羽化・8
アルストリアに戻って来た俺は絶対絶命の大ピンチに陥っていた。
衣装室の奥の奥、吊り下がったスーツたちの下で息を潜める。
(なんでこんなことに……!)
ズボンと靴下は剥ぎ取られてしまったけれど下着だけはなんとか死守した。
つまりパンイチだ。
外に逃げ出す選択肢はない。
普段なら人が少なくなる夜の遅い時間でも、今日はついさっきまで俺の帰還パーティーをやっていたせいで女達が城内にわらわらしているんだ。
勝手に飛び出しただけなのになんでパーティーなのか?
理由は単純。
ここでもまた英雄、だからだ。
公爵家による大罪を暴き、理不尽な婚約破棄を突きつけられた過去があるにも関わらずサウスレーデンの王と王子を救い出したのが俺なんだとか。
ニコニコと満足気な
確かに結果だけ見ればそうなるのかもしれないけど、悩んでテンパって家出して好きに暴れ回っただけなんだ。
控えめに言って美化し過ぎている。
でも、それを知っているみんながわざわざこんな風に出迎えてくれたって事はつまり、必要な建前ってヤツなんだろう。
王太子配が国内だけじゃなく外国に行ってまで人を殺して来たっていうよりは英雄の方が響きが良いことは間違いないから、俺はひたすらヘラヘラしていた。
素直に白状してしまえば英雄扱いは、たぶん好きじゃない。
好き嫌いはあんまり考えた事がなかったけど、アルストリア人からの賞賛は身に余るし、パーティーの度に向けられる他国の外交官達の侮蔑と嘲笑は
彼らにとってクルシュは蛮族、もしくは、奴隷にすべきものの国でしかない。
大国アルストリアと友好を崩す訳にはいかない彼らは上手く隠しているつもりだろうけど、その衣服の仕立ても大陸共通語の言い回しも、ひとつ残らず全部覚えている。
クルシュにとってはただの侵略者。
けれどアルストリアでは大切な貿易相手で、歴代最強と名高いクライシー家の王子王女───兄さんや姉さん達が迎撃に出るようになってからは連戦連勝で被害もない。幸い俺も、勝ち戦しか経験がなくて。
となると、正体がわかったところで俺への悪口を理由にぶっ飛ばす訳にもいかないから、母国語での侮蔑が聞こえる度に耳聡い幼馴染み達を視線で黙らせるのも大変だし、そういうやり取りが隣にいるテオにバレないようにするのも大変だった。
テオに知られたら国の利益とか無視して摘み出してしまいそうだ。
まぁ、とにかく、そういうわけで今夜はいつもより人が多い。
まだまだ人が溢れている中にパンイチなんかで飛び出したらすぐに逮捕されて尋問されて、こんなヘンタイに王太子配は務まらないとか言われるに決まってる。俺もそう思う。腰巻きがあるかないかで雲泥の差だ。
俺とテオの服がギュッと詰め込まれた衣装室にいるんだから何か着ればいいと思ってもだ。そうは上手くいかないのが現実で。
相手は俺なんかじゃ全然敵わない、一手どころか五手くらい先を行く手練れだった。
後ろ手に拘束された両手首。
と言っても、ガチガチに縛られている訳じゃないからぶっち切るのは簡単だ。
でもこの紐はテオが俺の為に用意してくれた新しい髪紐。
そんな大切な物を千切ったりなんて出来ないだろう。
その上、口笛を鳴らしてイザーム達に助けを求めようにも
しかも口内に押し込まれた布には結婚指輪が包まれている。もちろん俺のだ。
うっかり失くしたりしたくないからと手作りの巾着に入れて俺専用の戸棚にしまっていたのがバレていたらしい。
コソコソ眺めて磨いたりして大事にしていたのに、下手なことをして傷でもついたら泣くに泣けない。
(もっと慎重にしまっとくべきだった)
後悔しながら息を潜めていると、コツ、と静かな足音が近付いて来た。
心臓がドッドッと鳴る。
(ど、どうしたら!?)
