瑠璃蝶とスノードロップと

月星邏

第1話

「はぁ……やっぱり私、これ以上生きられない……」

 私は柵の外側に立ち、見下ろした。風が轟々と吹き荒れる。地面は遠く、落ちたら苦しむ間もなく逝けるだろう。

 私は生まれてくるのが間違いだった忌み子だ。

 この身を投げ出して地獄にでも堕ちよう。

 そこに聞き覚えのある声が響いた。

「え!? 雪!? 何してるの!?」

 私は振り返り、声の主を目で辿った。黒く短い髪、赤い花車の様な瞳、その少年は私と同い年の友達、ハルだった。

「ハル? 何でここに?」

 ハルは私の問いに答えず、焦りながら言った。

「おい! 危ないだろ! 落ちたらどうするんだ!」

 いつもより語気が荒い。

 それでも私は冷たく淡々と答えた。

「いや、落ちようとしているんだけど?」

「何考えてるんだよ、そんなの駄目だ!」

 ハルは激しく怒鳴った。

 私はこんな事をする理由を告げた。

「私には無理なんだよ生きるなんて、私の母さんと父さんはきょうだいだけど愛し合ってて、私が産まれて私は邪魔者。あんな目に遭うくらいなら生まれた意味が無いし、生きる意味も無い。優秀なら良かったけれど私は出来損ない。そもそも血を絶やさない為とはいえ血縁者同士で子供を産むなんて最悪。しかも私達ずっと外に出られないし。もう一四年頑張ったんだし死んでも良いでしょ?」

 ハルには肯定出来ないであろう問いを投げかけた。

 母さんにも父さんにも生まれてきたのが間違いだと、出来損ないだと言われてきた。私はもう疲れた。私はここで終わりにしたい。

「確かに。それにここ環境悪いしね、でも良くないな。生きる事を諦めなければ何とでもなるんだから。『生きる意味が無い』……なら俺が生きる意味を考える。うーん…………じゃあ親友になろう! 俺と親友になれば生きがいになんないかな!」

