『ゴーストタウン』潜行開始 ③
俺の部屋は二階の隅の方にあった。
殆ど家具はないが、ショーケース棚が置いてあり、中には怪獣の玩具が並んでいる。
ここに住む子供の物だろうか?
ベッドはないがカーペットは敷かれてあり毛布もある。
鞄は部屋の入口の方に置いてあり、すぐに俺はそこから着替えや風呂道具を取り出してシャワーへと向かった。
汗を流している途中、半透明の獣に会ってからの不思議な出来事について考えた。
「幻想の世界……『ゴーストタウン』……」
何とも実感の湧かない話だ。だが、あの半透明の獣や街で見た亡霊のような人々の姿を思い返すと、それがセレンや俺に降りかかった現実だと認識せざるを得ない。
「はぁ……疲れたな……」
お湯を張っていない浴槽に座り目を閉じる。
流れるシャワーの音は心地よく、混沌とした現実を少しだけ忘れさせてくれた。
「――おーい、起きてる?」
聞き慣れたかわいい声がして、俺はハッと目を覚ました。
浴槽でシャワーを流したまま、気が付くと眠っていた。
「悪い! 眠ってた」
「そんなことだと思ったー」
他人の家なのにすっかり長湯をしてしまった。
俺はもう一度顔を洗ってから、シャワーを出ることにした。
「ねぇ……ちょっとだけ、聞いていい?」
ドアの向こう側から、フェキシーの声が聞こえてきて俺は少し焦った。
すっかり、声だけ掛けてすぐに出て行ったと思ってた。
「えっと、上がってからじゃ駄目か?」
「だめー。助けたいのが妹って本当? 本当は恋人だったりしない?」
「……え? 本当に妹だよ。そこで嘘つく理由なんてなくないか?」
俺は質問の意図が分かりかねたが、素直にそう答えた。
「ふーん、おっけー。じゃあ、今からわたしが一緒にシャワー浴びても問題ないね」
「えっ、いや問題あるだろ!」
俺は樹脂のドア越しにぼんやりと見える人影を思わず確認してしまった。
もしかして、もう服を脱いでるのか……。
と思ったが、今日来ていた服の色がしっかりと確認できた。
「あはははは、冗談だよー。上がったら言ってね、わたしも汗だくだからさ」
「……うっ、分かった」
俺は火照った体を少し冷ましてから外に出ることにした。
▼ ▲ ▼
俺は部屋に戻ると、電気は付けずに隅にある毛布の近くで座った。
丸い窓からは月の光が差していて、埃が微かに舞っているのが分かった。
俺はスマホを見る気にも、眠る気にもならず、ぼーっとその埃の流れを見つめていた。
――コンコン。
ふと、控えめなノックの音が聞こえた。
「はい。なんですか?」
「ちょっと、いい?」
その声はフェキシーだった。
こんな時間にとは思ったが、また揶揄われそうなので変な想像を膨らますのは止めた。
「ああ、いいぞ」
フェキシーは静かにドアを開けて部屋に入ってきた。
金色の髪はまだ僅かに湿っていて、柔らかそうなパジャマを着ていた。
俺はその姿を見てまた不覚にもドキリとしてしまった。
「少し話そう。『ゴーストタウン』のこと……」
「教えてくれるのか?」
俺はてっきり、話の流れ的に翌日になると思っていたので前のめりになった。
「うん。ちょっといい?」
フェキシーは少しだけ空間を空けて俺の隣に座った。
シャンプーの匂いと湯上りの体温が感じられるくらいには距離が近い。
「……えっと、近くない?」
「まあまあ、気にしない気にしない」
フェキシーは相変わらず悪戯な笑みを浮かべている。
「それで……『ゴーストタウン』っていうのは幻想世界のことなんだけど、まずはその仕組みについてかいつまんで話すね」
「……頼む」
「集合的無意識って言葉は知ってる?」
「い、いや……なんかMMも同じようなことを言ってたけど」
「普通知らないよねー。半分オカルトみたいなもんだし」
俺はフェキシーがそう言ってくれて安心した。『廃棄品同盟(レフトオーバーズ)』の面々が当然のように知っているので常識なのかと思っていた。
「集合的無意識はある心理学者の考えた概念で、個人の経験や意識より深い部分に、種族、あるいは人類で共通する無意識――『無意識の海』があるって考えのこと……ざっくり言うと、すべての生命は深い部分では繋がってるって考えかな」
「……なるほど。それだけ聞くと、オカルトっていうよりはスピリチュアルって感じだな」
「ふふっ、そうだね。集合的無意識の概念に比べればかなり局所的な現象だけど、それに近い状況が発生することを、あるとき『モルフォナ』の研究チームが発見した。少しだけ具体的に言うと、『Fトラスタミン』という物質を含む薬品によって眠った被験者数名が、共通の夢を見ていることに気が付いたんだ」
この話を聞いて、俺にも少しずつ状況が見えてきた。