焦る余り窓もないここに入ってしまった。
最悪だ。
どうにかして逃げきるしかないと思う反面、見つかったらどうなるんだろうっていう期待に身体がじわりと熱を持つ。
(いやいや、こんな不誠実なことダメだ……!)
素直過ぎる欲望に慌てて頭を振った。
そもそも、アルストリアに帰って来る前にテオときちんと話が出来なかったのが悪かった。
何度も話をとは思った。
思ったけれど、王とエディオン王子が重篤。
王弟夫妻と宰相が造反ってことで、俺が寝ている間に芋蔓式に色んなヤツが捕まったらしくて。
国を回していた人間を軒並み失ったサウスレーデンの混乱は聞かなくても想像出来るし、そんな中に主国の王太子であるテオが現れたらどうなるかなんて火を見るより明らかだ。
確かにテオはすごいけども、アルストリアではちゃんと補佐してくれる文官とかがいる。全部一人でやるだなんて無茶だ。
イザームからその話を聞いて慌てた俺が部屋から飛び出そうとしたらブチ切れられ、それならとサウスレーデン側からの見舞いとか面会要請を全部受けてテオに力を貸してくれって頼み込もうとした。会う前に全て追い返されてしまった。
誰にって、もちろんテオにだ。
イザームもサジェドもテオの味方で、結託した三人に俺が勝てる訳がない。
つまり完全隔離されて呑気に治療されるハメになった。
諸悪の根源は麻薬だの横流しだのしていたヤツらなんだけど、騒ぎを大きくしたのは間違いなく俺なのにだ。
せめてもの救いは、頼み込まなくても幼馴染みのどちらかは必ずテオに付いてくれたこと。
おかげで暗殺とかの心配はなかった。
それでもテオは相当大変だったと思うし、実際、会議中に剣を持ち出してブチ切れたらしい。
主国といえども暴虐が過ぎる、俺を出せとかって一番ヒートアップしていた何とか大臣の足の間に剣をぶっ刺したとかで。
「逆賊にしてやられた間抜け共はよく吠える。どうした?もう一度同じ事を言ってみろ。次は手元が狂うかもしれんがな」
一言一句違えず覚えたとドヤ顔をしたサジェドが教えてくれた言葉に、俺には説明する義務があるんじゃないかとは言えなかった。
余計な口出しをして至極真っ当な意見を言っただけのオッサンを死なせる訳にはいかないし、何より、ウキウキと話すサジェドに水を差したくなかったから。
そんなこんなで、俺がアレコレ言うと気が散るらしいテオを邪魔しない為にもひたすら部屋に籠る日々。
外の喧騒が届かない静かな場所で幼馴染みと過ごし、診察を受け、帰りを待つ。
テオがいる時だけは忘れられる激痛は、テオがいない日中は当然のように好き勝手に暴れ回った。
心配したイザームとサジェドが何回もテオを呼んで来るって言ってくれたけど、これ以上困らせたくなかったから首をブンブン振って耐えた。ただ耐えるくらいなら俺にだって出来るし、避け続けた耐痛訓練を受けているだけだと根性出した。
結果、一週間も経つ頃にはイザーム達の前でも平気なフリが出来るようになった。
やっぱり脳筋バンザイだ。
二週間が過ぎた辺りで王弟のオッサンが大軍と文官達を率いてやって来たから、だいぶマシにはなったみたいだけどまだまだ忙しそうで。
最初に俺達を手伝ってくれた騎士がサウスレーデンの騎士団長だったのは幸いだった。
