第十四話 仲間たちは陥穽にはまる
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どうにも、その日は朝から落ち着かない気分だった。
しかし、何度確認しても、全身の体毛が逆立つように落ち着かない。
(……こんな風になったの、姉ちゃんが〈AZテック〉に行く日の朝以来だな)
決して、科学的な根拠があるわけではない。
他に心配事があるせいだと言われれば、そうかもしれない。
だが、姉の
家族の中ではただ一人、凪だけが反対した。
姉はまだ学生で、〈AZテック〉で衣食住の上に十分な教育環境が保証される。
家に来た〈AZテック〉の職員はそんな風に説明していた。
だが、どこか、〈AZテック)の説明は肝心な所がぼかされているように感じた。
(連中は『娘さんの異能の力を最大限に社会に還元する道を用意します』とか、『危険な実験ではありません』とか……聞こえのいい事ばかり言って、肝心の内容に関しては何も詳しいことを説明しなかった)
今思えば分かることだが、凪もその時は自分の疑念を言葉にできなかった。
父は乗り気で、母も娘があの〈AZテック〉に求められるという事実が満更ではなさそうだった。
それだけ〈AZテック〉は自分たち家族にとって、絶対的な存在だった。
凪は手足のプロテクターを装着して、動きに異常がないか確かめつつ思い出す。
(姉ちゃんが、(AZテック)に行くとなった前日、俺は姉ちゃんに会った)
両親が寝静まった後、凪は姉の部屋の扉を叩いた。
姉は起きていて、凪が神妙な態度でいるのを見て取って部屋に招き入れた。
──姉ちゃん、やっぱり今からでも、断った方がいいと思う。
凪は翌日の準備を進める姉に、そう訴えかけた。
──〈AZテック〉の人の言ってる事、なんかおかしいよ。
姉の閑は、凪が十分な覚悟をもって話したのを察していた。
頭頂部の耳をぴんと立てて、子供の言うことだなんて少しも思わないで、凪の言葉に耳を傾けてくれていた。
そして──そっと微笑んで、凪の頭をなでた。
──凪は頭がいいのね。
──……姉ちゃんも、おかしいと思ってるの?
だったら、と勢い込む凪に、しかし閑はうつむいた。
──でも、あれだけお父さんとお母さんが喜んでいるのを、それだけの事で断ると言っても、聞き入れてくれないと思うの。
──そんな……。
閑は、絶句してうつむく凪に、穏やかに微笑んだ。
──でも、大丈夫、心配しないで。危ない事をさせられる、ってなったらすぐに戻ってくるわ。……どんな風になっても、姉ちゃんは凪の所に帰ってくる。
約束する、と閑の差し出した小指に、凪は自分の小指を絡めた。
──姉ちゃんは必ず帰ってくる。凪は、父さんと母さんを守ってあげてね。
そう言って、閑は「凪ももう寝なさい」と、優しく凪を部屋へ送り返した。
(……俺は、姉ちゃんを引き留めるべきだった。たとえ無理にでも)
凪はプロテクターを装着した手で、軽く目元を擦った。
(きっと……姉ちゃんが一番不安だったんだ。なのに俺は……)
せめて──無理しないで、とあの時言ってあげたらよかった。
出し抜けに襲ってきた深い悲しみに、嗚咽が漏れそうになる。
その衝動を、凪はぐっと唇を噛み締めて堪えた。
(……いや、まだ俺に出来る事はあるはずだ)
姉と家族の無念を晴らす為に──
今、自分のそばにいる仲間の為に──
凪は自分を奮い立たせて黙々とミッションの準備を進めた。
そして、その日の日没と共に、ミーティングルームへと向かった。
──「おう、凪」
そこには既に、準備を整えたエイジとマヤ。
それに、シャドを胸に抱いた
凪は彼らにうなずきかけて、拳を握り締めた。
「……行こう」
〇
──「今更だけど、あんたは今からでも降りていいんだぜ?」
ミッションの侵入地点となる山中のポイントへ向かう道中だった。