「薬品の被験者は同じ病棟で新薬の試験をしていて、彼らは夢の中でも病棟にいて、しかも同様の会話を交わしていたというデータが取れた。そこから、『モルフォナ』の研究チームは隣り合う夢の世界――『無意識の海』が実在すると仮定した。実験を重ねて、実在の場所のイメージを持つ者が『Fトラスタミン』を摂取し意識を閉ざした場合、『無意識の海』が形を持ち、現実世界の同一座標上に幻想世界が生まれることを発見したんだ」
「……つまり『ゴーストタウン』は共有可能な夢の世界ってことか」
俄かには信じられない、まさに夢物語みたいな話だ。
「うん。本題はここからで、幻想世界は個人でも発生することが研究で分かったけど、それはとても不安定なものだった。この幻想世界の強度は同じイメージを持つ人数によって担保され、人間が多いほど強固になる。ここまでは分かった?」
「ああ、何とか……」
俺は何とか、フェキシーの説明を噛み砕いて理解する。
しかし、一向に肝心の着地点が見えてこない。
「『モルフォナ』はエデンシティをベースにした幻想世界、『ゴーストタウン』をかつてない強度で創り上げることを目的に、多くの人を昏睡させて強制的に夢を見させている」
「いや、待ってくれ……。そんなことして、何の利益があるんだ?」
俺は思わず話を中断させてフェキシーの方を見た。
こちらを見返すフェキシーの琥珀色の瞳には、とても冷たい光が宿っていた。
「ねえ。幻想世界にいる人間がそのまま死んだらどうなると思う?」
「えっ……まさか……」
「勘が良いね、そのまさかだよ。幻想世界にいる人間の肉体が死んだ場合、その人はそのまま幻想世界の住民になれる。それこそが、『モルフォナ』が強度な幻想世界を創り出そうとしている目的だよ」
「はっ……」
俺は乾いた笑いを漏らした。
だから名前が『ゴーストタウン』、死さえ克服できる街ということか……。
#ゴーストタウンでまた会おう
そのまんまの意味だったなんて、笑えない冗談だ。
「わかるでしょ。死の克服という目的のためなら、大きな金も、人の命だって簡単に動く」
「分かる……分かるけど、正気とは思えない。セレンは幻想の世界の強度を上げるために、『モルフォナ』に唆されたってことか?」
「それは本人に聞かないと分からないけどね。SNSのイメージ戦略もあって、興味本位で『ゴーストタウン』に入りたがる人も増えてる。コカネールではアメリカとは比べ物にならないくらい、そういう若者が増えてるんだよ。……だいたい話はわかった?」
「ああ、ありがとう。これで俺のすべきことが分かった」
セレンの失われた意識がおそらく『ゴーストタウン』にあること、それが分かっただけでも大きな前進だ。
「それじゃ、早速いこっか『ゴーストタウン』」
フェキシーはそう言うと、突然、上着を脱いで薄いキャミソール姿になった。
「え? 行くってこれから?」
というか何で脱ぐ? ということを俺は口に出せない。
「幻想世界に行くには特定の物質を取る必要があるって言ったよね。でも実は、強度の高く現実への干渉能力が上がった幻想世界なら、逆に現実から幻想世界への干渉も容易になる。こうした特殊な状況下でだけ、幻想世界に行くもう一つの方法があるんだよ。――なんだかわかる?」
いや……。俺の声は緊張で声にならなかった。
「人によって違う極度の興奮状態という〝スイッチ〟を入れて、その幻想世界を思い浮かべること。たったそれだけですでに舗装された幻想世界へは『通路』を辿って『潜行』できる。最初は慣れがいるけど、経験者と一緒なら未経験でも簡単にいける」
フェキシーの手が俺の手に触れる。
「わたしのスイッチは身体的な接触による興奮……」
その手のひらは冷たくて柔らかくて、俺は脳の奥の方が痺れるのを感じた。
「一応、今日一日わたしなりにアプローチしてきたんだけどダメかな?」
フェキシーは何故か泣きそうな目でこちらを見てきた。
俺はそれを聞いて心が熱くなるのを感じた。
この子はよく嘘をつくけど、きっとどこまでも真っすぐで本心には嘘をつけない。
そのことが何となく分かった。
「いいや。フェキシーは魅力的だよ」
俺はフェキシーの頬に手を当てると、顔を近づけてそっと唇を寄せた。
柔らかい溶けるような感触がする。
「思い浮かべて。不思議な光に彩られたこの街の幻想世界を……」
それから、何度も口づけを重ねる。
徐々に興奮によって視界が狭まり、自分と相手の境界が、世界の境界が曖昧になる。
やがて、俺の意識は――……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます