elf'en assassin 「Ronia」 ~troll drug~
華や式人
0-1
霜が降るほど冷たい冬の雨の中。
一人の女がライフル銃を構えて搭載したスコープを覗き込んでいる。 ビルの屋上、遮るものがない場所。冷たい冬の雨でじっとりと濡れたパンツスーツは彼女の肌に張り付き、すでに白いワイシャツからは下着の色が浮かんでしまっている。
だというのに彼女は、この日本において単純所持すら違法であるアサルトライフルを構えたまま微動だにしない。
新東京区十一区。──数十年前に起きた「座標座礁」の事変によって新設された茨城・千葉・埼玉にまたがる移民特区。ここにいる人間は「人間」という生物学定義が当てはまらない存在が多い。それでも彼ら彼女らは、そこで「市民」として命を繋いでいる。
彼女もまたしかり。金髪に聡明そうな美貌、そして横に伸びた縦に厚い耳。
彼女はエルフだ。種を定義するならばハイ・エルフ。そう呼ばれる種族の女。
ライフルのファインダー越しには何かが見えているのだろう、そして「それ」は標的なのだろう。万物の長者たるエルフに射撃で狙われる不幸。当然、ファインダー向こうの標的が理解しているはずがなく。
しかして同時に、引き金を引いた瞬間エルフの女性も「パブリックエネミー」へと堕落する。そこまで理解できているうえで、エルフの女性は「そうあれかし」と引き金を引いた。
ファイアリングピンが薬莢の雷管を叩く。激発の瞬間、大きな音が鳴り響く。
はずだった。否、一般ならば激発に伴う爆音も必然に起きる。だが彼女の前では、音による識別は意味をなさない。──音もなく飛翔した弾丸が、ファインダー越しの小さな標的、その頭蓋を吹き飛ばした。標的をたがえることなく撃ち抜いたエルフはまた一歩、社会の敵へと墜ちていく。
ため息一つ、音一つ立てず。エルフの女はライフルをしまい屋根伝いに飛び去って行った。
地球の座標が「座礁」した事変から数十年が経った。座標が狂った時間はたった五か月。その短い期間の間に、三十億人とも四十億人とも言われる異邦の民が異世界から流れ着いた。
それらのほとんどは漂流者というより、この世界の定義としては「戦争難民」と呼称した方が都合がいい。すべての種族が己の世界で戦争に負け、地球という小さく狭い大地に殺到した。
さらに特異なことに、彼らは違う世界から訪れたのにもかかわらず、「魔術」と呼称される共通する原理不明の技術を振るう。得てして、それら異世界の技術を「魔術」と定義しているのは人間の都合でしかない。
彼らを戦争難民として呼称した方が大国の都合にいいのと同じように、魔術の存在を人間の好きなように呼んでいる。そんな「魔術」と呼ばれる技術は当然、諜報から軍務、或いは内政にまで、人間の生活に広く影響を及ぼした。
だからこそ、日本含む大国は「多少」の問題に目を瞑り、異世界からの戦争難民を快く受け入れた。
それがどのような結末を引き起こそうとも、他国を出し抜けるなら些事だと、念じながら。
僅か五か月。たったそれだけの時間で世界は大きく変わった。
日本はその中でも殊更異常な例だろう。
少子高齢化に多税、産業の衰退に政治権力の固着による政策の硬化。大戦後の計画のようにどこぞの国らに切り取られて終わってもおかしくない存在。世界的地位も低下し、観光と文化しか残らなかったこの国に多くの漂流民がたどり着く。
だが日本はマイノリティーとして受け入れた存在が数的メジャーになったとしても、受け入れ続けた。あるいはそれはこの国の政治屋が描いた最後の絵空事だったのかもしれない。
結果、規律と規則に縛られたこの国に順応した多くの戦争難民たちは子を授かり、この国の将来に再び炎をともしている。ある意味で、日本は賭けに勝った。
賭けに勝ったのはエルフとて変わらない。どころか、エルフは戦争難民の中でも数的・質的メジャーであり続けている。だからこそ、たとえ一部が秘密結社を組織し殺しを繰り返していたとしても。日本人の評価は変わることはなかった。
「ごめーん、遅れちゃった」
ハイ・エルフの女──ロニアがずぶ濡れのパンツスーツで会議室に飛び込んできた。その姿を見た同僚たちが、慌てて彼女にタオルを渡す。体が乾いていくのをロニアは実感し、周りの女性に「ありがとう」と笑顔を返した。
「遅いぞ」
ただ一人、禿頭の「部長」だけが仏頂面で長い耳をひくつかせる「部長」は融通が利かない。それでも様々な面でロニアよりずっと上にいる部長を、彼女は信頼していた。
ロニアも苦笑しつつ、己の背にあるガンケースを壁に立てかける。残った水滴を手際よくふき取り、空いていた席に腰を落ち着けた。
「それで?相手はどうだった」
部長の言葉にロニアは姿勢を正して「排除完了です」と言葉を重ねた。彼女の返答に満足げな笑みを浮かべた部長が、モニターの向こうにいる存在へと視線を投げる。
「今回の標的、内閣官房とのことだそうですが」
『標的の排除はこちらでも確認できている。よくやってくれた』
その一言でで通信が切れた。淡白な反応に全員が嘆息するが、ロニアだけが変わらず笑顔
「まったく、仕事を突き付けておいてそれだけとは。だがこれでこのクランももうしばらく安泰だな」
