羽化・7








白、白、白。

木も土も無く、ただ白い。


まるで膜が張った中に閉じ込められたみたいに真っ白い世界。

見上げた空にも色はなくて、ぼんやりと視線を落とした。


腕を持ち上げる。

いや、持ち上げた気でいるだけかもしれない。

だってそこには何もない。

腕も、手も。

俺という存在そのものまで真っ白で、その反面意識だけはハッキリしていた。


夢でも見ているんだろうか?

首を傾けてからもう一度辺りを見渡してみる。


静かな場所だ。

ゆったりと足を動かす。

よくわからない場所だっていうのに心を占めるのは穏やかな安らぎだけで、不安や焦燥はなかった。


歩むごとに左右に映し出されるのは切り取られた思い出たち。

どうやら俺の記憶を辿っているようだ。

意識せずに笑みが滲む。

夢だとしたらひとつも不思議じゃないし、せっかくだから楽しむことにした。


祖母お手製の等身大のクマのぬいぐるみを背負い、木をよじ登る小さな俺。

身体の何倍もあるぬいぐるみが登っているみたいだ。

泣きべそをかいているからきっと、訓練から逃げている時だと思う。


場面はどんどん移りゆく。


イザームが訓練で初めて大人に勝って、カーミル達とはしゃぎ回る姿。


兄さんや姉さんがどんどん強くなっていき、幼馴染み達もみんなから一目置かれていく。

誇らしげなみんなを一歩引いて眺める俺。


その頃から相棒だったクマを部屋に置いて来るようになったんだった。

それに男達が獲って来た獲物を女達と捌いたりもしなくなった。男の仕事じゃないからだ。


「俺、結構料理、得意なんだけどなぁ」


五人で野宿する時だけは、食事を作るのは俺の担当だった。

美味いって食べてくれるのは嬉しかったし、大将はイイ嫁になれるだなんて軽口に笑ったりもした。

壊滅的に美的センスの無いディルガムには触らせないようにと、やたらと材料を加えたがる男から四人で鍋を防衛しながら作るのもすごく楽しかった。


「作ったら食べてくれるかなぁ」


呟いて、自分の言葉に首を傾げる。

俺は誰に作りたいんだろう。


「……イザーム達?」


他に喜んでくれる人が思い当たらない。

悩んでいる間に雰囲気がガラッと変わった。

浮かんだ次の場面は血だらけの戦場だ。


クルシュの至宝とやらを求めて山に火を放った盗賊団を追い出した先、平地で叩きのめした最初の戦。

忘れもしない。

あの時俺は十四だった。


少し目を離した隙にサジェドが射抜かれそうになって慌てたのをよく覚えている。

寸でで掴み取って事なきを得たんだけど、ブチ切れたイザームを止める勢いだけで敵将の所まで突っ込んだ。正直、初陣で死ぬかと思った。


カーミルとサジェドはテンション上がり過ぎてゲラ笑いしながらバッサバッサ斬り捨てていて、どうかしていたのは最初からかとしみじみしてしまう。


その後でこっぴどく怒られたのは幼馴染みだけだった。

俺はみんなに遠巻きにされる様になって少し落ち込んでいたら、まだ戦に出られなかったディルガムがやたらめったらキラキラした目を向けてくれて。


「……そう言えばクルシュの至宝ってなんだったんだ?」


父さんや母さんに聞いても困った笑顔を浮かべるだけだったし、そもそも山奥の田舎国に宝なんてない。


敵将は突っ込んだ俺達を見るなりイヤな嗤いを滲ませ、ソレを生け捕りにしろとか至宝だとか叫んでいたっけなぁと首を傾げる。

イザームだけじゃなく、カーミルとサジェドまで一緒になってキレ散らかして瞬殺してたから最後まで聞けなかったんだ。


まぁ、想像はつく。

クルシュ人を奴隷にしたい系のアレだと思う。

たまに武器の代わりにじゃらじゃらした宝石を持って膝を着いて見せびらかしてくる変わり者もいたけど、やたらとそういうのと目が合う俺が話を聞く前に父さんや兄さんに叩き出されていた。


