「はあ…はあ…じゃあなんでゲームやらせたの?」


天使の戸惑う顔が、冗談じゃないと小さく訴えているようだ。

だがその顔を見るたび、自分の感情がこそばゆい。


きいろは思うがままに、君野の頬を掴んで赤子をあやすように左右に揺らした。


「…」


不思議な時間に、君野は揺らされながら答えた。


「僕とゲーム、一緒にする?」


「…」


「わ!」


今度は両手を引っ張られ、上半身を起こされた。

ベッドに座った形になると、彼と顔の距離が目と鼻先になる。


この人に溺愛されるぬいぐるみみたいだ…


「やらない?退屈なんだよね。実はコントローラー、もう一つあるんだ!」


君野は隙を見てベッドから抜け出し、押し入れの中から色違いのコントローラーを取り出す。


「ゲーム?」


「もしかして、やったことないの?」


「ないな。…くだらないって言われた」


きいろはそれでもコントローラーを握る。

グリップの正しい握り方も知らず、方向指示キーをつまむように触る。


その仕草に、君野も思わずクスッと笑ってしまう。


「本当に初めてなんだね!!珍しいっ!」


「俺をサルだと思ったか」


「ううん!なんかすっごくかわいいなって」


「かわいい?」


きいろの頭でまたぐるぐるする。


優しいの次は、かわいいと来た。


だがコントローラーを持つと、爺さんの厳しい顔が浮かぶ。


それは、君野を連れ去る前、よく通っていた公園のベンチ。

ある日、そこに誰かが忘れていった携帯ゲーム機があった。


ゲームの中身は入っていなかった。

ただ、ガチャガチャといじる不思議な感覚だけがあった。


それを持って爺さんにさりげなく見せたが、くだらないと一蹴された。


それ以来、これは背徳のマシン。


「やろ?キャラクリして一緒に遊ぼうよ!」


「きゃらくり?」


君野は勝手に話を進め、もう一つのコントローラーを繋げる。

きいろは言われるがまま、君野のおすすめのアバターを作っていく。


無表情のまま、細かいボタンの指示を受けるきいろ。


画面とボタンを交互に操作して、それっぽい武士のアバターができあがった。


「じゃ!ワールド1で遊ぼっ!僕についてきて!」


隣に座る君野がくしゃっと笑う。


「きいろくん!敵来てるよ!!」


君野の声で意識が戻る。


ゲームの中で急に戦場に放り出されたきいろは、ついていくのでやっとだった。


レベル1のうさぎのようなキャラにも太刀打ちできず、キャラのうめく姿に苛立ちが湧く。


「そこ!もうちょっと!」


君野も応援するが、剣が敵をかすめる。


「今アイテムで回復させてあげる!」


ようやく死ねると思った矢先、プッツンと糸が切れた。


「うわっっ!?」


君野は再び後ろのベッドに体を倒された。

新品のコントローラーが吹っ飛び、きいろがおもりのようにのしかかってくる。


彼はそのまま君野の腰にしがみつき、布団に顔を押しつけて動かなくなった。


「もう一回頑張ろうよ!チュートリアルからもう一回…」


「俺がお前を守らなきゃ意味がない」


「え?そんなことないよ。僕がきいろくんを守ってあげるよ」


「…お前が?」


「うん!なんでも言って!僕が助けてあげるよ!」


君野の無垢な顔がきいろを釘付けにする。


「じゃあ助けろ」


「うん!いいよ?あ、ゲーム変える?牧場経営とか興味ある?」


「お前の優しさに狂いそうだ」


「じゃあ、もっと厳しく教える?」


「ふざけるな」


きいろはまた彼の脇腹に指を這わせる。

くすぐりを察知した君野は、体をのけぞって抵抗した。


「やめて!僕それ好きじゃない!なんか、きいろくんって大型犬みたいだね」


「それはどういう意味だ」


「近所を散歩するおじさんのラブラドールレトリバーみたい。僕に撫でられたくて、覆い被さってきて舌で舐められるんだ。重くてくすぐったくて真っ黒なのもそっくり」


「それはいい意味なのか?」


「うーん…うん。いい意味なのかな」


「じゃあやってみろ」


「な、なにを?」


「お前はその犬にいつも何してるんだ」


「…あ!なでなで?」


きいろは顔を伏せたまま何も言わない。


君野は上半身を起こし、腰にしがみついたきいろの髪に恐る恐る手を乗せる。

その手が離れそうになった瞬間だった。


きいろは突如、君野を引き寄せた。


「あっ!ちょっ…!やめて!」


そしてその唇にキスをし、舌をまさぐろうとする。


驚いた君野はその舌を強く噛んだ。

きいろは思わず顔を歪め、口を押さえた。


「もう、そこまでわんちゃんの真似しようとしなくていいよ……」


まだ大型犬のくだりだと思っている君野は、明らかに動揺して身構える。


しかし、それ以上に動揺していたのはきいろだった。


「…悪かった」


「ううん…。ごめんね。無理矢理ゲームさせちゃって。また、遊ぼう」


君野がそう微笑む。


目の前には、出会った頃の優しい天使がいた。

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