部長──そういう役職の殺人団体「クラン」の副長が己の体重を椅子に押し付けた。悲鳴を上げる華奢な椅子を睨みつけた部長だったが、すぐに視線を場にいる全員に向ける。
この場にはエルフしかない。クランはエルフしか入れない。
そしてクランは本来ならば公言した人物に死の罰を与えることになっている。
──そんなものは異世界で巻き起こった滅亡戦争に負けた時、すでに形骸化したのだ。
だからこうして、政府に近しい組織の人間がエルフたちに殺しの依頼を押し付けてくる。
それ自体はクランにとって、そしてエルフの短期的な未来にも好ましいと思って、ロニアは仕事をしている。
椅子に満足げに体重を預けた部長が、やおらロニアの方を見た。
「ロニア、お前に面会したいという客が来ている」
「人間……さしずめ、内庁関係ですか?」
「察しがいいな。防衛省情報隊第六班だそうだ」
部長の言葉にロニアは蓄えた知識の中から最適な情報を引き出す。
防衛省情報隊第六班。国内に存在する対外スパイをあぶり出し「逮捕」している秘匿部隊。特殊作戦群や水陸機動団などから厳選された、心理作戦過程を突破した人員で構成される部隊。
逮捕とは銘打っているが、事実として殺害と尋問、あるいは事故に見せかけた処断などを繰り返す組織だ。この国の表の最精鋭を集めた、裏のエリート集団。
「分かりました。どこで会えばいいですか?」
ロニアの二つ返事に、部長は己の手帳をちらりと見て渋面を返す。
「あちらが指定するそうだ。今日、どこかのタイミングで連絡をしてくるとのことだが」
彼の苦い顔しかし、愉悦が混じっているような気がしたロニア。言葉の意味を探ろうと音を絞ったが、厳選された周波数が周囲に外来者がいないことを伝えてくる。
(私の魔術に引っかからない人間はいないはず。だとしたら、どこで私に連絡を取るつもりかしらね)
ロニアの魔術は「音」──厳密に言えば「波長」に起因する。音という波を操作することなど朝飯前。やろうと思えばあらゆる波長の制御すら出来る。
そんなロニアの探知になにも引っかからないのならば。ここに第六班のメンバーはいない。当然だが友人以外の人間に連絡先を渡すような情弱でもない。となると、ロニアのスマホを事前に調査して把握しているか、町でばったり合ったテイで仕事を渡されるか。
(ま、どこで会おうと関係ないけどね)
仕事をくれるならば仕事をするだけだ。ロニアは口の中で唱えて目を閉じた。
「……家に来るならばご連絡いただきたかったですわね」
雨曝しのなか帰宅したロニアの前に、タワーマンションの警備を抜け、玄関のディンプルキーを開錠して侵入した優男が微笑んでいた。
ただ唯一、ロニアとして考える最悪の場所で面会を選んだ優男に毒を吐きたくなるロニアだったが。
目の前の男が防衛省の制服を身にまとっていることを理解して懸命に怒りを自制。今度こそ入られまいとしっかりドアに鍵をかけた。
「私たちの実力を知らしめておきたくて」
「……なんというか、自信過剰なのですね」
げっそりとしたロニアが部屋を見渡す。荒らされた様子も、ない。リビングには書類の束と、テーブルにコーヒーが二つ。対面に座り、相手をにらみつつ書類に手を伸ばした。
書類は手に付けるが、コーヒーに手を付けようと思えなかった。なにが入っていてもおかしくない、睡眠剤ですら生ぬるい薬物が混入させられてそうで、喉すら乾かなかった。
「それに私はあなたの連絡先を存じておりません。ファーストインプレッションが強烈になってしまったこと、ご容赦願いたい」
平身低頭とはこのこと。彼女が手に持つバッグとガンケースを傍らから離さないのを見て、男は苦笑に顔をゆがめて口を開く。
「これから対等の関係を築き上げたいのですが」
「男が勝手に部屋に入ってくる状況、異常だと思いませんでして?」
「はは、それはそうですね。では私の身分を明かしましょうか」
ロニアの憤慨に納得した男がさっぱりと笑って懐から名刺を取り出し、ロニアに差し出した。
名刺には「防衛省情報局情報科」とだけ記され、名前の部分には数字の「5」だけ載っている。──スパイらしい名刺だ。
「イツキ、とお呼びください」
スパイに名刺が必要なのかというところから気になってくるが、礼儀正しい日本風の自己紹介に怒りが収まっていくのが感じる。
「それで、イツキさんはどのような仕事を私たちクランに押し付けようと?」
怒りの代わりに嫌味をロニアが宣うと、自然とイツキの視線が鋭くなる。彼は小さく口をすぼめて、己の持論をロニアにぶつけ始めた。
ようやく男から感情の類が見え始める。明確な、敵意が。
「私は利用する立場ですが、あなた方の行為はこの国では違法だ」
「……へぇ、おっしゃいますわね」
「だが同時にあなた方を敵に回したくないという霞が関の意向は無視できない。だからこれはあくまで個人の戯言ですが」
糸のようなイツキの眼がかすかに開いた。鋭い視線がロニアの目を貫く。
「あまりに勝手が過ぎると、市ヶ谷が黙っていないぞ?」
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