「カーミルは美人だったし、サジェドも小さくて可愛かったもんな」


最年長のイザームはその時点でもう大層な男前だったのに、幼馴染み達にちょっかい出す国の男を追い払うのでキレてばっかりだったから色々台無しだった。


イザームさァ、どんだけ強くたってアレじゃ結婚出来ねーだろ。


そんな風に呆れるサジェドに笑ったのはいつだったか。


「本当に良かったよ。可愛い嫁が来てくれ、て……?」


あれ?と思う。


「……イザームは結婚したんだっけ?」


どうしてこんな大切なことを覚えていないんだろう。

続きを映してくれるかと期待したのに、浮かんだのは全く違うものだった。


アースィム。

優しく呼ぶ声にそっちへ顔を向ける。


「………ラドゥ」


ラドバルディ。

山越えの疲労を滲ませながら、小さな俺に両手を広げて笑うサウスレーデンの先王。


また来たのかと呆れる祖父に水が入った水筒を投げ渡されて取り損ねたのを、落ちる前に掴んで渡すのは恒例で。


重いだろうにたくさんの本をくれた。

たくさん、色んなことを教えてくれた。

俺はラドゥが大好きで、もしかしたら父や兄よりも慕っていたかもしれない。


ラドゥに追従して来る騎士達は最初から俺を遠巻きにしていたのもついでに思い出す。

初陣の二年くらい前に半裸の民族服で会ったら、慌てて顔を逸らされてから目と口を開いて固まられたのは今じゃ笑い話だ。


一番最初に会ったのは俺が十になる前で、なんとなく上着を着ている時にばかり顔を合わせていたからずっと女だと思っていたらしい。

それどころかラドゥが少女趣味だって噂されていたとか。


こめかみに血管を浮かせながら剣を抜いた父さんにラドゥは真っ青になって否定していて、幼馴染み達は腹を抱えて笑っていた。


浮かんでは消えるそれらはどれも懐かしく、遠い。


成長したディルガムが混ざってからの場面は戦ばかりになった。

五人で賊達をひたすら斬って、何か言われてはキレる幼馴染み達をどうどうと宥め、飛び出して行こうとするのを呼び止めたり引き戻したりして、また斬って。


戦うのは苦手だ。

痛い思いなんてしたくないし、誰かが痛がるのも見たくない。

それでも隙あらば民を攫おうとする輩を生かして置くわけにはいかなかったから、一撃で息の根を止める方法を考えた。

成長するにつれてそんなことばかり上手くなった。


左右に浮かんでいた思い出がふっと消える。


山での野営が多くなってしばらく経った頃に、病で呆気なく死んでしまったラドゥ。

国中で彼を偲んだ後、孫姫との結婚の為に国を出た。


それから。


「……それから、どうしたんだっけ……」


ふと足が止まった。

姫と兄王に追い払われて、ブーブー言う幼馴染みを黙らせたのまではすぐに思い出せた。けど、続きがわからない。


「国に帰る途中なのかな……」


いや、それも何か違う気がする。

イザームが結婚したかどうかといい、何かものすごく大切なことを忘れているような気がする。

しきりに首を捻っていると、目の前にまたラドゥが浮かび上がった。


「ラドゥ?」


最期に会った時の、白い髭を蓄えたラドゥはいつものように優しく微笑む。

そして真っ直ぐに示されたのは白いだけの背後。


振り返っても何もない。

意味がわからなくてもう一度呼びかけようとした時。


「───、」


心臓に近い場所に知っている指が触れた気がした。

微かに鼻腔を擽るのは馴染み過ぎた匂い。


『……………テオ?』


間を置いてから口をついたのは母国のものではない言葉だった。

洪水みたいに、大切で愛おしい記憶が押し寄せてくる。


金色の髪。

それから、言葉よりずっと雄弁な真っ赤な瞳。


飛び込んだ戦場で出逢った。

苦しいのとか辛いのを堪えて揺れる瞳と、真っ直ぐに背筋を伸ばして立つ相反した姿に目を奪われた。

それは俺にはない強さだった。


好きだって気づいたのは結婚式の夜で、不甲斐ない自分自身に悩みはあっても彼がいてくれる日々は幸せに満ちていて。


パッとラドゥを見る。

ラドゥは笑みを深めて、唇を動かした。


───かえりなさい。


さっきまでは朧げだった肉体が色を持つ。

補強の布を巻いた素足が視界の端に映る。


(そうだ、帰らないと)


右の手のひらと腕からボタボタと血が滴った。

帰るんだと思うごとにはっきりとかたどられていくのは俺という存在だ。

曖昧だった輪郭が鮮明になる。


───アースィム。


『ッテオ!』


ずっと遠くから聞こえた声に踵を返した。


(帰らなきゃ)


(テオが泣いてる)


