責任はヒトを追いかける

古 散太

責任はヒトを追いかける

 責任とは、誰かに責めを負わせること。何かあったとき、周囲のヒトから袋叩きにされる役目を負わせる、とも言えるのではないか、とぼくは考えている。

 メディアの中、あるいは社会の中で、責任という単語が飛び交う。

 たしかに社会の中では、責任という重荷を背負って物事を進めたりするが、実際のところ、本当にその責任は果たされるのだろうかと、ふと思う。

 誰かが責任者になり、何かあればそのヒトが責めを負う。責めを負うことは、果たしてその状況の打破になるのだろうか。それよりも、責任者を中心にそこからどう持ち直すか、修正するかを建設的に考えたほうが、有意義で効率的だ。

 そう考えるならば、責任者というより、監督ととらえたほうが、責められるヒトにとっても、責めるヒトにとっても後腐れがない上に、建設的ではないだろうか。そのほうが物事や状況の解決に対して最短距離であるように思える。

 誰のせいかを議論するより、解決するほうが優先されるべきではないか。誰もがそういう考えで人生を歩んでいくのなら、ただの物事が事件や騒動と呼ばれることはないだろう。ただトラブルが起きて、それを解決するだけの話だからだ。

 何かトラブルが起きたとき、誰だって責められるのは避けたいだろう。だからと言って、自分でなければ誰が責められてもいい、ということにもならないはずだ。とは言え、下手にかばいだてをすると、自分に火の粉が降りかかってくるかもしれない。そんな堂々巡りをしているうちに、責任を負わされたヒトは、誰かから、あるいは周囲のヒトからサンドバッグ状態にされている。

 法律はもちろん、会社であれば就業規則、自治体であれば条例など、一人一人が守るべきルールがある。それに抵触していれば、罰せられるし、責められても仕方がないかもしれない。

 しかしヒトはかならずミスをする。ミスをしないヒトなどこの世には存在しない。自分だけがミスをしないヒトだと考えている人は別だが。

 何か行動を起こすとき、かならずミスをするリスクがある。それが初めての行動であればなおさらミスの確率は上がる。それは当たり前のことであり、責めたり責められたりするようなことではないはずだ。ヒトはかならずミスをするのだ。今、責めている人もミスをしてきているし、これからもミスをする可能性はゼロではないのだ。


 ミスをすることは当たり前だと考えると、必要なのは覚悟だ。

 ヒトがこの世を生きていく上で、もっとも重要なこと、それが覚悟だ。

 覚悟とは、一般的には有事に備えた心の準備、という意味になるが、仏教の言葉としての意味は、迷いを捨て、真理を知ることだ。悟りに覚醒する、とも言えるかもしれない。

 簡単に言えば、すべての言動に対してひとうひとつ決意して前進するということになるだろうか。

 決意をする、ということは、流れ作業的な発想や言動をしないということ。なんとなくで動きはじめたり、思いつきで喋ったりしないということだ。それは何もお堅い場所だけではなく、日常的に自分の言動を把握することになる。それは、うかつな言動をしないための抑制になり、なおかつ、今から自分が行う言動について、きちんと考えてから始めることになる。

 そうなれば、「責任の所在が~」などと言う前に、自分のミスであることをきちんと理解し、今後の建設的な責任の取りかたができるようになる。決意をしているからこそ、さまざまな解決のためのバリエーションを用意できるし、賠償や進退などの解決に時間をかけるより、はるかに解決につながる。

 そこで問題になってくるのは、すべてのヒトが覚悟をもっているかどうかだ。

 覚悟のないヒトほど他責思考になり、責任を誰かに押しつけている場合が多いように、ぼくには見えているが、どうだろう。

 すべてのヒトが覚悟をもって、物事に当たらないかぎり、誰かが足を引っ張るかのように「責任、責任」と喚いているだろう。それでは解決には進まないし、場の空気や人間関係も良くはならない。

 ヒトはひとりで生きているのではない。ずっと集団行動で安心と安全を図って今に至っている。ヒトの数が増えればそれだけ、トラブルやミスの数は増えていく。その中で他責思考のヒトがいれば、集団行動はかき乱されるだけだ。

 しかし、ヒトを変えることはヒトにはできない。促すことはできても最終的に変わるかどうかは本人が決めることなので、他責思考のヒトがいたとして、そのヒトが大切なことを理解できるまで変わることはない。

 すくなくとも、自分だけは自分の発想や言動に注意を払い、ひとつひとつ決意をして、覚悟してから行動する。それだけで本当に必要のない体験や出来事は、人生から消え失せていく。そのあとに残るものは、そのヒトにとっての幸福だけだ。

 誰かを責めることでストレスは発散できるかもしれないが、その一瞬のためにこれからの人生に影をつくる必要はない。

 責任を追及するよりも、解決策を考えるほうがはるかに幸せだと、ぼくは思った。

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