 と微笑みながら提案した。

「ただの友達から親友になる……ね。そんなので生きがいになると思っているならだいぶ頭がおめでたいね」

 私は強い言葉を吐き捨てた。一秒でも早く死にたかったからだ。でもハルは真剣な表情をして問いかけた。

「本当に死ぬの? 死ななければ何とかなるかもよ?」

「何度も何度も……何が言いたいの?」

「俺が雪の状況を打開するの手伝うってこと親友になるなら当然でしょ。だから死ぬの勿体ないよ?」

 私はその言葉を聞いてハルはただ無責任に生きろと言っているのではないと思いハッとした。

 ハルの提案はとても魅力的に感じた、この状況を一人では変えられない私は死ぬしかなかったが、協力者が居るなら話は変わる。私は提案を承諾した。

 そして目的を死ぬ事から生きて私の最悪の日常を変える事に変えた。

「……分かった。なら私達今から親友ね」

 そうして私は立っていた柵の外側から内側へ戻った。まるで一瞬であの世からこの世への境界線を跨いだような気分だった。

「あー良かった。生きる事を諦めなければ何とでもなるからね」

「またそれ? 昔から変わらないね。ていうか私が死ななくて良かったってこれから思えるかはあなたにも半分責任があるんだからね」

「うん。分かってる」



 時は明治時代。

 ここは瑠璃蝶家の屋敷。瑠璃蝶家とは神の血が流れていると言われている一族。

 神の血が流れている者は瞳が花のような色になる。

 瑠璃蝶家の先祖が血を売って稼いだ莫大な財産で暮らしている。

 そしてその血を絶やさないために血族同士が子供を産み私達の代に繋がる。

 基本的にこの屋敷から出ることは出来ない、殆どが箱入り娘で箱入り息子だ。

 ご当主の桜様に神の血を狙う者に命を奪われるから屋敷の外に出るなと言われているが、本当は近親相姦が周りの人に知られると面倒だからだと私は思っている。

最近から血族同士で子供を産むことを始めたとはいえそのせいで家系図が大変ややこしくなっている。

 せめて少しでも家を存続させたいと思っているから始めたと思うのだが、改めて考えてみても破滅への一方を辿っているようにしか思えない。

 私がこんな事を考えるのはこの家でも異端寄りだからだろう。

 この家の者は自分の両親がきょうだいでも違和感なんて抱かず家の為だと了承しているし、この家が自分達の代で終わるかも、と憂う者も居ない。

 そんな事を考えながら朝の身支度をする。

 鏡には黒い瞳の冴えない顔の少女と目が合う、この瞳は黒百合のようだと嫌味を言われるので嫌いだ。

 黒百合の花言葉は『呪い』『復讐』だ。

 鮮やかな色の瞳だったらまだ普通の生活ができていたかもしれない、だが実際は黒百合のような色、おまけに無能。無能じゃなかったら、もっと優秀だったら、まだマシだったのかもしれない。そんな事を考えても現実は変わらない。

 そしてこの家の者は目の色に関連した花の名前から名付ける事が常だが、私は『雪』その名付けの理由を親に訊けばスノードロップという花の花言葉が『あなたの死を待ちます』だからと言われた。

 続けて『あんたの目の色は黒百合みたいで不吉だから早く死んでほしい』なんて言われた。

 両親は嘲笑していたのが簡単に思い出せる。

「はぁ……今思い出しても酷いな。あのふたりの血が私の身体を流れているのが凄く嫌だ」

 そう呟いた。

 長い黒髪を梳かし後ろで結い、着物を身につける。母と父に朝の挨拶をしに二人の部屋へ向かう。

「はぁ……昨日私が自殺しようとしてたのハル以外に見つからなくて良かった。見つかってたら面倒な事になってた。そういえば実際に自殺した人がこの家でひとり居たよね、自殺してたらふたり目になってたのか。はぁ……それはそれとして、母さん、父さんに挨拶嫌だなぁでも行かないと怒られるからな。なのに『朝に顔を見たくない』とか言われるんだよね」

と小声でぶつぶつ呟きながら両親の部屋の前まで来た。その間にすれ違った少女に

「出来損ないの呪いがうつるから近付かないで」

 なんて言われて避けられたがいつもの事だ。

 何をしているのか気になったので、いつも通り襖の前で聞き耳を立てる。もうとっくに起きている時間のはずなのに話し声一つ聴こえない。

 憂鬱ながらも不思議な気持ちで襖を開け、広がっていた光景に目を疑った。そこに広がっていた光景は、胸部が血だらけになり刃物で刺された様な痕跡のある両親の死体だった。

 寝ている間に殺されたのか、抵抗した様には見えず胸部の刺し傷に目を瞑れば、ただ布団に横たわって眠っているように見えた。

 私は思わず息を呑んだ。

「え? え? ど、どういう事? 誰がこんな事を?」

 信じられない光景に狼狽えていると後ろからハルが音も無く現れた。

「えっ!? し、死んでる!?」

「びっくりした……ハルか……驚かせないでよ」

 ハルは両掌を顔の前に合わせて軽く謝った。

「ごめんごめん。ていうか何で死んでんの?! 俺『この状況を打開する為に手伝う』とは言ったけどここまですると思わなかったよ!?」

 ハルは私を犯人とでも言うように話を進めようとした。

 誤解をされたのが嫌で私は少し怒り気味でまくしたてた。

「いや違う私はやってない。挨拶しに行こうとしに来て、なんかやけに静かだなって不思議に思いながら襖開けたらこうなってたの」

 私がそう言うと、ハルは少し驚きながらもごめんと謝った。

「いいよ。はぁ……と、とりあえずご当主に知らせようか……」

 私は一日が始まったばかりなのにもう既に疲れていながら提案した。



 私はご当主に両親が亡くなった事を知らせた。

 そしてその一大事に屋敷中の人が集められた。

「そうですか……あのふたりが。雪、両親が亡くなってさぞ悲しいでしょう」

 ご当主は確か、五〇歳程だが、四〇歳くらいに見える見た目が若い女性だ。髪をまとめ、美しい顔に良く似合っている綺麗な着物を身に纏っているがその顔は悲しみで曇っている。