呼ぶ声は泣いてなんていなかったのにそう感じた。

必死に足を動かし果ての見えない白い世界を走る。


───アースィム、さっさと目を覚ませ。


怒っているようなのにいつもの覇気がない。

そんな寂しそうな声は聞きたくない。

いつもみたいに怒られて、仕方ないヤツだなって呆れられる方がずっといい。


『今帰るから……!』


無我夢中で走った先、いきなり目の前に現れた膜みたいなのを両手で鷲掴んだ。


目の前に広がっていたのは眩しすぎる光の洪水。

何も見えなかったけれど躊躇わずに足を踏み出す。

不安や戸惑いは、なかった。

















「───ッ、ぁ……!」


意識が浮上した途端に襲ってきたのは激しい痛みだ。

全身を隙間なく突き刺されているような、もしくは内臓を引っ掻き回してぐちゃぐちゃに混ぜ込んでいるような意味のわからない激痛。


痛みで気を失って捕まらないようにってクルシュでやっていた耐痛訓練は当たり前に参加していないし、幼馴染み達に守られていた俺はかすり傷とか打撲程度しか覚えがない。

だから余計に大袈裟に痛むのかもしれないけれど、それにしても、だ。

指一本動かすのもしんどくて噴き出た脂汗が頬を伝う。


「痛、ぅ……ッ……」


呻き、乱れる呼吸を整える努力をする。

息を吸うだけで肺が焼けるようだ。

戻ったばかりの意識が一瞬遠退きかけたのには歯を食い縛り、ノロノロと自分で自分の身を抱いて激痛に耐える。

そのおかげか気絶する直前までの出来事が脳裏に蘇った。


俺が受けた山蛇毒は生き残ることを絶対に許さない猛毒。

摂取直後、駆け巡る毒素に気を失ったまま死ねなかったら待っているのは地獄だ。内臓や血管を攻撃し壊死させる過程で絶命するまで気が狂いそうな痛みを与えてくる。


(これは、たしかに…ッ…)


知識としては知っていた。

でも実際に体感してみて初めてわかる壮絶さは言葉じゃ伝えきれないものがある。


どこのどいつが一体何を考えてこんな代物を作ったんだ。ケンカを売ったことが一度もない俺だってさすがに怒る。

なんて、くだらないことを考えるのはただの現実逃避だ。


痛みを感じるってことはレデナ中毒が抜けている証拠で、依存性も進行も早いアレを後回しに出来ないのはわかる。

こうして生きている時点で血清が間に合ったんだろうし、それならこの痛みは攻撃じゃなく毒素を追い出すもの。

生きるためなのだから、俺はこの波が過ぎるのをただ待てばいい。


「は、ッ……」


は、は、と聞き苦しい呼吸が噛み締めた歯の隙間から漏れ落ちた。


(に、いさま、って、いって、た)


必死に頭を働かせる。

なんでもいい。

何かしら考えていないと保っていられない。

エディオン王子や王は無事に治療を受けられているだろうか。


二人の中毒は末期だった。

前のような笑顔を浮かべられるようになるには相当な時間が必要だろう。

これからが大変になるのは目に見えているから、もしかしたらテオ達が本格的に舵取りをすることになるかもしれない。


(おれも、なにか、てつだえる、かな)


エディオンの兄姉も血の繋がった叔父も奪った俺を兄と呼んでくれたんだ。ほんの少しでも支えられたらいい。


そこまで考えて、一瞬でも気を抜いたらまた落ちそうな意識を朦朧と移ろわせていく。


イザームとサジェドはキレなかっただろうか。

俺がドジ踏んだせいで二人が牢屋とかに入ってたら笑えない。

それにしても。


「ぅ……ッ、……」


(いたい)


痛い。

身体が内側から引き裂かれそうで思考が散る。

なんでもいいから何か考えないと。


(なにか、)


明滅する頭が巡らない。

なにか、と、必死に縋る俺は意識せずに口を開く。


「………、てぉ……」


ガタンと音が鳴った。


「アースィム!!」


呼ばれて、一瞬思考が止まる。

刻んでいた呼吸すら止まった。


「医者を連れて来い!」

「わかってる!」

「大将ッ」


周りで慌ただしく立つ足音。

額に押し当てられた濡れタオルに、ほうと息が溢れた。


「すぐ医者っからな!」


(サジェ、ド)


そう言えばイザームの声も聞こえた気がする。二人とも牢に入るような事態にはならなかったみたいだ。

良かったと思いながら、歪む焦点を合わせる為にぎこちない瞬きを繰り返す。


ぎしりと鳴ったのは俺が寝ているベッド。

カーテンが閉じられていて今が一体何時頃なのはわからない。

いつの間にか固く握り込んでいた指を這わせ、シーツとタオルケットがアルストリアにはない独特な織り物だと辛うじて知った。


「アースィム、私がわかるか?」


広いベッドに乗り上げた彼の影が落ちる。

テオと口を開いたら、咽せた。

ゲホゲホと咳き込んで錆びた味を吐き出す。

サジェドが焦ったような声を上げ、テオが何か返して。


(いたく、ない)