改造バンの車内で、後部座席に隣り合って座った司三に、凪はそう声を掛けた。
「本当に今更だね」
そう、司三は丸くなっているシャドを膝の上に抱いて苦笑した。
凪は自分の使う拳銃のマガジンの予備があるのを確かめ、肩をすくめる。
「あんただって、家族とか知り合いとか、いるだろ。そういう人に会えないまま危険な目に遭ったり、死んでしまったり……きっと後悔する」
「かもね」
司三は落ち着き払った態度で静かにうなずいた。
凪は、顔を上げて彼の横顔を見た。
「怖くないわけじゃないんだろ?」
「そりゃあね。ほんのちょっと前まで、ただの専門学校の生徒だったし」
運転席のエイジも、助手席のマヤも今日は言葉を発さないでいた。
改造バンの車内にはぽつぽつと言葉を交わす、凪と司三の声だけが響く。
「でも……何も見なかった事にするのも、ちょっとね」
司三はバンの窓から見える〈
「正義感とかじゃないけど……でもさ、僕が巻き込まれたあの事件みたいなのが、このまま(AZテック)を放っておいたら、どんどん起こっちゃうんでしょ?」
司三は自分が巻き込まれた、以前の事件の事を思い出しているようだ。
あの時は、司三も司三の有人たちも、命を喪っておかしくなかった。
「それこそ、僕の知り合いや友達が、いつ巻き込まれるかも分からない。……それをただ見ているだけは、やっぱりできない」
凪は、予備の拳銃のマガジンをポーチに収めて、ふっと息を吐いた。
「分かったよ。でも、司三」
「なんだい?」
凪は、改造バンの行く先をじっと見詰めたまま、司三に告げた。
「危なくなったら……俺たちに構うな。真っ先に逃げろよ」
「……凪くん」
凪は司三にそう告げて、後はバンの後部座席で押し黙った。
〇
予め『裏側』への侵入ポイントはマリーたちに伝えてあった。
なので、今回も先に〈大陸正教会〉の二人がこちらを待っていた。
あの、隠密用の修道服に似た装束に身を包んだ二人は、夜の森からまるでおぼろげな影のように進み出て、凪たちを出迎える。
「お待ちしておりましたわ。皆様がた」
今回は目元まで覆面を引き上げたマリーが、温かな花の色のような瞳を細めた。
対照的に、凍り付いた湖のような瞳で辺りを見渡したロベリアが口を開く。
「今日も、アスタルテ家の姫はいないのですね」
「ロベリア……」
マリーがたしなめるようにロベリアを見たが、彼女は軽く眉をひそめただけだ。
「……今回のミッションの情報を共有しておきましょう」
エイジが取り成すように進み出たが、ロベリアが軽く腕を組んで目を伏せる。
「今回も、〈AZテック〉の実験フィールド上の拠点への破壊工作。私は彼の護衛」
淡々と凪を見たロベリアが、息を吐いて軽くかぶりを振った。
「前回と同じ手筈でやればいい。必要を感じない」
「ちょっと、ロベリア……」
「あなた方のやっている事は、色々とこちらが伝えられた情報と異なる」
マリーが慌てて取り成すが、ロベリアも無表情の裏で鬱憤を溜めていたらしい。
「私はともかく……マリーは正式な〈大陸正教会〉の〈聖女〉です」
ロベリアは手に持った〈
「あなたたちは、その意味の重さをもう一度、考えてみるべきだ」
ロベリアはそう言って剣を手に持ったまま背中を向け離れていく。
一人残されたマリーが息を吐いて、凪たちを見上げた。
「すみません。彼女……少し神経質になっているみたいで……」
「いえ、仕方ありません。彼女にはマリー様から作戦の概要を伝えてください」
夜の森の中で始まる打ち合わせを進めながら、凪は胸の内で息を吐く。
──これまで奇跡的に反〈AZテック〉で結束していたチーム。
ぞれぞれの思惑が絡めば、いつかこうなる事は分かっていたが──
(……あいつがいない中で、あまりに、情けない……)
このままではせっかく協力を得られた〈大陸正教会〉との関係は失われる。
(いや……今は先の事よりまず目の前のミッションだ)
