追憶のボーイミーツガール ②

 わたし――フェリシア・シーグローブは『モルフォナ製薬』の社長モルガンの一人娘で、何不自由無い生活を送っていた。


 母親は父と離婚したのち再婚していて、再婚相手との間に子供が産まれてからは滅多に会わなくなった。

 わたしは子供の頃は健康で、外を元気に走り回っているタイプの子供だった。

 プライベートビーチに行くのが好きで、執事やメイドの見守る中、よく日が暮れるまで遊んだものだ。


 この時代の自分が、フェキシーとしての人格の元になっている自覚はある。


 学校でもわたしは奔放な性格で、それ故に何度かトラブルも起こしていた。

 父にはもっと慎みを覚えろと言われた。

 教育の甲斐あって、ジュニアハイスクールに通う頃には、わたしはその家柄に相応しい周囲にとって高嶺の花のような存在になっていた。最初は無理をしていたお嬢様のような振る舞いも、何年も演じるうちにそれが自然体になっていた。


 でも、三年前、十五歳になったときわたしは学校で突然倒れた。


 診断の結果、とても珍しい病気であることがわかった。

 治療は困難で、おそらくわたしは数年以内に死ぬと告げられた。

 父の財力をもってしても、それはどうにもならないことだった。

 父は何かに憑かれたように仕事に向かうようになり、自宅療養中のわたしにもほとんど会うことはなくなった。


「はぁ……外に出たいな……」


 体調が振るわず、ベッドから液晶を見つめるだけの日が多くなった。

 わたしは日に日に弱る体に対して、徐々に諦める準備を始めていた。

 覚悟を決めたつもりでも夜には不安で堪らなくなるし、逆に一日一日を大事にしようと前向きになれる瞬間もあった。友達からのメッセージに応えながらも、どこか取り残されるような寂しさは消えなかった。


 わたしは体の調子がいい日は、タブレットを使って絵を描いた。

 線をいくつも重ねながら、その瞬間だけは満たされるように感じた。

 他人に賞賛されるわけでもないのにそれがやめられなくなっていた。

 鮮明に浮かび上がっていく色彩が思考のノイズを上塗りし、形になった想像は崩れそうな心にいつでも優しく寄り添ってくれた。



            ▼     ▲     ▼



 ある日、父が帰ってくるなり、一つのアロマを勧めてきた。

 結論から言うと、それは『Fトラスタミン』の摂取のために開発されたものだった。


「このアロマは嗅いでいると幻覚作用をもたらすことがある」


 父、モルガン・シーグローブは隈のできた顔で説明した。


「眠気が襲い、意識が曖昧になったら……そうだな。この家を思い浮かべてくれ。この家で以前のように健康に過ごしている自分のことを……」


 父の狂気めいた様子は恐ろしかったが、わたしは言われた通り、アロマを焚いて眠りにつくことにした。


「おやすみ、フェリシア。また、夢の世界で会おう」


 父の声が遠くから聞こえる気がした。

 その夜、わたしは気が付くと真っ暗な自分の部屋にいた。

 暗く明りもついていないのに、家具の一つ一つがやけにはっきりと見える。

 わたしはそれを不気味に思いながらも、ベッドから上体を起こした。

 それから、自分の体がやけに軽いことに気付いた。


「調子がいい?」


 わたしは立ち上がって飛び跳ねたりしてみた。

 内側から蝕まれるような痛みもなく、いつものようにすぐに息切れすることもなかった。


――コンコン。


 小さなノックが響く。


「フェリシア、いるか?」


「……はい、お父様」


 すると、先程とは違い健康的な顔つきになった父親が部屋に入ってきた。


「よかった、上手くいったようだな」


 それから、父はこの幻想世界について話し始めた。


 それは夢のような話だった。

 理論上、死後も精神が続く可能性がある幻想世界。

 荒廃したリゾート地を利用する『ゴーストタウン』計画。


 押し殺していた「生きたい」という意志が、急に息を吹き返した。

 わたしはその裏で行われている非人道的な実験を知らないまま、いつしか絵を描きながらも、死後の世界に思いを馳せるようになっていた。

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