すごく痛い。

目が霞むし、素直に白状すると死にそうだ。


(痛く、ない)


大丈夫。

たくさん心配かけたしいっぱい傷つけた。

それに比べたらこんなのはちっとも痛くない。

だから全然大丈夫だと繰り返し言い聞かせる。


持ち上げた左手で汗を拭いてくれる手首を掴んだ俺は、そこに鼻先を寄せた。

深く息を吸ったら肺を締め上げられるような痛みが走ってまた呻きそうになったけれど、奥歯を噛んで呑み込む。


「……ごめ、ん……」


二人がぴたりと動きを止めた。


「テオ……ジェド、も……」


包帯の巻かれた右手をベッドに着く。

情けなく震える腕を踏ん張って身を起こす俺に、慌てて背を支えてくれたのはサジェドだった。


「ちょ、ムリすんなって……!」

「だいじょ、ぶ」


これ以上心配かけたくなくてへらりと笑って見せても、平気なフリをするには顎から止めどなく滴る汗が邪魔をする。

遅い動きで見上げた先、重なった視線には自然と口許が緩んだ。


「テオ」

「───ッ、」


今度はちゃんと呼べた。

また笑ったら唇を噛んだテオに荒々しく掻き抱かれる。


「……テオ……」


あぁ、本当の本当にテオだ。

言いたいことがいっぱいあるだろうに、またこうして抱き締めてくれるなんて夢みたいだ。

温もりに息を吐いて、背中をそうっと包み込む。

そこでハタと気がついた。


(あれ?本当に痛くないな?)


痛すぎて感覚が麻痺したって感じじゃない。

テオに無様な姿を見せられないっていう、脳筋ならではのただの根性論な気がする。


(いやいや、そんなことあるか?)


さすがに自分自身にドン引きしたけど、まぁ、心配させなくて済むならなんでもいいやと頷いた。脳筋バンザイだ。


「馬鹿者が……!」


絞り出された叱咤。

ほんの少しだけ震える語尾。


(少し痩せた)


金髪は艶が減ったようだ。

顔を上げたテオを間近に見れば目の下に隈まで出来ているし、あまり眠れていなかったのかもしれない。

左手の親指で目元をなぞり、額に口付ける。


「テオ、愛してる」

「おまえは……っ……!」


弾かれたように顔が上がった。

赤い瞳が大きく揺れる様に眉を下げる。

どんな言葉でも受け止める覚悟は出来ているつもりだし、怒られても殴られてもいい。

ただ一個だけ、離婚だけは勘弁して欲しいけれど。


黙って続きを待つ俺にテオは舌を打ち鳴らした。

眉根をギュッと寄せた顔はもういつも通り、瞳も揺れていない。


「……おまえは、私のものだと言ったはずだぞ」


すぐに取り繕えてしまえる姿に心臓が軋む。

完璧な王太子だからと言われてしまえばそれまでだし、そもそもが俺のせいだ。


「本当にごめん。俺は全部テオのだ。もうあんなことしないって誓うよ」


祈るように言葉を重ねながら、そうっとそうっと唇を触れ合わせる。

噛んだせいで赤くなっていて痛々しい。

切れたりしないようにと少しだけ舐めた。ら。


「っわ、」


頭をガッと両手で掴まれて、びっくりしている内に強引に滑り込んでくる舌先。

そんなつもりは全然なかったんだけども悩むまでもなく欲望が勝った。粘膜接触とかでどうにかなる毒じゃなくて本当に良かった。


ん、と鼻先から息を抜くテオを抱き締めながら顔を傾ける。

全然謝り足りないし話も出来ていなくて、でも結婚してからテオとアレコレしなかった夜は両手で足りるくらいしかない。つまりはこんなにシなかったのは初めてで。


(まずい。勃ちそう)


「……アースィム……」


息継ぎの合間に囁くように呼ばれてギュンって心臓が跳ねた。

ベッドの上でしか聞けない甘えん坊テオバージョンだったからだ。


(え?シてイイの?)