「……その、はい……お気遣い感謝します……」

 周りの人の憐れみの視線が辛い。正直私は驚きはしたが、両親が嫌いだったからかそこまで悲しくはなく、解放された様な清々しささえあった。

 ご当主は同情したかと思えば信じられない言葉を吐いた。

「でも雪、分かっているのですよ? あなたが両親の命を奪ったのでしょう?」

「え……? どういうこと……ですか? 私はやっていません……」

 予想もしていなかった言葉に戸惑った。

「雪。あなたは両親が嫌いだった、それはよく見ていれば分かります。だからあのふたりを手にかけたのでしょう?」

 と、ご当主は続けて言い放った。私は両親が嫌いだということが気付かれていた事に少し驚きながらも、ご当主が私を犯人にしたい理由を理解した。

 私は落ちこぼれだ、居ても居なくても変わらない……いや居たら迷惑だ、だから私を犯人にして私を消したいんだ。そんなことを考えている内に周りは憐れみの視線ではなくなっていた。その視線はまるで私を殺人者と決めつけるようだった。

「言わなくても分かっていますよ。雪を座敷牢へ連れて行きなさい。人ふたりを殺めた罪は重いですよ、その命をもって償いなさい」

「違う……私はやってません……!」



 一本のろうそくだけが光源の薄暗い座敷牢、私はそこに閉じ込めらている。

「座敷牢があるのは知っていたけどまさか自分が閉じ込められるとはね、結局私は死ぬ運命なのか……」

 せっかく生きようと思った矢先にこれだ。

 きっとご当主は、私を親殺しの罪人という自分に非がないやり方で消す事が出来てさぞ嬉しいだろう。

 そもそも、ご当主の言っている事はめちゃくちゃ過ぎる。

 ひとりくらいは

『おかしい』

 と異を唱えても良いんじゃないか。

 とは思ったが、すぐに反対の意見を思いつく。

 それは、私に味方は居ないし、居たとしてもあんな大勢の前で私の味方をしたらその人がいじめられる、というもの。

 ため息をつく。

 ひとり、絶望と、やっとこの人生に終止符を打てるという安堵が入り混じった感情でいるとそこにハルがやってきた。

「雪! 大丈夫?」

「ハル!? よく来れたね? 見張り居たと思うけど」

 私は心細さが薄れ少し頬が緩んだ。

「まぁね。それよりどうやって雪を解放させよう……あ! 俺、ご当主に雪は犯人じゃないって説得してくる!」

「え! 分かった。気を付けて」



 ハルが説得してくると言ってから何時間経っただろうか。

 いまだにハルは来ない。

「はぁ……やっぱり無理だったのかな……」

 無理に決まっている。ご当主は私を死なせたいのだから、そう思って諦めて死ぬ覚悟をする。

「お腹減った……」

 普段夕食を食べる時間だとお腹が知らせる。

 明日死ぬ相手のご飯は流石に用意されなかった。

 仕方なく私は眠った。



 眠りから覚める。今は朝なのか夜なのかも分からない。

 人の足音が近付き、体を起こし姿勢を正す。

 来た人は桔梗さんという、薬品を作っている人だった。その手には小さな瓶が握られている。

「おはよう。昨日、あんたを殺す為に毒作ってって当主に言われたから、はい飲みな」

 そう言って瓶が木格子の隙間から入れられた。

 私の人生ここまでか、そう思って瓶に口を付ける寸前、ハルの言葉を思い出した。

『生きる事を諦めなければ何とでもなるからね』

 そうだ、諦めなければなんとでもなる。

 私は瓶を置き桔梗さんに弁明した。

「桔梗さん話しを聞いてください。私は冤罪なんです!」

「え?私に言われても……」

 桔梗さんは少し戸惑った様にも迷惑そうにも見える。

 桔梗さん程の人じゃないと今の私の末路は変えられないだろう。申し訳ないがご当主を説得してもらいたい。

「私はただの第一発見者です!」

「面倒。早く毒飲んで。あんたが毒飲むまで目離すなって言われてるの」

 桔梗さんは少し語気を強くして言った。

「い……嫌です!」

 私は断固拒否した。

 私と桔梗さんでしばらく押し問答を繰り広げていると、私と同じ位の年の少女と大人の男の人やって来た。少女はいきなり謝った。

「ごめんなさい……私のせいで」

 私は一瞬何故謝られたのか分からず驚いたがここに来たということは『あなたに罪を被せてごめん』という事だろう。

「もしかしてあなたが私の両親を殺したの?」

 少女は申し訳なさそうに答えた。

「はい……ごめんなさい罪を被せちゃって。私もあの人達が嫌いで……だってあの二人、私が仕事を失敗する度に『役立たず』とか『死んだ方がいい』とか言ってきて。確かに失敗した私が悪いですけど……しかも私の婚約者も酷い事をあの二人に何度も言われて、そして自分で命を絶ってしまって……それで私はあの二人を許せなくなって、殺す計画を数ヶ月前から考えてたんです」