全面的に協力してくれたから最悪の事態にはならなくて済んだ。
三週が終わる頃になってようやく医者に大丈夫だとお墨付きをもらった俺達はサウスレーデンを立った。
王やエディオン王子には会わなかった。
名前を出すと、テオ達がひどくピリピリしたから。
帰りはのんびりした旅だ。
馬車が苦手な俺達クルシュ人は馬に乗って辺りを警戒したり散策したり。
テオは呆れ顔を窓から覗かせ、はしゃぐ俺達を見ていた。
そんな感じだったから全然ゆっくり向き合えなくて、ようやくちゃんと話せると思っていたのに。
帰ったら帰ったで城門を潜る前に待ち構えていたカーミルとディルガムに襲われた。
クルシュでも実力者である二人の本気の襲撃に馬を捨てて謝りながら城内を逃げ回り、屋根を走り、山に向かおうとしたところでイザームとサジェドに阻まれた。
四人が構える獲物はそれぞれが一番得意な武器。
詰んだ。
思わず引き攣る俺に、そっと籠手を差し出してくれたのはルーカスだ。
「イザームさんがアースィム様にたくさん輸血したって聞いたんです。それで丸一日寝込んだって。だから本当に、ご無事で何よりです」
にっこりした目は全然笑っていなかった。
あんまり似てないけどやっぱりテオの従兄弟なんだなぁってしみじみした俺は、諦めて地獄の四対一に向き合った。
イザームもイイ嫁を貰ったと思う。
結婚自体はまだこれからだけど。
夜が更けて朝になっても終わらなかったソレは、パーティーの支度だと呼びに来たファーラの声にピタッと止まった。
隣にはエルナーもいて、ディルガムが片手を振ると彼はほんの少し口許を綻ばせた。このひと月ですっかり仲良くなったみたいだ。
腹減ったな大将って笑いながら肩を組んで来た幼馴染み達と汗を流して気合いの入ったミーナとマリアに着飾らされ、パーティーでは色んな人に心配されて申し訳なくなって。
今に、至る。
(本当になんでこうなったんだ)
テオと部屋に戻って来たまでは良かった。
窮屈なスーツをパパッと脱いでしまおうとしたらテオの目がキラッと光った、気がした。
上着とシャツを脱いだ所で手を寄越せと言われたまま後ろに回し、おまえの為に用意したと言って新しい髪紐を見せられた。背中に触れるサラサラの髪に気を取られている内に縛られた。
混乱する俺を他所に正面に戻って来たテオが見覚えのある巾着から指輪を取り出して、布で包んだと思ったら今度は口に突っ込まれた。びっくりだ。
固まっている間に吐き出せないように口元を覆い、後頭部で結われた布。
驚き過ぎて瞬きしか出来なかった。
「勝手をした仕置きだ、アースィム」
耳元で低く囁く声にギュンッて跳ね上がった鼓動。
思わず喉を鳴らしながらテオを見たら、一枚一枚丁寧に脱ぎ捨てていく、から。
(コレ絶対理性トんじゃう系のお仕置きだ!)
俺はダッシュで逃げた。
殴る蹴るのお仕置きをテオがするとは思わない。
けど、殴られたって構わないし、どんなお仕置きだって甘んじて受け入れるべきなんだと思う。でもコレはマズイ。
サウスレーデンでは結局アレコレ出来なかった。
本音を言ってしまえば触りたくて仕方ない。
でもやっぱり、ちゃんと話が出来ていないままっていうのはダメだと思う。
(休みの日みたいにトぶ訳には……!)
