第十話


 ……いつもより、相当時間をかけて湯呑みを洗うことにした。


 洗い場は寒いけれど、温水が少しだけ両手をあたためる。

 ちょうどよい機会だからと、しつこい茶渋まできれいに洗い落として。

 少しでも自分の気持ちを落ち着けてから、放送室に戻ると……。


「み、三藤みふじ先輩……おかえりなさい」

 静かに歩いてきたはずなのに。

 海原うなはらくんは、まるで『なにか』を警戒していたように。

 すぐに扉を、開けてくれた。


 部屋の中に入る前に、念のため机の上を確認する。

 渡された『それ』を机の上に置きっぱなしにするとか。

 ほうけたように眺めていたりはしていないようだ。


 ……とはいえそんなこと、『恐ろしくて』できないわよね。



「どうかしましたか?」

「なにか?」

「……いえ、ふと笑った気がしたので」

「自虐的なことを考えていただけよ」

「は、はぁ……」


 わたしはそういって、湯呑みなどの入った洗い物のカゴを押しつける。

「ありがとうございます」

 窓際に運んで、中身を乾きやすいようにしているその後ろ姿をチラリと見て。

 わたしは海原くんが振り返るまで、無言で待っていた。



「……同じものをふたつ受け取るのって、どういう気分かしら?」

「はい?」


 わたしの両手から、もうひとつの『それ』が。

 静かに海原くんの両手へと着地する。


「色違いの包装紙に、見覚えがあるのよね」

 わたしの心は、穏やかで。


「でもどうして『同じ』なのかが、謎なのよね……」

 ただ自分自身に、問いかけている。




 ……見えなくてもよかったものが、見えてしまった。




「あっ……ちょ、ちょっと待ってね」

 美也みやちゃんが、慌てた声を出さなければ。

 お弁当包みの『底』にあったものに、気づかずに済んだのに。




 ……わたしには偶然。『それ』が見えてしまった。




 違いがあるすれば、美也ちゃんの包装紙は赤色ベースで。

 わたしのそれは、緑色ベースだということくらい。


 特徴のある包装紙は、間違いなく同じお店のもので。

 あの薄さとサイズで、海原くんために買うものだとすれば……。


「飛行機柄のハンカチ、『本日』二枚目でしょうが。差し上げます」


 先ほどわたしが、どうして『同じ』なのか謎と口にしたのは。

 海原くんが手にした、商品そのものの話しではない。

 同じものを選んだ、美也ちゃんと自分の気持ちの『違い』が謎なのだ。



 クリスマスだから、なにかを渡したい。

 せっかくなら海原くんの喜んでもらえるものを、渡したい。

 同じお店なのは偶然だとしても。

 同じものに目がいったのは……海原くんの好みを知っているからだろう。

 それを渡すと決めて、実際に渡したのも一緒。


 だとしたら……。

 どんな想いで美也ちゃんはそれを、海原くんに渡したのだろう?


 いや、美也ちゃんの気持ちは知っている。

 では、わたしの心の中とはいったい……。



 もしかして。

 もしかしてだけれど……。



 わたし『も』、海原うなはらすばるのことを……。






「あの……三藤先輩……」


 何度か呼びかけているのだけれど。

 なにか深い考えごとをしているのがわかって。

 これ以上邪魔していいのか僕は迷った。

 ただ、黙って受け取って終わるのは失礼だと思ったのだ。


「ご、ごめんなさい。どうしたのかしら?」

 先輩が、ようやく気づいてくれて僕を見る。


「ありがとうございます」

「どう……いたしまして」

「開けても、いいですか?」

「『同じ』ものよ?」

「でも、下さったかたは違います」


 すると先輩は、一瞬なにかを考えたあとで。

「本質は『違わない』ようなので……気にしないで使って」

 いまは開けるな、ということなのだろうか?


「あの、それはどういう意味で……」

「誰からなのかは『決めないでいい』という意味です」

「えっ?」

「美也ちゃんには……わたしが説明しておくので、心配しないで」

「でも、それだと都木とき先輩は……」

「どうして! 知らないままじゃ、ダメなの?」






 ……思わず、声が大きくなってしまった。


 海原くん、ごめんなさい。


 わたしはきっと、怖いのだ。


 選ぶとか、選ばれるとか、はたまた選ばれないとか。

 いつかそんな選択を知らなければならなくなるのが、怖いのだ。



 あなたはきっと、美也ちゃんの前ではわたしを気づかって。

 わたしの前では、美也ちゃんを気づかっている。



 ……誰かを『選べ』なんて、それはきっとわたしたちのわがままだ。




「……ねぇ、海原くん」

「はい」

「クリスマスを、嫌いにはなりたくないの」

「はい」

「だからね、あなたと喧嘩をしたくない」

「……はい」


 差し出したハンカチを、手元に戻そう。

 なかったことに、してもらおう。

 美也ちゃんのものだけあれば、もめることなんてない。

 そうすれば隠すことも、秘密にすることもない。



 ……すべてはわたしの、心の中へ戻せばよい。




 カサカサと、包装紙を開く音が聞こえてくる。


「えっ?」

「本当に同じですよ」

「だから、それは伝えたわよね……」


「うれしいです。気に入ったものをふたつもいただけたら、うれしいですよ」

「そ、それは……?」


「同じものをふたつ受け取るのは、どういう気分かと聞かれたので」

「う、うん……」

「正直に、答えました」

「そう、なのね……」






 ……三藤先輩にも、都木先輩にも。


 自分の口で伝えるのが、せめてもの礼儀だと思った。


「だから都木先輩にもその旨、お伝えするのは。僕にさせてください」


 ……もらいっぱなしの自分が、不甲斐ない。



 誰にでもいい顔をしていては、いけないのだと。

 ごく当たり前のことに、ようやく気がついた。


 もしかしたら、すべてを失うかもしれなくても。

 僕は、それでも自分の心を決める必要があるのだと。

 ようやく少し、理解できた。


 先輩たちや、みんなのあいだで。

 僕のために、隠しごとをさせてはいけないのだ。



「それは……違うわよ」

「えっ?」


 三藤先輩が、半泣きの声で僕にいう。


「ふらふらしていていいの」

「でも、それだと……」


「まだ、それでいいの。それがいいの。そうでないと……困るの……」




 ……あなたは、みんなに『好かれて』いる。




 誰もいま、あなたに選べとはいうはずがない。


 だから美也ちゃんは、必死に耐えている。

 姫妃ききだって、玲香れいか由衣ゆいも……恐らくそうなのだ。



 わたしが。

 一番自分の気持ちを整理できていないわたしが、決めさせてはいけない。



 だから海原くんが『決める』のは、いまではないの。



 女の子同士で、もう少し争わせて。競わせて。

 たぶん……それが楽しいのよ、わたしたち。



 いつかみんなが納得したとき。

 あなたが誰を選ぶかは、あなた次第。



 でもそれは、絶対に。




 ……いまでは、ないの。





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