 桔梗さんは少し驚いた顔をしている。

「そうだったんだ。私の両親、私以外にもあんな感じだったんだね。ますますあの二人の血を引いてるのが嫌になったよ……でも自首してくれて良かった。ありがとう」

 とは言ったが、ご当主や他の人的にはあまり良いことでは無いだろう。私では無く目の前の子が死ぬのだから。

 この屋敷にはとても多くの人が居るがこの子が死ぬのと私が死ぬのではだいぶ違うだろう。なんて考えていたら近くにいた桔梗さんの声で遮られた。

「じゃああんたがこの毒飲んで」

 と桔梗さんが少女へ瓶を差し出した。

「……はい」

 少女は、か細い声で返事をした。

 私は少女が毒を飲むのか見ていると、

「ほらお前、そこから出ろ」

 と言われ牢の扉を開けられた。

「あ、分かりました」

 私は意外とあっけないなと思いながら返事をして牢から出た。

 私が犯人だと決めつけられた時はどうしようかと思ったが、なんとか出られて安堵した。

 この少女が死ぬのは少し悲しいが人を二人殺したのだから当然の報いだろう。

 と私は思ったが目の前で毒を勢い良く飲み干し、苦しそうに咳をし、吐血をし、そのまま倒れて死んだ少女を見て、私は死は怖いものと思い、自分の非情な考えを恥じた。

 私は座敷牢を出て数時間振りの陽の光を堪能する、だが相変わらずこの屋敷は空気が重い。

 こんな性格にもなる。

 しかも自分と同じ位の少女の死を見てより暗くなった。

「ハル、どこ行ったんだろう……?」

「雪! 出られたんだね!」

「うわ!?」

 丁度ハルの事を考えていたので驚いてハルの方を振り返った。

「うん……出られたよ」

 先程起こった事をハルに話した。少女の死を見た事を除き。

「そんな事があったんだでも死ななくて良かった!」

 ハルは嬉しそうに、にこにこしている。

 そんなハルに私は切り出した。

「いきなりだけど、あなたは『この状況を打開するのを手伝う』って言ったけれど、まず一つ目の壁、私の両親が死んで偶然打開出来た。でもまだ完璧には出来ていない。二つ目の壁、この屋敷から抜け出すにはどうすれば良いかな?」

 ハルは頭に手を当てながら答えた。

「うーん……ほんとにいきなりだね……どうやって抜け出すか……ね。……やっぱり直談判?」

「直談判……直談判ね……まぁ無理そうだけどご当主に言ってみようか」

 そう言って私達はご当主の居る部屋へ歩みを進めた。



「この屋敷から出たい? なりません」

 ご当主は私達の願いを冷たく否定した。

 それでも私は諦められず理由を訊いた。

「何故ですか!」

「それは、私達の身体には神の血が流れています。この目の色がその証です。この家の外の世界に出れば神の血を狙う者に殺められてしまうかもしれません。だからこの屋敷から出てはいけません」