「アースィム、往生際が悪いぞ」
ひえ、と肩が跳ねた。
「あぁ、それとも、あの虫唾が走る男や他の人間と情を交わして嗜好が変わったか?」
「ほんなあけにゃいらろ!!」
なんてことを言うんだ。
テオ以外とそんなことするくらいなら去勢された方が遥かにマシだ。
モゴモゴ叫びながら思わず飛び出した俺はすぐに失敗を悟った。
「…………」
しんと落ちた沈黙。
目の前にあるすらりと長い足を辿り、恐る恐る上を見上げる。
形の良い唇が綺麗な弧を描いた。
「無いかあるかは、身体に聞くとしよう」
「ッ、ふ……」
衣装部屋の壁に背中を預け、後頭部を擦らせてあまりにも刺激が強すぎる光景から目を逸らす。
漏れる息を必死に噛み殺そうとしても布に阻まれ、ガチガチに主張している気の早いモノをなぞり上げられた。
「はしたないな、アースィム」
「ぅ、っ……」
ボタンを全部外したシャツ一枚。
他は全て脱ぎ捨てた上でシャツだけは肩に引っ掛けたままとか、はしたないのは絶対テオの方だと思う。
動く度に揺れるシャツの裾に目を向ける。
傷一つない身体はひと月振りに見てもやっぱり白くて引き締まっていて、艶めかしいどころじゃない。
「…ッ……」
「ビクビク跳ねて随分と威勢が良い。他に使っていないのは本当のようだ」
(つ、使う、とか)
普段はそんな事一切言わないから余計にクる。
その囁き声だけでイきそうで、腹に力を入れた。
首筋や肩、胸元に唇が這い、時折強く吸い上げられる。
褐色肌だからテオの肌みたいに目立つ痕はつかないのに、何度も繰り返しては舌先で舐められて。
その間にも胸筋から腹筋までをゆったりと撫で下ろすものだから、本当に堪らない。
(拷問だ……!)
俺は呻いた。
小さな尻を撫で回したい。
形の良い喉仏に唇を押し当てて啄みたいし、毎日のように愛でていたらすっかり敏感になってしまったトコにキスしたりしたい。内腿とか膝裏とか、肩甲骨の間も隅から隅まで触って、触りながらいっぱい解して、それから。
「私無しでは生きられない身体にしてやる」
下腹へ下がっていく金髪にその先を期待しかけて。
「あんな思いは二度と御免だからな……」
「………」
次いで届いた呟きに一気に身体が冷えた。
それはもしかしたら独り言だったのかもしれないけれど。
脇腹を掴む力が強くなり、短く切り揃えられた爪先が食い込む。
お仕置きって言いながら甘いばかりだった愛撫が、止まる。
「大体、あの巫山戯た作戦は何だ」
顔を上げたテオの顔には明らかな怒りが浮かんでいた。
恫喝に似た、地を這うような低い声と鋭く睨め付けてくる目。
でもほんの少し。
よく目を凝らさなければ気づかない程度の震えだったけれど、瞳が揺れたから。
「おまえは私を何だと思っ───」
最後までは聞かなかった。
紐を切って布を吐き出した俺は、テオの唇を無理やりに塞いだ。
コツンと跳ねた音は包まれていた指輪だろう。紐も結局、千切ってしまった。
「っ、ん!」
散乱した服の中に押し倒して組み敷いて、片手で顎を掴んで口付ける。
何度も、何度も。
「んん……!」
息を継ぐ間はあげなかったから、強く肩を押してくるのは本能だと思う。
その手に逆らい、酸素を求めて服を蹴る足をも身体で押さえ込む。
いつもは凛々しくて泰然としているテオだけれど、いざ本気で拘束してみるとその力は思っていた以上に弱くてなんだか少し不思議だ。
「ふ……」
強引に呼吸を奪い続けてようやく、涙が一筋こぼれ落ちる。
「……テオ」
「見るな……!」
はじまりは呼吸困難からくる生理現象だったけれど、一度堰を切ったそれは次から次へと流れる。
持ち上げた両手で目を覆い隠す姿に溢れたのは、狂おしい程の愛情だった。
「…………見るな、アースィム。仕置きは仕舞いだ。先に戻っていろ」
「そばにいる」
間髪入れずに返したら指先が僅かに跳ねた。
手から溢れた涙を掬い、甲や腕にキスを落とした。
そうっと背中に腕を差し込んで抱き締める。
