恋するタヌキの皮算用

@ramia294

 タヌキだって恋をする

 職場の健康診断で、要検査とされた。


 やや落ち込みながらも、診断結果を信じきれてない。まだ自分は、本当は健康なのだと信じている岡野慎吾。


 心の何処かで検査なんて、無駄だろうと根拠無く信じながらも、再検査をするための病院に訪れた。


 岡野慎吾は、周囲を気にする目は、持っていた。


 しかし、生まれつき、合理性を優先する彼は、社内では浮いていて、出世レースからは、早い段階で脱落した。

 もっとも、本人は出世なんて興味がなかった。


 そんな、岡野は現在いま、県内の小高い丘の上の白い建物の中にいた。

 県内最大規模の病院は、クルマを持たない者には、不便な立地にある。


 しかし、この病院は、県内で最も信頼されている。


 病院の建屋の構成は、外来棟と入院棟のふたつの建物が、4階の渡り廊下で繋がっている。

 隣接する巨大な6階建ての立体駐車場を含めると、けっこう大規模な病院だ。

 

 しかし、どんなに立派でも、病院というものは縁遠い方が良い。


『健康というものは、長く連れ添った夫婦に似ている。普段はあたりまえの様に側にいる存在で、日々の感謝を忘れているが、失くして初めてかけがえの無いものだと理解する』


 病院の雰囲気が彼にそう思わせたが、独り身の岡野が言ったのでは、説得力を持たない事は、彼自身理解していた。

 彼女いない歴イコール年齢の岡野に、そんな女性が彼の前に現れる事がこの先訪れるだろうか?

 

 病院というところは、待たせる事が信用を得る唯一の方法だと考えているようだ。

 検査結果を伝えて貰うために、病院の妙にお尻がモゾモゾする椅子で、もう一時間近く待たされている。


 病院なんて行き慣れていないので、待つ事に疲れてきた岡野は、早く健康診断の判定が間違いだと知らせてほしいと、切に願った。


「岡野さん。岡野慎吾さん」


 やっと呼ばれる。

 診察室の白いドアを開けると、パソコンの画面とにらめっこしている医者が冷酷に告げた。


「ガンですね。しかもステージが進んでいます。ステージ4ですね」


『そうか、あの健康診断は、信頼出来るものだったのか』


 そう頭の中で、反芻しながらも未来の自分の姿を想像して、泣きたくなった。


 医者は、いつの時代にも患者には、冷酷だ。


「大丈夫です。ご存知だと思いますが、現在、ガンは100%完治出来る病気です。もちろん手術なんて必要ありません。全て抗がん剤治療で完治します。では、来週から抗がん剤治療を行ないますので、予約を取ってまたおいで下さい。保険適応ですので、治療費の心配も必要ありません」


