魔女の力




 ――途端、十数本の剣が一斉にララへと向けられた。

 銀の刃が陽光を反射し、眩しさに思わず目が細まる。


「貴様! 今、何をした!」

「ひぇええええっ! ち、ちがいましゅっ! せ、正当防衛って言うからっ!」


 剣を構えた騎士の一人が一歩踏み込み、今にも斬りかかろうとする。ララは両手を高く上げ、半泣きでぶんぶんと首を横に振り、情けない声をあげた。


「やめてくださいっ! 降参ですっ、降参ですぅっ!」


 その間にも、別の騎士たちは髭の男を押さえ込み、地面にねじ伏せて縄をかけている。男は腰を抜かしており、抵抗する気力もないようだった。

 騒ぎを聞きつけた傭兵たちが裁判所の奥からぞろぞろと駆けつけ、いつの間にかララの周囲を何重にも取り囲んでいた。


「ちょっと怪我させただけなんです!」


 必死に弁明を図るララの声は、重苦しい空気の中で間抜けに響く。誰もが剣の柄に手を掛け、ララを異形の存在でも見るような目で睨み据えている。

 その中の一人が口を開いた。


「クロード様、やはりこの者は危険です。魔の力を使うリムササルムの血を引いている。何をしでかすか分かりません。今ここで適当な理由を付けて殺してしまいましょう」


 ララは愕然とした。

 対外的には法治国家を名乗るドーベン。しかし、実際はごく一部の法曹が権力を独占し、法そのものが力を失っていると聞く。法の名を借りて反逆分子を葬っているというような噂も、酒場で耳にしたばかりだった。

 特に最高裁判官であるクロードにはそれができる。できる権力がある。愛する人に死の判決を下されるかもしれないという現実がすぐそこまで来ていた。


 涙目になるララ。

 それを冷たい目で見下ろすクロード。

 長い時間が流れた。そして。


「今のは君が日記に書いていた、〝魔女の力〟か?」


 長い沈黙の果てに、クロードの低い声が響く。

 自分に向けられた質問であると気付くのに数秒。ララは慌てて姿勢を正し、クロードの質問に答えた。


「はっ、はい! リムササルム王国では、〝魔法〟と呼ばれるものです!」


 クロードは黙ったまま、ララの足元に落ちている手袋に視線を落とす。


「その手袋は?」

「魔法を抑制するものです。私が直接触れると、何でも腐り落ちてしまうので……」


 ララは、手袋なしでは何にも触れられない。

 ララが触れれば、ララの意思とは関係なく、触れたものが破壊されてしまう。それが、ララが〝破滅の魔女〟と呼ばれるようになった所以だ。


 クロードは一度、ゆっくりと目を閉じ、深く息を吐いて言った。


「その手袋を着けて、今から俺に付いてこい」


 周囲がざわめき立つ。しかし、クロードは一切意に介さず、「帰りの馬車を用意しろ」と短く命じた。

 程なくして、黒塗りの馬車が裁判所の門前に滑り込む。


「クロード様! 一体何のおつもりですか!? この者を同じ馬車へ乗せるなど、危険すぎます!」

「俺への敵意があるかないかは目を見れば分かる。立場上、命を狙われることが多かったからな」


 反対の意を示す護衛の一人に、クロードは振り向きもせずに返した。

 ララはしばらくぽかんとしていたが、慌てて手袋を拾い、走ってクロードに付いていった。


 馬車の扉が開かれる。クロードが先に乗り込み、ララもその後に続いた。

 扉が閉まると、外のざわめきが遠ざかり、代わりに、車輪の音と蹄の打つ音が静かに響いた。


 狭い。

 馬車の中は、想像していたよりもずっと近い距離だった。膝が少しでも動けば、クロードの足に触れてしまいそうだ。

 向かいに座るクロードは、窓の外を見たまま何も言わない。その横顔はいつもの冷徹な表情のままだが、思索に沈んでいるようにも見えた。


 ララは緊張で拳を握りしめた。分厚い布を被った自分の手が、じんわりと汗ばんでいるのがわかる。

 沈黙が、息苦しいほど長く続いた。


「あ……あっ、あの、私、殺されるんでしょうか?」


 必死に声を絞り出して尋ねると、クロードの目がようやくこちらに向いた。

 その無表情の奥で、何を考えているのかは分からない。底の見えない冷たさだけが伝わってくる。


「わ、私としては、殺されたくないんですが……」


 ララは馬車に揺られながら、控えめに要求を伝える。

 昔はいつ死んだって構わないと思っていた。人生が退屈で、輝かしい未来など見えなかったからだ。先は真っ暗闇だった。

 でもララは今、未来に光を見ている。死にたくないという気持ちを初めて抱いている。

 できればまだ殺されたくない――そんな思いを抱えていると、クロードがゆっくりとした口調で聞き返してきた。


「何か殺されるような心当たりがあるのか?」

「えっ、だ、だって、さっきの人の腕、壊しちゃったから……」

「あれは状況を打破するためのやむを得ない判断だった。罪には問われない」

「で、でも、私、自分の力をうまく制御できなくて、やりすぎた感はあるというか……っ」

俺が・・罪に問われないと言っているんだ。この国に俺の判決に逆らえる立場の人間がいるとでも?」


 その声音には絶対的な確信があった。彼は、法という名目の上で強い権力を持つ法曹たちの中でも、トップに立つ男だ。ララはその威圧感に息を飲み、黙って首を横に振るしかなかった。

 クロードはそんなララを一瞥し、目を細めて言う。


「安心しろ。君が本当に死に値することをした時は、俺がすぐに死の判決を下す」


 優しさの欠片も感じられない、脅しのような冷たい声だった。




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