「ずっとそばにいるよ」
返事の代わり、背中に両手が回った。
短く囁かれた声は上手く聞き取れなかったけれどたぶん、生きていて良かったと、言ったんだと思う。
それきり黙ってしまったテオが静かに泣く。
目が覚めたあの日、小さな違和感を痛いと思ったのに。
それ以降はいつも通りだったからとこんなにも我慢させてしまった。
テオはきっと、例えば俺が死んでいたとしてもブレずに王太子としてあり続けるに違いないし、仕事だって完璧なはずだ。
民思いのいい王になって、必要だったら妃も娶るんだろう。
(でも、泣かない)
きっとこんな風には泣けない。
俺の葬式でも、絶対に。
だから
「……テオの隣にいられるならなんだってする。なんだって出来るよ」
見せてくれた顔に決意を紡ぐ。
愛してるよりも重い言葉があるなんて知らなかったし、自分自身が大嫌いな俺が口にするのはとてもおかしいと思う。
だからこそ言わずにはいられない。
「もう一度俺を信じて、セオドア」
「………」
ギュッと寄った眉と真っ赤な目に睨まれながら、引き寄せられるままそうっと唇を重ねた。
今回だけだぞという呟きに腕に力が籠る。
苦しかっただろうに、テオは怒らなかった。
やらかした。
初夜なんて目じゃないくらいに盛大にやらかしてしまった。
あんなに儚げで頼りないかんじのテオは初めてだっだ。
いや、俺はこのままじゃ風邪引くし背中痛いよなってベッドに運んだだけなんだけども、そうしたら押し倒されてヤる気満々のテオに乗っかられていた。
泣き腫らした目許を更に赤くして必死に声を殺すテオはそれはもうとんでもなくエロい。
俺の上にいるテオの肌を遠慮なく味わいながら、ひと月振りだし万が一傷でもつけたら大変だと大切なトコを丁寧に丁寧に解した。
大人になってからは幼馴染み達と風呂に入ってもタオルで隠すようになっていたしサイズがどうとかはわからないけど、初夜の時に「入るか?」って若干引いてたテオの様子を見た限り小さくはないんだと思う。
俺はクルシュ人らしく身体が大きいから体格なりってヤツなんだろう。そもそも、ソコは本来ナニかを入れたりする場所じゃない。
そんな訳で、上に逃げようとする腰を片腕でしっかりと押さえ込んで、テオのソレを舐めたり吸ったり内腿撫でたりキスしたりしながら解し続けた。二回イかせた辺りでブチ切れられた。
『いい加減に、さっさと挿れろ……!』
息も絶え絶えの半泣き、は、トドメでしかなく。
まぁ、見事に理性が飛んだ俺は夜が明けて朝をとっくに過ぎた今の今まで抱いてしまって、つまり、完全にやらかした。
今日は休みじゃない。
余韻をたっぷりと残した可愛いテオは誰にも見せられないしと頭を抱える。
(どうしよう。仕事、明日じゃダメかなぁ?)
ルーカスに相談したらいいよって言ってくれないだろうか。
(たぶんムリだよなぁ)
ただでさえ山盛りなのにひと月もいなかったんだ。もちろんある程度は他の人がやってくれているだろうけど、量は相当なものだろう。
「アースィム」
かつてないほどクタクタになったテオに呼ばれてパッと振り返った。
テオの身体をよいしょと抱き上げベッドの右と左に移動させながらせっせと替えたシーツを丸めて籠に押し込んで、湯船に湯を張り、濡れタオルと洗面器を用意している最中だった。
「今戻るよ。風呂の前に一旦身体拭こうな。そのままじゃ気持ち悪いだろ」
「あぁ」
眠そうな目を擦って見てくるのに思わず頬が綻んだ。テオは俺がテオの世話を焼く姿を見るのが好きなんだそうだ。
結婚してからはテオの着替えや風呂の支度は俺がしていたから、珍しいものじゃないのに。
今にも寝落ちそうな彼とは対象的に、色んなものがスッキリしてツヤツヤ肌な俺は絶好調だ。もちろん俺も一睡もしていないんだけど。
「いつも思うんだが、おまえの体力はどうなっているんだ……?」
「あ、まだ喋ったらダメだよ」
ガラガラどころの騒ぎじゃない。
カッサカサのシワシワだ。
ひどく枯れた声に調子に乗りすぎたと後悔しても後の祭り。
マリア達が用意してくれてる水差しから水を注いで、これまたマリア達が毎日欠かさず補充してくれている蜂蜜を垂らして掻き混ぜる。
「飲める?」
「ん」
気怠げに髪を掻き上てから伸ばされた手をそうっと掴んで引き寄せるついでに、すぐ隣に腰を下ろした。
起こした上半身を俺に凭れさせてくるテオを片腕で抱き込むようにして支え、コップも支える。力が全然入っていないからだ。ふにゃふにゃだ。
泣いた時以上に赤くなった目尻は可哀想だし、他の人間になんて見せたくない。
だからすぐに冷やさないといけないんだけど、一度戻ったら離れるのにまた気合いを入れ直さないといけなくて、でも、俺の腕に添えられた手を離すのはもったいないとか悩んでいたら、コップを押し付けられた。
「もう良い」
そして、まるでいつもの俺みたいにすりすりと首筋に鼻先を寄せてくる。朝だけは甘えん坊なテオに顔は緩みっぱなしだ。
「体、大丈夫?」
コップをサイドテーブルへ戻す。
たくさん汗をかいたから身体が冷えないように布団を掛けて、金髪を横に流しながらテオの額にキスを落とした。
「大丈夫だと思うのか?」
「……あんまり。いつもごめん」
「生涯私だけなら構わん」
目を泳がせた俺に、ふんっと鼻を鳴らす。
テオだけなんてそんなの当たり前過ぎる。
「他の人にムラムラしたことなんてないし、これからもないよ。大好きだよ、テオ」
顔を覗き込んで今度は唇にちゅっとした。
へらっと笑うと眉がギュッと寄ったけど、テオからもキスしてくれたからイヤなわけじゃないってわかる。
いつものスキンシップが嬉しくて幸せで髪にすりすりすりすり頬を寄せた。
「好き。好きだ。かわいい。今日はもうこのまま一緒に寝たいなぁ」
「…………流石に無理だぞ」
「うん、わかってる。抱っこして寝るだけだよ」
「そうか」
安心したように息を吐くテオの頬を撫でた。
また唇を寄せる。
「ん……」
鼻から抜ける声ひとつでアッサリその気になりそうなムスコはどうかしてる。動物なんてかわいいものじゃない。野獣だ。
(あんまりしたら唇も赤くなっちゃうかも)
そうは思っても止められなくて招かれた熱い口内を堪能していたら、廊下に見知った気配を感じた。ピクリと眉が寄って顎を引く。
「……誰だ?」
「イザームとイザームの嫁だ」
俺が顔を扉に向けたからだろう。
聞いてきたテオの肩まで布団を引き上げながら答えると、離れるどころか更に凭れてきた後に舌打ちが響いた。
「朝っぱらから煩わしい……」
(不満そうなのかわいい)
もっとイチャイチャしたかったんだろうか。なんでこんなにかわいいんだ。かわいいが爆発している。
一歩外に出るとあんなに凛々しくてカッコよくてブチ切れてばかりだから余計にかわいく見えるのかもしれない。
(まぁ、朝っていうよりもう昼前なんだけど)
カーテンを閉じているから時間がわからないんだろう。
知られたらさすがに怒られる気がすると内心震えていたら、遠慮とか全くないノックが鳴った。
「殿下!いい加減に出て下さい。間もなく会議の時間ですよ!」
「おい、ルーカス。大将にぶっ殺されっから止めとけって」
扉の向こうから聞こえたのは思った通りの声だ。
さすがにぶっ殺したりはしないしイザーム相手に出来る自信もない。
ただ、あの扉を開けたりしたら枕元に置いてあるナイフを投げようと心の中で頷いた。
いくらイザームでもテオの裸は絶対に見せたくない。天蓋の布を纏めなきゃ良かった。
「そうならないように着いて来てくれたんじゃないんですか?大体殿下ばかり狡いでしょう。私だってイザームさんと、その……」
「………疲れてんだから寝ろっつったのおまえじゃねぇか」
「だからって本当にすぐ眠る人がいますか。こんなに可愛い私が隣にいるのに。この唐変木」
「素直に言やいいだろ。ったく、我慢した意味ねぇ」
仲良しなのはいい事だけど何もここで話さなくてもいいんじゃないか?