「先生、もちろん治療は受けます。しかし、あの姿は何とかならないものですかね?」


 患者には、もう何度も言われているのだろう。

 苦笑する先生の白衣の胸には、金子と書かれた名札が揺れている。


「お気持ちは、理解出来ます。しかし、どんなガンにでも効くあの特効薬の強い副作用に、点滴では、人間の身体は耐えられません。あの投薬方法しか現在は無いのです」


 医者は、まじめな顔でこたえているが、名札が揺れている。

 間違いない、笑っている。


 2050年現在、ガン治療はそれまでの治療スタイルとは、一線を画していた。

 2035年、日本のシガラキ博士により提案された全てのガンを完治させる抗がん剤。

 しかし、その運用方法が、前代未聞だったのだ。


 シガラキ博士は、自身で完成させた抗がん剤が、それまで通り点滴で投与したのでは、身体に負担が大き過ぎるという難問にぶつかった。

 強過ぎる副作用が、場合によっては、患者の命を奪いかねない事に気付いた博士は、ある物を用いた。

 それにより、1年半という長い時間をかけて、完治に充分な量を投与する事に成功した。


 全く副作用のないこの方法、いや、副作用を感じないこの方法は、画期的だった。

 しかし、そのため患者に強いる姿に、患者の中には心に負担を感じる者もいた。


 それは……

 信楽焼きのタヌキの姿になるからだ。

 一般に知られるシガラキ博士の名前は、本当はシガラキではない。

 この画期的なタヌキ型スーツの発明と普及により、そう呼ばれるようになった。


 ガン治療中の患者には、信楽焼きのタヌキ型スーツを与えられる。


 これにより、信楽焼きのタヌキを作る過程で、特殊な粘土に練り込まれた抗がん剤を少しづつ患者の身体に染み込ませる。

 1年半かけて、少しずつ取り込まれた抗がん剤。

 時間あたりの摂取量は、微量であるため、副作用を患者には全く感じない。

 しかし、ガンは確実に消えてゆき、患者はアポトーシスも取り戻す。


 ただし、治療が始まれば、そのスーツを脱ぐことは出来ない。

 途中で、中止すれば、抗がん剤に耐性を持つガンが現れるかも知れないからだ。


 タイマーで治療完了時間の1年半が来てスーツが自動的にふたつに割れるまで、その姿で過ごさないといけない。


「まあ、最新のモデルは自衛隊との共同開発で核兵器運用下でも問題ないくらい丈夫らしいですから、姿はともかく安全性に問題ありません」


『そんなに丈夫である必要はないと思うが』


 岡野の思考が読めたのだろう。

 名札の金子の文字が揺れている。

 明らかに医者は笑っていた。


「とにかく、あなたのガンは、あの苦しい副作用も感じる事無く、1年半後には、全身に散った細胞レベルまで跡形もなく消えます。ご安心下さい。では、2階のガン治療スーツ案内室へ予約を入れておきますので、この後そちらへ行って下さい」


 診察室を出て、きっかり1分後、看護師に予約票を渡された。

 ガン治療スーツ案内科は、今日の昼からの予約になりましたと告げた。

 大きな病院だったので、5階に食堂があった。 

 これからは、なかなか本物に巡り会う事が難しくなりそうなステーキ定食を頼んだ。


 確か、スーツを着ていても食事は好きな物を食べる事が出来ると聞く。

 しかし、それは消化器を衰えさせないためで、実際には大豆から作った人工物を脳を錯覚させながら食べるだけという事だ。


 副作用が出る事はない優れものの信楽焼きのタヌキ治療という一般的な理解だが、実際には副作用を感じる事がほとんど無いスーツが正しい。

 スーツ内で食事をする事は、難しい理由は、治療中は、免疫力が落ちるからだ。

 特に、雑菌や悪いウィルスが存在しない環境をスーツ内に、維持しないといけない。

 だから、この方法を取っているということだ。

 

 それなりの形に加工された大豆加工品の歯ごたえが、スーツ内の感覚支配装置によりステーキや寿司を食べている感覚に変換する。

 つまり、脳に錯覚させるというイカサマだ。

 感覚支配装置は、もちろん、シガラキ博士の妻であるあの優しいイチゴ博士の発明だ。


 イチゴ博士の面影が、岡野の遠い記憶の中で振り子の様に揺れる。

 

 万能の抗がん剤といってもゆっくりと味覚を失っていく事に変わりはなく、その哀れな副作用に対する患者への同情がこの感覚支配装置を作り出す起源だと云われる。


 スーツ案内室では、一週間後からの着用が決まった。


 スーツの頑丈さに目を付けた自衛隊が、シガラキ研究所に頼み込み、共同開発した開発中の新型。

 岡野が着るスーツは、本当に核兵器運用下でも、着用者には影響がないらしい。


「直撃は試してみた事は無いので解らないということよ」


 準備室担当が余計な情報を伝える。


『直撃されてたまるか、いや核戦争自体、絶対にお断りだ』


 食料や水の補給、途中の治療経過、スーツの機能チェックなどで、しばらくは、ひと月に一回、通院しなければいけない。


 今回、新型スーツは、自衛隊と共同開発の最新モデル。

 まだ試作品なので、情報提供する代わり、水と食料の大豆加工品は自衛隊からサービスとして、本当に核兵器運用下でも壊れない、とんでもない丈夫なタンクに十年分支給された。


『十年分って……』


 そんな物を置くスペースは、岡野の自宅には無いので、病院の一角を自衛隊が借り受けてくれた。


 この試作品は、あと一着、既に女性の方が使用しているとの事だ。



 そして岡野は、信楽焼きのタヌキの姿になった。

 もちろん自由に動けるので、職場での仕事もそのまま続けた。


 現在、通勤電車では、ガン患者のためのスーツ特別車両があり、今回初めて利用した。

 振動制御ダンパー付きで、スーツのアタッチメントに固定されるため、快適である。

 もちろん、通勤ラッシュとも無縁だ。

 

 駅のスーツ特別通路を出ると、厚労省管轄のスーツ用無料乗り合いタクシーで会社までの送迎がある。

 タクシーと云えば聞こえが良いが、実際にはトレーラーにタヌキ用アタッチメントを持つ子機積まれたものだ。

 

