雨女病

サブ部長

雨女病

 ――――彼女は後天性の雨女であった。


 発現と発見は突然だった。母親が観る天気予報では快晴の空が見えるだろうと予報されていた、そんな日だった。


 いつも通り学校へ行く支度をし、父親と母親に「いってきます」と告げ、少女は玄関の扉を開ける。そして、彼女の体が敷居を越えたその瞬間、空気が湿り気を帯び、まもなく雨が振り始めた。ポツン、ポツンと。


 やむを得ず、少女は傘を手に取った。「気象予報士さんだって所詮は人間なんだな」と思いつつ、重い足を引きずって、「お気に入りのスニーカー」を眺めながら、学校へ向かった。


 ここまでは天気予報が外れた日常であると言えるが、問題はこのあとだ。少女が家から離れれば離れるほど雨が強くなったのだ。最初こそ小雨だったものの、学校に着くころには記録的短時間大雨情報とやらが発表されていたらしい。皆、帰るのが大変だった。


 これがこの日だけの話だったら、自然界における人間の小ささを思い知る話で終わらせられるが、これが数日続いた。数日だ。色々な機関が悲鳴をあげている。


 そろそろ少女も察してきた。


 最初まさかと思ったときは己の自意識過剰を嘆いたが、ここ数日外出する日は毎回雨なのだ。天気予報がどれだけ必死に晴れを主張しても必ず雨が降る。そのまさかであると思えるだろう。


 いい加減母親も疑心暗鬼になってきた。天気予報を信頼して洗濯物を干した結果濡れるのだ。室内干しが増えた。


 そして遂に少女は学校を休んだ。元々学校へ行くことに嫌悪感を覚えていた頃だ。


 少女が初めて学校を休んだ日は晴れた。学校へいつも通っている人たちからすれば久々な太陽の元での登校だろう。おめでたい話である。


 次の日も学校を休んだ。天気予報通り晴れた。


 次の日も学校を休んだ。天気予報通り晴れた。


 次の日は少しの罪悪感に感化され、学校に行こうとした。天気予報は外れ雨が降った。最終的に学校は休んだ。


 ここまで来たらいくら仮説は馬鹿げているとはいえ信じるに値すると少女は判断した。そう判断したら多少罪悪感は減るのだ。気象予報士さんの名誉を守るという大義名分も手に入れた気分だった。


 ◇◆◇◆◇


 その日の天気予報は晴れだ。そして少女は家の中にいた。不本意ながら余った時間を消費しようと、動画サブスクのホーム画面を見漁っていた時だ。


 何の気まぐれか普段観ないはずの恋愛リアリティショーを観ようと思ったのだ。高校生のキラキラした恋愛を観てみたかった。


 広告が終わり、番組が始まる。男女それぞれ数人の高校生が集まって自己紹介へと入る。名前、出身地、趣味、タイプ等々、誰もがキラキラした目で己を語っている。後に映像として不特定多数に観られるのにもかかわらず。それが少女にとって羨ましくも悔しくも悲しくも思えた。


 そして突然雨が降った。家の何処かから母親の悲鳴が聞こえてくる。珍しく外に洗濯物を干していたらしい。ドタバタと足音が聞こえ、少女は洗濯物を取り込む手伝いをすることになった。


 洗濯物への被害を最小限にすることだけを考え、二人は必死になって取り込んだ。慌てふためいて洗濯物が地面に落ちようものなら最悪だ。まさに、焦らずゆっくり丁寧に、そして急げ。他事を考えている暇はない。そんな中、雨は徐々に弱まっていった。


 なんとか二人の力で洗濯物を取り込み終わった頃には雨がやんでいた。部屋に母親の特大溜息が響いた。


 ◇◆◇◆◇


 少女の不登校生活に変化が訪れたのも突然だった。その日の天気予報は雨。少女が外に出なくとも雨は降っていた。


 父親は仕事へ出かけ、母親はパートへ。秒針がただひたすらに鼓動を主張する部屋で少女は教科書を読んでいた。イマイチ理解できないことばかりが並んでいる。今頃、勉学に励む「同士」達はこの言葉の意味が、数式がなぜ成り立つのかを知っているのかと思うと罪悪感が止まらない。


 そんな孤独の中、ピロンっと電子音がなった。少女のスマホからだ。


 ダイニングの机に置いていたスマホを手に取り、ロック画面を確認すると、その通知の正体がメッセージアプリからのものだと判明した。送り主は、少女が楽しく学校へ通っていた頃に仲良くしていたクラスメイトだ。


『―――――』


 通知欄に表示されたメッセージが自然と目に入る。


『――――?』


 新しいメッセージが受信された。他愛もない、極普通のメッセージである。


『――――――』


 試しに返信してみた。直接ではないものの、家族以外と会話するのは何日ぶりだろうか。何か責められるのではないかと思うと言葉に詰まるが、必死に言葉を考えた。少し文章が固くなってしまったかもしれない。


『―――』


 しかし、返ってきたのはラフな返答だ。何処か温かみを感じる。


 その後も会話は続いた。クラスメイトは休み時間が終わってしまったらしく、途中で返信は途絶えたが、それが少女には悲しくて仕方がない。


 気づけば天気予報は外れ、空は晴れていた。


 次の日も会話をした。


 次の日も会話をした。


 次の日はおしゃべりをした。


 次の日もおしゃべりをした。


 おしゃべりは何日も繰り返された。


 気づけば、今まで話したことなどない、自分のことを語り合ったりもしていた。一方的な自己語りではない、相互的な好みの共有である。これが意外にも盛り上がった。


 次の日、少女は勇気を出してみた。勿論、ここ数日の電子機器を経由した言葉のやり取りなど、今までの引きこもり生活に比べたら僅かなことであるが、微かな勇気が芽生えるには十分すぎた。


 根本的問題は残念ながら解決できていない。相談すらできていない。しかし、大袈裟なのかもしれないが、少女には一歩踏み出す価値が新しくできた。


 気象予報士さんは堂々と晴れを発表している。


「いってきます」


 少女は両親にそう告げ、玄関の扉に貼られたゴミ出し日程表を視界に収めながら、ドアノブに手をかけた。


 久々に見た気がする空には、青空と雲と虹があった。

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雨女病 サブ部長 @sub_bucho

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