追憶のボーイミーツガール ③

 わたしは『ゴーストタウン』計画のため、エデンシティに移住することになった。

 故郷であるアメリカの地を去る前に、わたしには一か所行きたい場所があった。

 好きな芸術家の原点と言われている、スラム街にある壁画。『ゴーストタウン』計画を知る前はすぐにでも行きたかった場所のことを、国を離れる直前になって思い出した。


 幻想世界を実際に見て、体験しても、不安は少なからず残っていた。

 それは死後の精神が続くかどうかは、あくまで仮定であるという点だ。

 実際には肉体が死んだ瞬間、幻想世界の自我も消滅してしまう可能性は考えられる。

 もちろん、単純に肉体が死ぬことへの恐怖もあった。

 やり残しのないように、わたしは一つの計画を実行した。


「……例の壁画か。以前、話していたな」


 わたしが外出許可を求めると、父は顎髭に手を当てた。

 一時期の取り乱し用を考えると、父は精神的に落ち着きを取り戻していた。


「はい。覚えていらしたんですね」


「もちろんだ。あの画家を語る上では欠かせない作品の一つだ。あの街の治安でまだ無事だといいが……」


「少なくとも、数日前のSNSには写真が載っていました」


 そういった懸念は事前に潰してある。


「いいだろう。ただし、ボディーカードはつけるからな」


 わたしにとってこれは、現実世界に区切りをつけるための儀式でもあった。

 移動にも地下鉄を使うことにした。

 自家用車ばかりで街の様子に目を向けてこなかったことを、今更勿体なく感じた。

 補助に杖を使わなければ歩けないような体調だったのに、見慣れない土地を自分の足で歩くことを選んだ。


 わたしはとにかく、この世界を少しでも多く体感したかった。

 ドレスのような白いワンピースとリボン付きのストローハットは明らかに浮いていて、車内の注目を集めていた。

 目的地の一つ手前の駅で、わたしは当初よりの計画を実行することにした。

 扉が閉じる直前、監視役の数人が油断しているのを確認してから、ホームへと飛び降りる。

 監視役は慌てて閉じた扉に駆け寄ったが、もちろんできることは何もなかった。

 この日、わたしは生まれて初めての一人旅をするつもりだった。



            ▼     ▲     ▼



 一駅分計画よりも早くなったが、目的の壁画は駅と駅の間にあり移動距離は少し伸びるものの、その道順もすでに調べておいた。

 しかし、わたしの計画は地上に出てものの一分で崩れた。


「君、どこから来たのー?」


「いいもんほしい?」


 ガタイのいい男達は格好のカモを見つけたとばかりに、わたしに悪い提案をいくつもしてくる。


「いえ、わたくしは観光で来ただけですのでそういうのは結構です」


 わたしはハッキリと断ったが、それがかえって相手の興味と反感を買ったようだ。


「いいじゃん。観光ならオレらが案内するよ〜」


「いいホテルとか知ってるぜ」


 わたしは内心泣きそうで体も震えていたが、そこにちょうど通りかかった人がいた。


 それがカイカくん――あなただった。


 カイカくんは不良たちとわたしの間に割って入り、結果、あっという間に喧嘩になった。

 カイカくんは敢えて無抵抗で殴られて、お金を盗られ、不良は人だかりができ始めたのでその場を去った。


「――どうして、わたくしを助けたりしたんですか?」


 わたしは傷だらけになった少年の姿を見て泣いてしまった。


「わたくしなら大丈夫でしたのに、あなたが彼らの気持ちを逆なでしなければ……」


「そうかもな。でも、もっと悪いことになってたかもしれない。そんな話はいくらでも聞いたことがあるし――」


 カイカくんはそう口にしてから、慌てて取り繕うように笑った。


「い、いや、怖がらせるつもりはないんだ。たぶん、俺の空回りだ。ごめんな」


「ふふっ。こんな状態になってまで、まだわたくしの心配ですか?」


 わたしは急に可笑しくなって、お腹に手を当てるほど笑ってしまった。


「……君を庇ってこうなったのに、酷いなあ。でも、言う通りかもな」