 新型のスーツは、防衛省管轄だが、利用可だ。


 同僚たちは、ガンになった岡野を気の毒がるのだが、タヌキ姿を見てつい笑いそうになるのを堪えるので、複雑な表情だ。

 現行法では、4階以上の建物のエレベーターは、スーツ用に特別サイズにスケールアップしたものを1基設けるか、スーツ用リフト5基を設置する義務があったので、待ち時間が無い。


 岡野の腹は、実際には出ていない。

 この先、出るかも知れないが、今は、出ていない。

 しかし、スーツの腹は出ていて、仲の良い同僚は、遠慮なく触ってきた。

 触覚センサーが伝えるその触り心地はくすぐったいので、つい笑ってしまう。

 そのせいで、職場にはしばらく笑いが絶えなかった。

 浮いていたはずの岡野が、職場の空気の中で、ごく自然に呼吸していた。


 意外にも仕事は、順調にはかどった。

 岡野の姿を見た客は、同情してどんどん契約をしてくれた。

 ガンという病気が、少し前まで怖ろしい病だったので、年配の客は同情してくれたのだろう

 若年齢層の客は好奇心でタヌキの姿を見たがった。


 みんなの笑いを誘うタヌキ姿ではあるが、もしシガラキ博士がこの治療方法を開発していなければ、岡野の場合は膵頭十二指腸切除術という手術が適当されていて、内臓のかなりの部分が消えていた事になる。


 数年前までは、患部を内臓ごと切り取らなければ、ならなかったのだ。

 なんと、野蛮な時代だったのだろうと、岡野は震えた。

 

 肝心の身体の調子は、変わらずだ。

 元々、身体を動かすために、シガラキスーツには、補助モーターが付いている。

 岡野の着る物は、戦闘用の新兵器なので、強力な物が取り付けられていて、一対多の格闘戦用だということだ。

 もっとも、普段の生活では、リミッターが取り付けられていて、普通の人間の力しか出ない。


 自衛隊へのデータ提供のため、ひと月に一度、演習場へ行く。

 こんな田舎の県内に、隠れるように、ひっそりと最新戦闘機用の滑走路まである。

 しかし、主としてスーツ用の極秘の基地だ。

 地下には最新設備の防衛省自慢の無人の自律式信楽焼きタヌキ型戦闘兵器製造施設まである。

 税金で、量産される自律式タヌキスーツ兵器の数も50機になったそうだ。

 新型タヌキ用演習場もその場所で行う。


 義務ではないと言われたが、スーツの性能に興味があったので、演習に付き合った。


 解除キーをベルトの鍵穴に差し込むと、リミットが外れ、戦闘モードに変わる。

 自衛隊の戦車の直撃を撥ねのけ、パンチ一発で厚い戦車の装甲に穴を穿つ事が出来る性能と滑稽な外観には、落差が大き過ぎて、笑える。


 信楽焼きのタヌキに襲われた自衛隊の高性能戦車。

 その絵は、まるでマンガの様だ。


 もう一着も参加していた。

 性能は同じ。

 シガラキスーツと呼称されているが、自衛隊の有人タイプはこの2機だけ。

 自衛隊の兵器としてのスーツは全て無人自律式信楽焼きタヌキ型が基本だ。


 ただ、もう1機は、専用武器の開発や試作に協力していて、演習場には出て来なかった。


 演習が終わり、自衛隊が演習場にも設置してくれたタンクから食料と水を補給する。


「こんなものを使う世の中が来なければ良いですね」


 自衛隊のスーツ開発担当とお喋りしているともう1機の新型シガラキスーツが現れた。


「はじめまして。あなたがもう一着の方ですね。これからよろしくお願いします」


 何と言っても顔が見えない。

 プライベートは守られるので、どんな人かも解らない。

 ただ女性だという事しか僕は知らなかった。


 年齢は?

 若いのかな?

 美人なのかな?

 太っているのかな?

 痩せているのかな?