 私はそう言われて直談判は無理だと判断し、ご当主の部屋を出た。

「そうですか……分かりました。失礼します」

 そして部屋の外で待っていたハルに結果を話した。

「そっか〜無理だったか〜ま、望み薄だったからね」

 ハルは残念そうにしながらも眉をハの字にして笑っていた。



 私達は今日の仕事を終わらせ、私の部屋で作戦を練った。

「よし。次の作戦はどうする?」

 私はハルに訊いた。

 ハルは少し考えた後、口にした。

「まあ単純に夜、見張りの目を盗んで塀を越えれば良いんじゃない?」

 確かにそうだが、本当に大丈夫だろうか。

 だが今はこれしか思いつかないのでやるしか無いのだろう。

「分かった。私……ここから出る為なら人を殺すのだって――」

「駄目だよ。それは雪が一番知ってるでしょ?」

 ハルは私の言葉を遮り、真剣な眼差しで見つめた。

 ハルの珍しく真剣な表情に気圧され言葉に詰まった。

「そ……そうだねごめん血迷った」

「うん、諦めなければ何とかなるから!」

「見張りの目を盗むか……睡眠薬を盛ったら何とかならないかな?」

 私はポツリと呟いた。

「睡眠薬ってどうやって手に入れるの?」

 ハルは不思議そうな顔で訊いてきた。

「桔梗さんに『最近眠れないので睡眠薬作って下さい』ってお願いする」

「うーん……騙すのか、まあしょうがないね」

 ハルは私の提案を以外にも了承した。

「じゃあ明日頼みに行こうか」

「そうだね。今日の所は休んで英気を養おう」

 そう言ってハルは、おやすみと続け部屋から出た。

 私もおやすみと返しハルを見送った。



『また失敗したの? 責任を取る私の身にもなってよ』

 失敗してしまった。また。こうやって母さんに怒られるのは何度目だろうか。

『はぁ……本当にお前は無能だな』

 父さんに追い打ちと言わんばかりに吐き捨てられる。

『ごめんなさい……もう失敗しないから……』

私は両手を握りしめ、両親の罵声に堪えた。



「……嫌な夢見たな……」

 もう両親は死んだというのに、ふたりの声を聞くなんて朝から嫌な気分だ。

「今日は睡眠薬を作ってもらうよう頼まなくちゃならないんだよね……この家から出るために」

 私は布団から起き上がり朝の支度をした。



「おはよう! ……なんか浮かない顔だね嫌な夢でも見た?」

 ハルは相変わらずの笑顔で挨拶した後心配そうな顔で訊いてきた。

「うん。昔の夢をね……母さんと父さんに怒られる夢。もう死んじゃったのにね」

 私は少し笑って言った。

「そんな顔しないでよ。もう雪の両親は居ないんだし、そんなに暗くなる必要無いって! 両親居ない者同士一緒に頑張ろう!」

 私はよっぽど酷い顔をしていたのか、ハルは精一杯励ましてくれた。

「うん。ありがとう。そういえばハルも両親居ないんだったね。昔病気で亡くなったんだっけ?」

「そうだね。でももう悲しくないよ」

「そっか。よし今日も頑張ろう」

そんな事を話している間に食堂に着いた。



 私は仕事の合間に、桔梗さんの部屋の前に来た。

「すみません! 桔梗さん居ますか?」

「何」

「お願いがあって」

「入って」

感情の起伏が少ない冷たい声が聞こえ、その声に従った。

「失礼します」

 部屋の中は壁が引き出しになっており薬の材料が入れられる様になっている。

 桔梗さんは淡々としていて冷たいが見た目は可愛らしい女性だ。目は大きくぱっちりしており綺麗な紫色、髪は綺麗な黒髪で肩に付く位の長さだ。

「で、何、用事って」

「えっと……最近眠れなくて……睡眠薬を作って欲しいのです……」

 緊張で少し声が裏返ってしまったが何とか伝えられた。

 桔梗さんは少し怪訝な顔をして

「錠剤?水薬?どのくらいの量?」

 と立て続けに訊いた。

 作ってくれる事に嬉しくなり顔が少し綻んだ。

「えっと……二ヶ月分を……水薬で」

「分かった。明日、今日と同じ時間に来て」

「ありがとうございます!」

 深く頭を下げ礼を言って、部屋を後にした。

 何とか作戦が成功した。二ヶ月分で足りるだろうか、そんな事を考えてももう頼み終わったので私は足りると信じて待つしか無い。



「ほら出来た」

 と差し出されたのは瓶に入った要望通りの水薬だ。

「ありがとうございます」

「小匙一杯が一回分」

「分かりました」

「味とかは殆ど無いように作ったから」

「ありがとうございます」

 薬を持って桔梗さんの部屋を後にする。これくらいあれば見張りの人数分足りるはずだ。薬は無臭、無色透明でこっそり盛るには絶好の薬だった。味も殆ど無いと言っていた。

「これでよし。後は私が料理当番の時、味噌汁にこれを入れるだけ」

「俺達は味噌汁飲まない様に気を付けないとね」

とハルは続けた。



 よし今日は私が料理当番の日だ。作戦を実行しよう。

 いつも通り味噌汁を作り、最後に他の料理当番の目を盗み睡眠薬を入れた。これでいけるはず。ただ引っかかるのがご当主はこれを飲まない事。ご当主は自分が信頼した料理人に料理を作らせている。ただご当主だけなら大丈夫だろう。そしてとうとう食事の時間が来た、皆の席の前には睡眠薬を入れた味噌汁がある。これを飲めば数分後皆は深い眠りにつく。おかずやご飯を食べながら他の人が味噌汁を飲んでいるか注意深くかつ、見ていることを気取られ無いように見る。そうしている間に、私は味噌汁以外を完食した。これで後は待つだけだ。



 時刻は夜の八時。味噌汁を飲んだ人は睡眠薬で眠っている。

「よし見張りは寝てる早く出よう」

 私は事前に纏めた荷物を持ち、小声でハルに言った。

「分かった」

 ハルも小声で返事をし、私達はすり足でこっそり正門まで行った。

 木の剪定で使うはしごを高い塀に掛け登る。その時、後ろから女性の声が聞こえた。

「雪、この家から抜け出す事は許しません」

 それは間違い無くご当主の声だった。

 私は逃げようと急いではしごを登ったが、ご当主にはしごを倒されそのまま落ちてしまった。頭と背中が硬い地面に打ち付けられる。頭が割れる様に痛かった。

「やっぱり分かりますよね……あなたにこの屋敷から出たいと直談判したんですから……」

 私は諦めた様に言った。

「はい。まさか睡眠薬を使うとは思いませんでしたが」

 ご当主は淡々と口にした。

 ご当主にバレてしまった。しかしこの行動自体に意味がある、もう一度話し合おう。頭と背中が痛いが身体を起こし、立ち上がった。

「ご当主。もう嫌なんです、この屋敷が。ひとり、自ら命を絶った人が居ますよね? これだけでこの屋敷を……瑠璃蝶家を物語っています。しかも血縁者同士で子供を産むなんて破滅への一方を辿っています。もうやめてください。私達をこの屋敷から解放してください」

「……」

 私の必死の訴えにご当主は私から目をそらした。

「ここは空気が重くていられないんです。それは……あなたも分かりますよね?」

「……」

 ご当主は何か考えている様に見える。

「ご当主。どうかお願いします」

 私は頭を下げた。

「……分かりました」

ご当主は静かに言った。



 私は瑠璃蝶家の医務室の寝台に横たわっている。

「はぁ……結局抜け出せなかったな。でもまあ良い結果に着地したからいいか」

 この屋敷は私のご当主への言葉でとても変わった、何と瑠璃蝶家の者全員が話し合った結果、瑠璃蝶家の屋敷を解体。それに伴い皆解散する事が決まった。つまり家族全員自由になるのだ。勿論ちゃんと全員に財産を分配して。

 ご当主は

「この家を存続させる事ばかり考えていて他の事が疎かになっていました。この屋敷を取り壊して終わりにします。皆好きに生きて下さい」

 とのこと。

 そして驚きの事実がご当主の口から明かされた。

 それは、神の血が流れているというのは真っ赤な嘘で、特殊な目の色は瑠璃蝶家の人間の体質とのこと。

 それを利用して先祖は騙してお金を稼いでいた、それが瑠璃蝶家の莫大な財産の真相だった。

 それを聞いた屋敷の者は皆驚いていた、私は驚きはしたがやっぱりかと思った。私に神の血が流れていたらこんなに無能なはずないから。

 そして私達が軟禁されていた理由は私の予想通り近親相姦を周りの人に知られないためだった。

 そんなこんなで皆荷物を纏めたり、誰と屋敷を共にするか等でざわざわしている。

「それにしても雪が無事で良かったよ。」

 ハルは相変わらずにこにこしながら言った。

「うん。あぁ私も荷物纏め直さないとな〜」

「そうだね。ま、今は傷を治すことに集中しなよ」

「うん。ありがとう」

「あ、そういえばこの屋敷から抜け出す時ご当主が来たけど、その時どこ行ってたの?」

ふと思い出したので訊いてみた。ご当主と話しているときは話に夢中でハルの動きを気にもしなかった。

「その辺隠れてたよ」

「そっか」

「ねぇ、雪は今、死ななくて良かったって思ってる?」

 ハルがいきなり訊いてきて藪から棒に何だと思ったが、前にハルが私の自殺を止めてくれて、私達が親友になった時

『私が死ななくて良かったってこれから思えるかはあなたにも半分責任があるんだからね』

なんて言ったのを思い出して質問の意味を理解した。

「うん。あの時は止めてくれてありがとう」



 私が屋敷から抜け出そうとして失敗した日から二週間経った。怪我もほとんど治った。

 少しずつやった荷造りの続きをする。今日中に出発する予定なので急いでまとめる。私はハルと出るつもりだが、ハルはどうだろう。私はハルに尋ねた。

「私はハルと屋敷を出るつもりだったけどハルはどうするの?」

「もちろん雪と一緒に行くよ! 親友だもん」

「そっか。なら良かった」

「あ、そうだ私の荷造り終わったらハルの荷造り少し手伝うよ?」

「え? うん分かった」

 私の荷造りが終わったのでハルの荷造りを手伝う為に、ハルの部屋に向かおうとしたがなかなか部屋が見つからない。

「あれ? ハルの部屋どこにあるの?」

「あれ? どこだっけ……」

 ハルが頭を抱える。

「自室覚えてないとかあるの? ちょっと他の人に聞いてみよう」

 私は同い年程の少年に話し掛けた。

「ねぇハルの部屋どこにあるの?」

 少年は少し考えてから言った。

「はる? 誰それ?」

 私はこの屋敷は人数が多いので分からないのだと思い軽く説明した。私だってこの家の全員の顔と名前は一致していない。

「ハルだよこの人」

 と顔をハルの方に向けて見るよう促した。

 しかし少年は釈然としない顔で言った。

「この人? どの人だよ」

「え? どういう事? ハルは……ここに居るけど」

「お前大丈夫か? まだ安静にしてた方が良いんじゃないのか? 俺もう行くからな」

 意味が分からない。ハルが見えていない? 混乱する頭でご当主に聞きに言った。

「ご当主失礼します……! あのハルの部屋ってどこですか?」

「はる? ……瑠璃蝶家にそんな名前の人は居ないはずです」

「家系図、調べさせて下さいますか……!?」

 私は焦燥感に駆られながら訊いた。

「はい」

 ご当主はすべて分かっているかのように、静かに了承した。

 私は瑠璃蝶家一族の家系図を受け取り、ハルの名を探した。だが見つからない。私達の代を何度見ても、先祖の代を見ても見つからない。

「どうして? 何で見つからないの? ハルは誰なの?  どこなの?」

「雪、貴方には私達に見えない友達が居るようですね」

「え……どういう事ですか……?」

「『はる』とやらは貴方の空想の友達だと思います」

「空想の?」

 私はまだ少し混乱している。ハルは存在していたと思っていたのに空想の友達? どういう事なのか。

「子供は空想の友達を創ることがあります。大体はある程度の年齢になると消えますが、一部の子供は消えずにそのまま成長する事もあるようです」

「それが私って事ですか……」

 まさかの事実に呆然としてしまう。

「教えて下さりありがとうございました……あ……それとこれから出発しますので今までお世話になりました……」 私はご当主にお辞儀をして部屋を後にした。

「はい。これから頑張って下さい」

 ご当主は優しく微笑み送り出してくれた。



「……ねぇハル私ちょっと落ち込んでる……ハルが存在しないって知って」

 私はハルに自分の感情を吐露した。そんな事しなくてもハルは私の感情なんて知っているが。

「えー? 存在はしてるよ? 雪が存在してるって事は俺が存在してるって事だから」

「そっか。ハルは相変わらず明るいね」

「そりゃあ雪は暗いんだから俺は明るくなきゃ」

「頼もしいね……! それじゃあそろそろ出よっか」

「うん! そうだね!」

 そして私は荷物を持って瑠璃蝶家の正門前に立つ。

 新しい門出を祝うには相応しい晴天だ。

 ハルは存在していないが存在している、この先もたとえハルが居なくなっても頑張れるはず、私は『諦めなければ何とかなる』とハルに教えられたから。


 瑠璃蝶とスノードロップと花車

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