なにもできなくても愛しい
三愛紫月
あなた
『ねえ、聞いてる?』
「聞いてるよ」
『早く帰ってくるのよ』
「わかってます」
『飲み過ぎたらだめよ』
「わかってる」
『雨が降ったらタクシーよ』
「はい」
いくつになっても心配されて。
それが堪らなくうざかった。
思春期をすぎて、大人になっても。
その小言がうざくて堪らなかった。
だから、ずっと。
適当にあしらって。
そうやって一生。
あなたは、生きていると思い込んでいた。
「行ってきます」
『行ってらっしゃい』
どんなに嫌みを言っても。
あしらっても。
あなたは、いつも「行ってらっしゃい」をくれたのだ。
「ただいま」
『お帰りなさい。あーー、もう飲み過ぎよ』
「ちょっと先輩に連れ回されちゃったからね」
『どこがちょっとよ』
「はいはい」
『はいは、1回。ソファーで寝ちゃだめよ』
「はい」
『スーツ着替えなきゃ皺になるから』
「はい」
『パジャマに着替えて』
「はい」
うざいけど。
失いたくない時間。
永遠に続いて欲しいほど。
大切な時間。
『お母さん、何も出来ないから。自分でしてね』
「泣きそうな声出さないでよ」
『だって、ほら。こんなんだから』
「わかってるって。俺だって、28だよ!自分のことは出来るって」
『そうよね、もういらないわよね』
「待って、待って、そんなわけないから。母さんは、いるから。必要だから」
『こんなんでも?』
「どんなんでもだよ」
あなたが生きているなら、どんな形でも構わなかった。
「お母さんは、延命を望まない選択をしている。だけど、今は意識がない。君が決めればいい」
「わかりました」
母方の伯父である友也さんの言葉を必死で考えた結果。
延命はしなかった。
だけど、したかったが本音。
あなたにとっては、苦しくて悲しくて辛い日々だとしても。
俺にとっては幸せな日々だから。
どんな形でも、あなたが生きていることが。
「いつか重荷になる日が来る」
延命を望まない祖父があなたにそう言った時。
あなたは、なんて言ったか覚えている?
「そんな日など来ないわ」って。
あの時のあなたの力強い眼差しや声を俺は今でも覚えているよ。
だから。
『もう捨てていいのよ、いつか重荷になるわ。ほら、結婚も出来なくなるから』
「そんな日など来ないよ」
力強い眼差しで見つめた俺の目を見て、ピンク色のくまのぬいぐるみは大粒の涙を濡らす。
49日が終わる頃。
このぬいぐるみが届いた。
生前、母と親しくしていた友人が誕生日に送ると約束したぬいぐるみ。
受け取ったのは、俺。
なぜか、その日の深夜に喋り出した。
なにもできなくても愛しい 三愛紫月 @shizuki-r
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