 シガラキスーツの装着中は、痩せる方が多いらしい。

 副作用の苦しみを感じなくても、やはり影響はあるのだろう。


 そのまま意気投合し岡野ともうひとつの新型スーツ。

 ふたりのタヌキは、スーツに標準装備されているお互いのタヌキフォンのアドレスを交換した。


 タヌキフォン。

 シガラキスーツ装着者にのみ使用可能なスマートフォンの様な機能を持つコミュニケーションツール。

 もちろんスマートフォンの機能は全て持つ。


「小ダヌキくん」


 と呼びかければ、たいていの事には応えてくれるところも同じ。

 岡野たちの装着する自衛隊の新兵器は、スーパーコンピューター『大ダヌキ』に、優先的に割り込む事も出来る。

しかし、岡野のスーツの当面の目的は病院へのデータ送信だ。

 

 

「小ダヌキくん!」


 と、最初に声をかければ、必ず答えが返って来る声が、人気のある女性の声優さんに似ているところが可愛い。

 

 全ての機能を使い切れないところもスマホと同じ。

 スマホよりも持つ機能が桁違いなので、仮に戦争になっても全ては使わないだろうと自衛隊の担当者は言っていた。

 全国のレールガンから大口径レーザー、ミサイルのトリガーまでタヌキフォンで遠隔操作出来た。

 もちろん、こんな機能に岡野は興味を持たない。


 彼に必要なのは、もうひとりの装着者への


「おやすみ」


 だけだった。


「マスター」


 小ダヌキくんは装着者をマスターと呼ぶ。


「何だ?小ダヌキくん」


「先ほどのもうひとつの新型スーツとの会話の後、睡眠直前にも関わらず、マスターの心拍数が上昇しています。念の為、身体チェックを行いましたが、現状の病気以外に新たな疾患が発見出来ません。これはいわゆる恋の可能性80%」


「たしかに、そうかも知れん」


「マスターの恋のお相手は、もうひとりの新型スーツ装着者の可能性が99%。しかし、装着者の姿をマスターは見たことがありません。これは非合理的では?」


「確かに。しかし本来、恋とはそういうものらしい。僕も経験豊富というわけではないが、心の弾むこの感覚は、悪くない」


 豊富では無いどころか、彼に女性と付き合った経験はない。

 だからだろうか?

 次のタンク行きが、まるで彼女とのデートの様に待ち遠しい。


 楽しい会話で終わった夜が明けると、たいへんな事になっていた。

 自衛隊のスーツ開発担当の鈴木から緊急連絡が入った。


 近隣の某国が、我が国に戦争をしかけたのだ。

 全くの平和ボケしていた政府の対応が遅く、既に自衛隊に大きなダメージを受けているとの事。


 レールガンやレーザーといった最新兵器の射撃管制施設を某国の超高速ミサイルで、不意撃ちされたらしい。


「急いで復旧作業をしていますが、レールガンの発射トリガーは、現在あなたの作戦指揮用シガラキスーツだけ。緊急にリミット解除していただき、この演習場まで飛んで来ていただきませんか」


 リミッター解除のキーは、玄関ドアや愛車のオンボロ軽自動車と共にタヌキのキーホルダーに付いていた。

 慌てて、玄関ドアに鍵をかけると、近くの公園で、リミッターを外した。

 新兵器には、飛行機能も付いていた。

 近くに人の姿が無い事を確認すると、空を飛んだ。

 いつもの演習場までは小ダヌキくんにお任せで、その間に繋ぎっぱなしのタヌキフォンから入ってくる鈴木からの指示を聞いていた。


 説明通り、演習場の地下には、全国のレールガンや大口径レーザーの施設の現在の状況を表示された大型スクリーンが目まぐるしく画面を変えていた。

 驚いた事に全ての兵器の発射可能のサインをスーツに送って来た。


「状況は、こちらで解るのですが、発射指揮施設が壊滅して、残るトリガーは、スーツだけです。

敵の狙いは原発以外にありません。攻撃可能な軌道を取れる空域は、限定されています。撃ち落として下さい」


「しかし、撃ち漏らしたら?いや、僕は素人です。狙いを外したらたいへんな事になる。レールガンというと、確か一発撃つと次の発射までは時間がかかるはずですが」


 岡野の問いに、鈴木は、笑って、


「国を守るためのものなので、そんな旧式は使っていません。連続発射も可能です。機銃の様にはいきませんが、1秒の冷却時間後発射可能です。途中、散弾状に変化して広範囲を高速弾で、狙えます。レーザーのフォローもあります。大丈夫、自衛隊のスーパーコンピュータ『大ダヌキ』が支援しますよ」


 と答えた。

 

