手紙

 5年3組 川上 日奈子


 キレイなものが好きでした。

 と、い味ありげな書き出しをしてみましたが、今の私はそれほど好きじゃありませんってことです。


 お分かりいただけたでしょうか。

 未来の私が見たら、どう思うでしょうか。

 答えは、この紙の前で呟いてみてください。


 さて、本だいに入りたいと思います。


 未来の自分への手紙なんて考えたこともなかったので、中野先生に書けと命令された時はめちゃめちゃ困りました。


 だから、今思ってることをそのまま書いてやることにしました。


 キレイなもの。


 私にとってのキレイは、お母さんです。

 別にお化しょうがすごい上手とか、サカムケがないとか、特別オシャレさんというわけでもありません。


 元気なのは良いけど、元気すぎるのも良くないわねと、となりのおばちゃんが言ってて、その通りだって思います。


 それは、たぶん未来でも同じだと思います。

 あ、私がそう言ってたってお母さんには言わないでください。めっちゃ怒られちゃいます。


 でも、お母さんはキレイです。

 なにが、といわれたらむずかしいけど、たましいがキレイなんだと思います。

 だから、私はお母さんのことをキレイだと思います――



 ――手紙は途中から、長年の湿気か劣化か何かでぼやけて読めなくなっていた。

 読みづらい鉛筆で書かれた文字は、しかし何度も読み返されたように、手で握られた跡が付いていた。


 私がこの手紙をお母さんが読んだのは、手紙を書いてから丁度十年後のことだだった。

 二十歳になって、成人式の時に届いた十年前からの自分の手紙を母親に奪いとられ、そのまま朗読されてしまったからだった。


 恥ずかしかったなぁ。もう五年前か……いや、六年前か。


 月日の流れに対して鈍感になったのはその辺りからだった気がする。

 毎日を惰性で生きていると、きっとそんな風に磨耗してしまうのだろう。


 お母さんもそうだったのかな。


 たぶん、冒頭のやつはその時ハマっていた児童文学から影響を受けていたものからの引用だ。

 あの時の記憶はあまりないが、今と変わらず捻くれた性格だけは変わっていないようだった。


 あの時のお母さん、泣いてたっけ。


 最初は大爆笑で、徐々に表情が変化して。後半のぐずぐずになった部分は、湿気じゃなくて涙か。


「こんなボロボロなら、捨てればよかったのに……」


 キレイというよりも、豪快という表現が近い人だった。


 いつも周りには人がいて、楽しそうに笑って、そんな楽しそうなお母さんを見てみんな笑っていた。

 私はそんなお母さんが好きだったり、時折うざったかったり……思春期特有の感情が、今になっていろんな記憶と共に蘇る。

 それは蓋を開けた炭酸飲料の様にさわやかで、刺激的で、でもちょっとだけほろ苦くて辛い。


 高校生の時に日付を超えて帰ってきて怒られたこと、一緒に買い物をして、年甲斐もなくお揃いのキーホルダーを買わされたこと。

 台風の目のような人で、私にお父さんがいないことに寂しさを感じさせないように全力で生きていた。


 私は、そんなお母さんが大好きだった。


 人一倍優しく、楽しく、そして辛いことは私に決して見せようとしなかった。

 本当は夜、たまたまトイレで起きた時、電話越しに誰かに謝っていたのも知っている。私を大学に行かせるために夜勤の仕事を増やしたことも。


 寝ている私の背中に向けて弱音を吐いていたことも、そんな次の日の朝は決まってスクランブルエッグが出てきたことも。


 誰よりも、お母さんを隣で見てたから。


 この手紙を書いてから何年も経って、自分がお母さんに感じた『綺麗なもの』の意味が分かった気がする。

 あの時の分かった気になっていたものじゃなくて、本当の意味で。


「もっと、実家に帰れば良かったなぁ……」


 だからだろう、燃え尽きるのが人一倍早かった。

 伝えたいこと、まだいっぱいあったのに、話したいことも、話せてないこともたくさん……たくさんあったのに。


 涙が頬を伝って服に落ちるが、必要以上に黒い生地は涙の形跡を目立たせない。


『悲しくても、前向いときゃどうにかなるもんよ』


 それはお母さんの口癖だった。


 ふと、視線を上げて窓を見る。

 深夜の六畳間に差す月光は、東京の生活で忙殺されてせいで長らく忘れていた色濃い夜の気配だった。


 私はふらふらな足で何とか立ち上がり、窓を開ける。

 冬の夜気は肌を指すように冷たいが、今はそれが心地よかった。


『ゆっくり、日奈子らしく生きるんだよ』


 冷たい風が背中を撫でる。

 お母さんの手、この季節になるといつも冷たかった。だから二人でホッカイロを持って、笑いながら買い物に行ったりしたっけ。


 夜空を見上げると、雲間から星が見えた。

 残業終わりのネオン街では見ることのできない星空を見ていると、お母さんの言葉を思い出す。


 にっと、そんな夜空を見上げながらブサイクな笑みを浮かべる。

 涙でくしゃくしゃになった顔を見られたら、お母さんに笑われるだろうか。


「泣いてたら」


『前見れないからね』


 それは心の中か、それとも口端から漏れた呟きか。

 私だけしかいない空間では、誰にもわからなかった。

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