凪は始まる前からどこか不安げな面々を見渡し、拳を握る。
新たな段階に進んでいても、本質的にはこれまでとやる事は同じだ、
〈AZテック〉の目を盗み、彼らを出し抜いて目的を果たす。
その力が自分たちにある事を証明し、多くの陣営を味方につけるのだ。
夜が更ける中、森の中でのミーティングは終わり、いつしか空高くこうこうと輝く月が昇っていた。
〇
前回と同じく、凪はロベリアと共に、マヤの開いた『破れ目』から潜入した。
〈AZテック〉の実験フィールドに使われる『裏側』の〈夢見島市〉。
昼も夜もない赤黒い輝きの揺らめく空の下を、灰色の森をロベリアと共に凪は駆け抜けた。
今回も、実験フィールド内の市街から離れた拠点への破壊工作だ。
(ロベリアの言葉じゃないが……やる事自体は前と一緒だ)
今回は、前回の反省も活かして万全の準備を整えている。
その拠点も決して重要なものでなく、実験に使う魔獣を捕らえる為の施設だ。
警備も前回と同じ、警備ドローンとガードロボットが配備されただけ。
(今回もいけるはずだ。危険を感じれば、すぐ離脱すればいい)
ロベリアがああ言ったが、〈AZテック〉の実験フィールドの実態を、〈聖女〉であるマリーが目にした事実は大きい。
そこを起点に〈大陸正教会〉の上層部に訴えかけてもらう事はできるだろう。
「……ついたぞ。やり方は前回と同じ。あんたは万が一があれば、頼んだ」
〈AZテック〉がフィールドを展開した拠点に辿り着き、凪はロベリアを振り返る。
フードを目深に被り仮面で素顔を隠したロベリアは返事をしない。
凪は内心息を吐いたが、いちいち構っていられない。
凪は当たりを警戒しながら森を脱け出し、展開されたフィールドに近づく。
と──
──「……ばかな!凪、頭上から攻撃が!」
不意に鋭い警告の声がロベリアから発され、凪はとっさに頭上を振り仰いだ。
「……っ!」
頭上にダークグレーの装束を着た、獣人種の被験者が迫っていた。
その手に幅広の軍用ナイフが握られているのに、とっさに凪もプロテクターに装着していた軍用ナイフを抜き放った。
二本のナイフの刃が鋭く打ち合わされ、火花が散った。
何度かナイフを打ち合わせて、凪とその被験者は一度、間合いを離した。
「くそっ……なんてこった……」
襲い掛かってきた相手を見て、凪は思わずうめいた。
ダークグレーの軽く隠密性と機動性にすぐれたスーツ。
狐面を思わせるフォルムのマスクに、衣擦れの音すらしない身のこなし。
実験フィールド内に派遣される被験者たちのトップたち。
この異空間における〈AZテック〉の最高戦力。
〈AZ8〉の一人──〈サイレントリーフ〉。
「なんで、こんなただの拠点に〈AZ8〉がいんだよっ!?」
思わずうめく凪のそばに、剣を抜き構えたロベリアも並んで身構える。
その彼女が、張り詰めた雰囲気をまとって剣の柄を握った。
「一人だけではない……」
そう告げた彼女が頭上を仰ぎ見るのに、凪もその視線をたどった。
──「……前回の襲撃で味をしめたネズミの行動を予測するのは容易い」
杖に似たガジェットに腰掛け降りてくる、魔女に似たシルエットの被験者。
上空から自分たちを見下ろす、もう一人の〈AZ8〉──〈ウィッチ〉が、淡々とした口調で告げた。
「貴方たちのが侵入したポイントもこちらは、既に特定しています。本社から派遣された処理班が包囲し、今頃は貴方たちの仲間は処理されている」
拠点のあちこちから、プロテクターを身に着けた処理班の人員が姿を現す。
〈ウィッチ〉の、目元を覆う黒い布のようなマスク。
凪たちからは見えないその瞳が、冷たく自分たちに向けられているのがありありと分かる。
「今回こそ終わりです。〈AZテック〉の崇高な理念の遂行を阻む、ネズミども」
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