 カイカくんも釣られて笑った。

 その笑顔がわたしにはとても眩しくて尊いもののように思えた。

 駅の近くで笑い合っている場違いな女と傷だらけの男、傍から見たら、きっと不思議な光景だっただろうな。


「そうだ。まだ名前を言ってなかったな。俺はカイカ――カイカ・ウィルズ。俺の療養がてら、そこのカフェで少しお茶でもしないか?」


 わたしは急にそんなことを言われて、急に体温が上がるのを感じた。

 熱でも出たように顔が熱い。


「――……シアです」


 わたしは帽子を深くかぶって、顔を隠してから呟いた。


「なんだって?」


「わたくし、フェリシア・シーグローブと申します。よろしくお願い致します」


 わたしとカイカくんは駅前の喫茶店で、少しだけお互いに付いて話した。

 カイカくんは家の事情で学校を辞めて働いていることを話してくれた。

 わたしは体が悪いことと、趣味の絵のこと、この街にある壁画に興味があることを話した。


「ああ、あの絵のことは知ってるよ。一緒に観に行こうか?」


 わたしはまた緊張して、いっそ断りたい気持ちと付いてきてほしい気持ちがせめぎあっていた。


「……お願いします」


 結果として、素直な気持ちが勝ってくれた。

 カイカくんは杖をついて歩くわたしの足取りに合わせてくれて、自分の住む街のことを話してくれた。

 さっきみたいな不良だけじゃなくて、いい人間も沢山いること、時には助け合って生きていることも……。それでも、やっぱりこの街にいることは危険と隣合わせで、家族が不幸な事件に巻き込まれないか不安だって言ってた。

 不思議なんだけど、今でも話してくれたことは全部覚えている。


「あっ……」


 話しているうちに、わたしは例の壁画の前に立っていた。

 話に夢中で気が付かなかった。

 画像で見るよりもずっと大きかったその絵に、わたしは視線と心を奪われた。


「すごい……この絵って、街と一緒に生きている感じがする」


 わたしはしばらく立ったままその絵を見つめて、それからカイカくんに絵の感想を長々と語った気がする。

 今思うと、少しだけ恥ずかしいかもしれない。

 それから、日が暮れ始めて、カイカくんはわたしをまた駅まで送ってくれた。

 わたしは駅に向かいながら、この時間が終わらないでほしいと願った。


「はぁ……はぁ……」


 その思いとは裏腹にわたしの体は明らかに休息を欲していた。


「大丈夫? 顔色が悪いよ」


 カイカくんはタクシーを呼ぼうとしたが、わたしはそれを断る。


「我がまま言ってごめんなさい。でも、駅まで一緒に歩かせてください」


「……分かった」


 カイカくんはわたしが止める間もなく、体を軽々と担ぎ上げた。


「このまま行こう」


「……はい」


 心地よい微睡の中でわたしはカイカくんと話した。

 ここから先の内容が、夢なのか現実にあったのか、わたしは覚えてない。


「わたくし、実は病気で……もう長くないんです……」



「今日は……一人で好きな絵を見に行けて……あなたに会えて本当に良かった……」



            ▼     ▲     ▼



 気が付くと、わたしは見慣れた車のシートで横になり、自宅へと向かっていた。

 隣には父がいて、わたしの頭に手を添えていた。


「――フェリシア、満足したか?」


 父の言葉は厳しいようで、声色がとても優しかった。


「お父様まで、ついて来てたんですか?」


「まあな。だが、最後までお前の意志を尊重して話しかけなかった。あの少年が紳士なおかげで何とか踏み止まったよ」


 見られたくなかったなあ、と言うのが本音だった。

 けど、気付かれないよう遠巻きに見てくれただけ感謝しないといけない。


 沢山、心配も掛けただろうし。


「……それで、例のアートはよかったか?」


「はい……やっぱりロケーションがよくて――」


 わたしは早口で魅力を語りながら、その脳裏に一日の出来事を投影していた。

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