──だけど。


「──……危うい剣だね」


 視界で、銀が舞った。


 耳を劈くような音を立てて弾かれたそれは、ほんの少し前まで私の手で握られていたものだ。


 私の刀は、目にも留まらぬ速さで弾かれてしまった。

 突如として現れた、目の前の男に。


「……お前、は」


 吹き荒ぶ風が、粉のような雪を舞い上がらせる。それだけでなく、男の羽織もはためかせた。それがふわりと上がった瞬間、寂れた村には似つかわしくない品が垣間見えた。


「──……っ!」


 それは、私の記憶が確かであることを証明するものだった。


 男は左側に弾き飛ばした私の刀を一瞥すると、流れるような動作で刀を鞘に納める。そして、口元に薄い微笑みを飾ると、私を見つめてきた。


「久しぶりだね。……今の名は、華純?」


「何をっ」


 私は衝動的に男に殴りかかったが、掠るどころか簡単に躱されてしまった。次の攻撃に転じようと懐にある短刀へと手を伸ばしたが、それも気づかれてしまい。


「っ……!」


「甘いね、相変わらず」


 私は両腕を男に拘束され、後ろから抱かれるような格好になってしまった。


「離せ! さもなくば舌を噛み切る!」


 そう叫びながら、必死に暴れたのだけれど。


「出来るものなら、どうぞ?」


 男はくすくすと笑い、私の耳元で吐息を漏らす。


 この世界で最も憎い人間が目の前にいるだけでも吐きそうなのに、触れられるなんて、塵になって消えてしまいたい。


 男は私の胸元から短刀を取り上げると、すぐ近くにある川に投げ込んだ。


 私を丸腰にしたことに満足したのか、すっと体を離す。


 私は肩で息をしながら、男を睨みつけた。


「……凄い殺気だ。そんなに恨まれていたとは思わなかったよ」


 そう言った男は、やはり笑っていた。

 その瞳は月の光を受けて、強かに煌めいている。


「当たり前だろう! お前は私の目の前で、あの人を殺した! 忘れてたまるかっ……!」


「それは、君に永遠に覚えていてもらえるということ? 光栄だね」


「っ……、」


 やはり、この男で間違いない。この男こそ、私に許婚殺しの罪を着せ、何もかもを奪った奴だ。


 ──その名は、一条いちじょう悠香はるか


 五摂家の一つである一条家の子息であり、頭脳明晰で将来有望とされていた。


 そして、私の許婚の弟でありながら、許婚を殺めた張本人でもある。


 理由は知らないし知ろうとも思わないが、今の名は深山聖というらしい。こうして私の前に現れたのは、運命の悪戯だろう。


 男は美しい微笑みを浮かべながら、ひたすらに殴りかかる私の攻撃を簡単に躱していた。


「相変わらず、君は面倒臭い人間だね。感情に呑まれてはならないと、綺沙に言われなかった?」


「煩いっ!」


 どうしてこの男は、綺沙に言われたことを知っているのだろう。


 あの時、この男はその場から離れた所に居たはずなのに。


 男は私の拳をひらひらと躱しながら、笑みを深めるばかりだ。


 何十回目か分からない拳を振り上げた時、ふいに男は動きを止め、私の手を掴んだ。そうして自身の方へぐっと引き寄せると、またもや私の耳元で吐息をこぼす。


「……そうやって、嫌だ嫌だと駄々を捏ねるところも、昔と変わってないね。だから君が愛したあの人は死んでしまったんだよ」


「っ……」


 男はそう告げると、口元の笑みを崩した。月の光から逃れるように木の影に入ると、私を振り返る。


「君は何も知らないまま、可哀相な目に遭ったお姫様なんだね」


「何を、訳の分からないことを……」


 男は小さく笑うと、懐から何かを取り出し、それを私に向かって放り投げた。寂しい音を立てて落ちたそれは、血のついた扇だった。


「っ……!」


 それは私の懐に入れていたはずのものだ。この男が私の許婚を殺めたあの日から、彼の形見となったもの。牡丹が散る様が描かれた、白く美しい扇。


「どうしてお前がっ……」


 私はそれを胸の前でぎゅっと抱き締めながら、男に向かって叫んだ。


「お前、じゃないよ」


 男は表情を消すと、私の目の前に詰め寄る。そして、指先で私の顎をくいっと持ち上げ、口の端をゆっくりと引いて囁いた。


「──深山、聖。俺の名は、深山聖だよ」


「っ……」


 覚えておいてね、と。そう付け加えると、男──深山聖はトン、と私の肩を押した。


 地面に縫い付けられたように動かなかった私の体は、その力でいとも簡単に後ろへと倒れ、水の中へと落ちた。



 何もかもが、呑み込まれていく。


 もう不必要だと決めて肩まで切った髪、剣を握っていた細い腕、男の形をしてもなりきれていない顔や身体。


 私という人間がいる何よりの証である、私の全てが水に吸い込まれていくようだ。


「────」


 縮まっていく視界の端に、大事な形見が映っていた。私と同じように、底へと沈んでいく。


 あの人は私を置いて行ったくせに、その形見は共に行ってくれるらしい。どちらにせよ、このまま沈んでいけば、あの人にまた逢えるのだ。


 ああ、それはなんて素敵なことだろう。

 息が出来ないのに、肺が苦しくてしょうがないのに、その苦しみの果てには幸福がある。希望がある。私にとって、死こそが何よりの幸福だったのだ。


 気がつけば、目に映る世界が小さくなっていた。


 もう、息は苦しくない。私を包む全てのものが冷たいということしか感じられない。


 それは、あの人へと近づいている証だろうか。


 純白の着流しを身に纏い、見事な浅葱色の羽織を風ではためかせていたあの美しい人の元へ、私は。


(──……さま)


 世界が消える間際に呟いたあの人の名前は、泡になって消えてしまったかもしれない。


 それでもいいかな、と思う。


 音にならなくていい。天に召されてしまったあの人に届いているのなら。


 だから、もう終わり。苦しい世界に別れを告げよう。


 そう、決めた時。


 ───華純、と。


 誰かが私の名前を叫んで、手を伸ばしているような気がした。

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