「小ダヌキくん」


「はい、マスター」


「敵国が撃ってくるミサイル全てに照準!」


「はい、照準」


 5秒程の間隔の後、


「全てのミサイルに照準、トリガーをマスターの右手に」


 驚いた事に、右手に銃を持っている映像と感覚が同時に現れた。

 もちろん引き金の重さも感じる。


「発射!」


 引き金をひく。

 日本海側のレールガンが一斉射撃された。

 ミサイルは、全て迎撃されて終わった。

 敵国は、第二、第三と攻撃を重ねたが全て同じ結果になった。

 それどころか、回数を重ねるたび、ミサイル発射直後に迎撃が可能になり、某国は自らダメージを重ねていった。


 その国には、核ミサイル以外に、自衛隊に対抗出来る力は、元々無かった。

 核ミサイルを使用した方の国が、核を持たない国に一方的に負けた。


 かなり遅れたそうだが、人が着用していない完全自動制御型のシガラキスーツ機動兵器が、50機、敵国首都部に到着した。

 従来の兵器の攻撃を全て跳ね返すシガラキスーツに、対抗手段の持たないその国の軍は崩れた。

 情報は、リアルタイムで、無人機の指揮機能を持つスーツで知る事が、岡野には出来た。

 抵抗する敵国の軍の兵士は、ことごとく殺戮された。

 見ていて、気持ちの良いものでは無かった。

 

 某国の中枢を一方的に蹂躙。

 かつての都市の跡形は無くなった。

 自衛隊の見込み通り、シガラキスーツは、敵対国家の反撃の力を奪った。

 いや、文字通り滅ぼした。

 少なくとも、その国に人間の存在は皆無だった。

 しかし、この事は大国のパニックを誘発。


 核抑止力のバランスが完全に崩れたからだ。


 狂った大国の核が、世界を飛交った。

 現実の核戦争が、起きた。

 小国の持つ玩具の様な核とは異なる本格的な核のパイ投げ合戦の中、誰も生き残る事は出来なかった。


 もちろん、新型シガラキスーツを着用していた岡野は無事だった。

 急いで、病院へ向かった。


 残っていたのは、新型シガラキスーツ用のタンクだけで、建物は全て倒壊していた。

 金子先生を探してみたが、見つからなかった。


 この世界で残された者は、僕だけになったと絶望しかけたたが、もう一体のスーツの存在を見つけなければならない。

 

「小ダヌキくん」


「はい、マスター」


「もう一体のスーツの彼女は無事か?」


「スーツは健在です。位置が演習場の座標と重なっています。おそらくタンクの無事を確認している様です」


「解った。演習場まで飛ぶぞ。その間に、彼女のタヌキフォンに繋いでくれ」


 演習場までは、10分。

 タンクだけが妙に目立つ様になった崩れた演習場に彼女はいた。


「ご無事で良かったです」


 初めて映像付きの電話で繋がった。

 想像通りの非の打ち所の無い美少女。

 僕の恋は、より深く心の中へ浸透していった。


 そして、こんな時なのに、告白。

 頷く、美少女の映像の中の染まる頬。

 美少女の名前は、唯。


「普通のシガラキスーツで治療中の人たちは、まだ生き残っているかも知れない。探そう」


 恋人たちは、この世界にふたりきりになれる場所を探す。

 しかし、現実にそうなると、今度は自分たち以外の視線も求めるらしい。


「マスター、残念ですが」


「どうした?小ダヌキくん」


「大国の脅威は、この国が開発した戦争のゲームチェンジャー、高速連続発射可能なレールガンと大口径レーザー、そして何より自動攻撃型シガラキスーツ。それを怖れて、核の大半をこの国に撃ち込みました。通常型の治療用シガラキスーツにはそんな衝撃や高熱、高い放射線に耐える機能はありません。今、調べましたが通常型のシガラキスーツ治療者は、全て生命活動を止めています」


「なんということを」


「大国は、シガラキスーツの自動反撃プログラムに晒され、軍は壊滅。更に自国が使用した核の放射線であらゆる生命が活動停止しています。現在、この星の生命はマスターだけ。シェルターへの移動を提案します」


