稲荷俥という落語を聴くと、お金というものがさほど意味を成さないような気持ちになる。人力車を引く男が、お稲荷様と名乗る男を乗せ、大金を得る話だったように思う。もしも大金を手に入れた時、それを受け取った側の使い方によっては、お金が生き金に変わる。この落語に登場する人力車の男は、その人柄でそれを生き金に換え、騙した男すら善人に変えてしまった間抜けな話である。

 緻密に構築された古典落語には、生きる知恵や考え方のズレを生じさせる魅力がある。

 前述の人との繋がりを大切にしようとした記載には、そういった人との関わり合いによって生まれる徳の様なものが、如何に大切かといった意味合いもある。落語にもそういった一面がある。何故なら落語は人間を描く芸能だからに他ならない。

「お父さん、寝られへん」

「起きとったらええがな」

私の父は面白い。

—―こいつらが大人になった時、どういった世の中になっているんだろう。

私を授かった時、父はこう思ったそうである。

 社会に揉まれ、母に憎まれ口を言われながら、それでも我々を育て上げた父は、私に、色々な事を植えた。子供だった私はそれを説教として受け取っていたが、父の声は、常に私に「社会を知れ」という警鐘を鳴らしていた。

 昔、一度だけ父のすすり泣きを聞いたことがある。

 悔しさのあまりテーブルを叩きながら泣いていた父は、私が幼き頃に見た恐ろしい父ではなく、一人の人間だった。高校を卒業し、西宮で私を授かり、神戸で私を育てた父は、酒好きだった。

「こいつらと一緒に酒飲むのが夢やねん」

父は、我々兄弟を授かった時分に母にそう言っていたという。人見知りが強かった私たちを友人のキャンプに連れて行ったり、行きつけの寿司屋に連れて行ったりして、私の目を外に向けさせた。

 外に出ると、一向に喋らなくなる内向的な私を、家に帰ると怒鳴ったりもした。

 大人になって、YouTubeで落語解説をしていた私に電話でこう告げたりもした。

「お前の落語、全然おもろないやん。鶴瓶の落語を聴け」

 父の教えは、どの都度、的を射ていたように思う。幼かった私はそれを理解できず、泣きじゃくったりもしたが、大人になってわかる。私の考えが未熟であることが。

 子供に厳しくすることが、父の務めであり、父はそれを体現していた。

「寿夫、ラーメンでも食いに行かんか?」

高校受験を控え、夜、勉強をしていた私の耳に窓の外から、そう聞こえた。

 父との思い出を断片的に描いたが、本当はもっとある。美談に仕立てるつもりはなかったが、父をどこかで憎んでいた私の心は、父への感謝にも換わっている。

「人を舐めるような真似だけはするな」

その教えが、何故か父の頼もしさと正しさを物語る。と、手前味噌の子供の作文に筆を措く。

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