聞こえてくるやり取りに何となく気が削がれた。知らずに滲んでいた殺気が引っ込んでいく俺と裏腹に、テオがまた舌を打った。
「何故人の部屋の前でイチャついているんだ、奴らは」
(まずい)
わかりやすくイライラしている。
テオはかわいいだけじゃなくてとんでもなく男らしいから素っ裸で怒鳴りに行く可能性がある。いや、バスローブくらいは羽織るだろうけど。
それでもダメだ。色っぽすぎる。
慌てた俺は、二人を止める為にとりあえずナイフを投げた。
「大将ッ!危ねぇだろ!!」
聞こえた怒声にホッとする。
扉を貫通したナイフは無事に届いたみたいだ。
「ルーカスに当たったらどうすんだ!」
「イザームがいるのに?」
ただ残念ながら静かにはならなかった。
ブーブー言う声に何言ってるんだと首を傾げながらベッドから降りた。
「そりゃまぁ……でも、危ねぇだろ?」
「十本投げたって大丈夫だよ。イザームだし」
「それはさすがにキツいわ。せめて半分にしてくれ」
扉越しに会話しながら下着の上から腰巻きを手早く身に着ける。
伸びて来た指先を取ってちゅっとキス。
帰国する前に整えたから今日も爪は短くて綺麗だ。
「イザームさんてアースィム様にはとことんヘタレですよね」
「はァ?」
「あなた、実はアースィム様が好きなんでしょう」
「好きに決まってんだろ?何言ってんだ今更」
「俺もイザーム好きだよ」
心底不思議そうなイザームの声に笑いながら返したら、なんでかルーカスが沈黙した。
「痛ッ……」
間が空いて届いたのはイザームの呻き声で、首を傾げていると呆れた顔をしたテオと目が合った。
「おまえ達は相変わらずだな」
「相変わらず?」
「鈍い」
反射神経は悪くないと思うけど。
瞬いていたらテオまでベッドを降りようとするものだから、またもや慌てた俺はそれを阻む。
肩を押して背中を支えながらゆっくりと仰向けにし、何か言われる前にささっと濡れタオルを絞って身体を丁寧に清めていく。
「何だ?私は会議に」
「あ、あの、会議、俺が行くよ」
「……おまえが?」
聞こえたんだろう。
ギャンギャン言い合っていた廊下の声が止まった。
「うん」
訝しげな視線に、一度キュッと唇を結ぶ。
ちゃんと言うって決めたんだと自身を奮い立たせて、やたらと鬱血だらけの白くて艶めかしい肌は視界に入れないようにしつつ、目を合わせた。
「その、今日の会議は
早口にならなかっただろうか。
思い切って言ってみたのはいいけど、緊張で心臓が飛び出しそうだ。
「えっと……ずっと忙しかったから、手伝いたくて」
言い訳みたいにポソポソと付け足した。
身体を拭き終わるまで黙っていたテオは、布団を引き上げた俺の手を掴んで甲にキスを落とす。
それからほんの少しだけ口端を緩めた。
「任せる。行って来い」
「………うん」
サラッと言われたその言葉がどれだけ嬉しいか、どうやったら伝わるだろう。
色んなものが溢れ出て目頭が熱くなった。
それを誤魔化す為に、サラサラの髪を撫でてから額に口付ける。
「うん、行って来るよ」
うまく笑えなかったのかもしれない。
訝しげに細まった目には口許だけで笑って返し、扉へ足を向ける。
ドアノブを掴んでから一度、振り返った。
「戻ったら一緒に風呂入ろう。あと、テオに話したい事がたくさんあるんだ」
「………あぁ」
待っている。
続いた声は思いの外優しくて、やっぱり少しだけ泣きそうになる。
静かにノブを引く。
扉に白い膜が重なって破れたような気が、した。
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