「そうか、この世にふたりきりか。シェルター?そんなものがこの国にあるのか?」


「はい。タンク開発と同時に試作された街があります」


「街?」


「当初は、一億人を十年間養えるためのシェルターの街を数十程度作る予定でしたが、現在、存在するのは試作されたひとつだけ。タンクと同じ外殻なので、無事なはずです」


 僕たちはシェルターの街へ向かった。途中全ての街の人々は、その命の活動を停止していた。


 シェルターの街。

 スーツの放射線の洗浄が終わった僕たちが入ったそれは、確かに、規模の小さな街だった。

 100キロ四方の対衝撃、対高熱、対放射線の材質のドームの中の街は、コンビニ、病院、学校を始め、あらゆる生活に必要な物が揃っていた。

 ただし、入れ物として、出来上がったばかりで、中には人型のロボットが、もう来る事のない人間を健気に待つだけのゴーストタウンだった。


 この街の生命は、ガン患者の信楽焼きの恋するタヌキが2匹。


 滅んでしまった種の生き残りという事実は、実際には耐え難いものだった。

 氷河期を眼前にした恐竜も、きっと不安に押しつぶされたのだろう。


 『しかし、僕には唯がいる』


 岡野は、1年半後の唯のその白い手に触れる事を夢見て、襲ってて来る狂気に耐えた。


 もちろん1年半の間に、人類復活のため忙しく働きもした。

 スーパーコンピュータは健在で、小ダヌキくんは、シェルターに凍結されていた人の細胞を使い、人類復活の方法を指示してくれた。

 指示通りの作業は、1年後に終わったが、実際に人間までの細胞分裂を始めるのは、随分先の話。

 少なくとも、半減期先の未来。

 望むなら、岡野の肉体もその間ハイパースリーブする事も可能。

 そのための施設である。


 しかし、岡野は、唯との間に出来るだろう子どもの存在を毎日の様に夢みた。


 そして、治療完了の日。

 それは、唯の治療完了の日でもあった。


 タイマーが、ゼロを示すと、あれほど頑丈だったスーツが背中から割れた。

 蝉が長いサナギの時を経て、真っ白い成虫になる様に、岡野のすっかり白くなった肌は、久々に外界の空気にさらされた。


 いよいよ、あんなに焦がれた、唯に会える。

 その柔らかな身体をこの手に抱く事が出来る。


 岡野は、彼女のスーツがふたつに割れる事を今か、今かと待った。


 しかし、彼女のスーツは決してふたつに割れる事はなかった。

 

 一度割れたところが、再びひとつになり、自立して動き始めた岡野の治療用スーツから、自律型ロボットに役割を変えた、小ダヌキくんの声が聞こえた。


「マスターの求める恋人の唯さんは、最初から存在しません。滅びた種の生き残りという存在にマスターの心が耐える事が出来ないと判断しました。最初は、恋するマスターが、本当に嬉しそうだったので、治療中のメンタルケアとしての嘘でした。世界が滅んだ後は、マスターの心の支えとして、嘘を続けました。もう一台の新型は無人機のシガラキスーツの高性能試作機です。しかし心配は要りません。大丈夫です。マスターと共に続けてきた人類再生プロジェクト。生み出してくれた新たな胚のひとつを分割させ始めています。遺伝子から必ず女性型。再生実験試作プロジェクトは順調です。マスターの新たなパートナーです。お名前は唯と名付ける事を提案します」


 マスターと呼ばれた、恋に不慣れな男は、何もこたえなかった。


 それから、2週間後、最悪の環境から内部の生命を守る頑強なドームに覆われた巨大な街から、ひとりの男が、フラリと外へ出て行く。


 未だ危険な放射線から彼を守ってくれるはずの滑稽な、しかし、強力な防護服を着ていないその姿は、間もなく倒れた。

 その男が大切そうに握っていた、しかし、実際には存在しない女性の写真は、彼の手が力を失ったと同時に風に飛ばされた。


 それは、漆黒の宇宙に浮かぶ青く美しいその星が、宇宙で最悪の環境を持つ星に変わり果て、かつて繁栄した、この世界の奇跡の様な存在であった生命が、全て途絶えた瞬間であった。



 現在この星に残る生命の痕跡は、滑稽で何処か悲しげな姿をしている信楽焼きのタヌキ型ロボットに見守られている冷凍保存された遺伝子と、発生途中で、再び凍結されたひとつの胚だけ。


 そして、スーパーコンピューター『大ダヌキ』の完璧なコントロール下にある。


 ガンを完治させる能力を持つタヌキスーツは、遺伝子型を完全コピーしたかつてのマスターが、再びひとつの生命としてこの世界に蘇り、大好きだった彼に、もう一度仕える日が来るまで、その活動を停止する。


 滑稽な姿の優しいタヌキは、ウラン238の半減期の間、機能を停止させ、マスターの復活を夢みる長い眠りについた。




           終わり










 








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋するタヌキの皮算用 @ramia294

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画