第20話【二回目の扉がひらく音】
学務ポータルが期末の出欠入力を締め切る朝、大学の廊下は小さなため息で満ちていた。二段階認証が導入されて初めての週末明け、ログイン画面の前で立ち尽くす人が点々といる。
「うわ、コード届かない……」
自販機横で名雪さんがスマホを振っていた。画面には“ワンタイムパスコードを入力してください”。数字の欄が寒空みたいに空っぽだ。
「メール遅延かもしれません。別手段に切り替えられますよ」
「え、何か用意してるの?」
「はい。認証アプリと、紙のバックアップコードも印刷しています。財布の奥の、図書館カードの裏。」
「紙! 平成の置き土産みたいな解決法」
「災害時はアナログが強いですから。設定から“認証アプリ”に切り替えてみてください。QRを読み込んで、六桁が三十秒ごとに更新されます」
「頼もしすぎる未来時計……。って、あ、来た。六桁、生まれた」
無事ログインできた画面を前に、名雪さんが肩から力を抜いた。
「ありがと。……ねえ二段階って、ちょっと恋に似てない?」
「恋、ですか」
「告白が“ログイン”。で、相手から“本当に?”ってもう一度問われる瞬間がある。そこを越えたら、秘密のページが開く」
「比喩としてわかりやすいです。安全の確認は、信頼の儀式でもありますから」
「でも人間の方は、コードが時限式じゃ困るね。三十秒で答え出せって言われたら逃げる」
「人間の信頼は有効期限が長いのが理想ですね。むしろ、間違えたときの“再発行手続き”が大事です」
「再発行、か。——じゃあ、もし私がパスコードを読み違えても、笑って“もう一回送って”って言ってくれる?」
「もちろんです。失敗の履歴を責めず、次の手段を用意するのがセキュリティの基本ですから」
「ふふ、頼もしい管理者さん」
チャイムが鳴る。ゼミ室へ向かう廊下で、俺はふと思いついて、ポケットから小さなストラップを取り出した。鍵の形をした、キャンパス購買の新作お守りだ。
「名雪さん、これ。実はNFCの物理キーになっています。名前を書いておきました。よかったら、使ってください」
「え、かわいい……。実用品に情緒を上乗せしてくるの、反則」
「見た目が柔らかいと、面倒が“習慣”に変わりますので」
「うん。じゃあ私も、二段階の二段目を“茨木くんに確認”に設定しとく」
「それは効果が高すぎます。俺の回線が混雑します」
「ふふ。——でもさ、二回目に“ほんと?”って聞き合えるの、悪くないよね。扉の向こうで待ってる人がいる感じ」
「ええ。二回目の扉がひらく音は、たしかに心地いいです」
ゼミ室のドアノブを回す。カチリ、と小さな手応え。ページが更新され、朝より少し暖かい世界にログインできた気がした。
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