俺はどれだけ誘惑に弱いんだろう。

内臓とか色々ズタボロだと思うし今の今まで痛みに呻いていたっていうのに、フラフラと傾く思考回路。

痛覚は誤魔化せてもソッチの本能は切り離せなかったらしい。


「あ、あの、話とか、したりは、」


でもやっぱりちゃんと謝ってからの方がと戸惑う俺に、テオが目を細めて頸を擽ってくる。

ちゅ、ちゅって啄んだり唇を舐める赤い舌。


「アースィム?口を開け」


(いや我慢とか全然ムリ)


あれだけ悩んだのが一体何だったんだと呆れるほど素直に口を開けた。

それだけで止まるはずもなくて、頬から耳の下に手を滑らせて噛み付くみたいにキスをする。


「っん……!」


喉を鳴らすテオにゾクゾク粟立つ肌。

俺の渇いた口内を湿らせる舌を掬い取って、絡めて、角度を変えて貪っていく。


この二年で行為そのものには慣れた俺だけど、テオの魅力には一向に慣れない。

むしろ慣れる日なんてきっと一生来ないに違いない。

こんなんでどうして離婚だの何だの考えられたのかが不思議で仕方なかった。


勝手に追い詰められて家出みたいに飛び出した上にドジ踏んで死にそうになって、まるで悲劇のお姫様気取り。

間違いなくどうかしてたんだと思う。

レデナで理性を失っていたんだよって言われた方がすんなり納得出来る。


(寂しがらせたんだから応えるのは夫の役目だよな)


心の底から真面目に、大きく頷いた。

あとでちゃんと怒られようと大切なことを丸々後回しにした俺が、口端を舐め上げてからまた重ねながらテオの腰をさわさわ撫で始めたタイミングで。


「なァ?盛り上がってっとこアレだけどさァ?」


背後から呆れた声が響いた。

完全に忘れてた。


「サ、ジェド……っ、」


慌てて離れようとしてもガッツリ頭を抑えられて身動きが取れない上、擦り付けられる舌が熱くて甘くて、すぐにテオに意識が持っていかれてしまう。


これはまずい。

腰を撫で回す手が止まらない。

止める気のないテオに逆らうなんてムリに決まってる。


「大将が見てろっつーなら見ててもイイけどよ。さすがに声とか聞きたくねぇから王太子の口は塞いで欲しいわ」

「ッ、何、言ってんだ!」


ちゅうちゅうキスされている俺の背中に、なんでかべったり張り付いて来た重み。

この場面でじゃれてくる意味はわからなかったけれど、ようやくちゃんと我に返れた。


「見せるわけないだろっ」


我慢出来なくなって漏れる声がとんでもなく可愛くてエロいんだ。塞いだらもったいないじゃないか。


言ったら確実にキレられそうな本音は辛うじて呑み込んだ。

痛くないように丁寧に、でも理性を総動員して頑張って顎を引いて、テオの艶っぽい顔が見えないようにって胸元に頭を抱え込む。

ち、っと忌々しそうな舌打ちが響いた。


「空気も読めないのか」


もぞもぞと顔を上げたテオが睨む先は俺の肩の向こう。

俺がぐいぐい抱き寄せたせいで足の上に座っちゃってるしサジェドの前でキスとかしちゃったのに、なんでそんなに堂々としていられるんだろう。

恥ずかしくて火を噴きそうな顔をテオの肩に押し当てる俺とは大違いだ。


「大体誰の許可を得て馴れ馴れしく触っているんだ?出て行け」

「なんでてめぇの許可がいんだよ。つか、大将起きたばっかなんだから退けっての」

「貴様こそ退け。目障りだ」

「どっちが。他人ひとで発情してんじゃねぇよ」

「アースィム、聞いたか?おまえの幼馴染みは随分な言い草だぞ。この際縁を切ったらどうだ」

「てめぇに言ってんだよッ!!」


(仲良いなぁ)


口が達者な二人がぽんぽん言い合うのはいつもの事だし、テオもサジェドも本当に嫌いな人間とは目も合わせない派だ。

なんだかちょっとモヤっとしながら、テオの背中を撫でる。いかがわしい感じにはならないようにだ。


室内を改めて見渡す。

随分と広い部屋だ。

アルストリアで使っている寝室くらいあって、天井の造りや置いてある調度品にまだサウスレーデンの城にいるんだろうとアタリを付けた。


(迎えに来てくれたのか)


俺の頭を片腕に抱き、サジェドと言い合いを続けるテオを上目に見る。

口調こそいつもと変わらないけど、本当にいつものテオなら適当なところであしらって切り上げるんだ。それにプンスカ怒ったサジェドが出て行くまでが決まった流れで、だから一向に引く様子のない姿は珍しい。


胸が締め付けられる。

瞼を伏せた。


(一人にしてごめんな)


込み上げてきたのは自分への苛立ちだった。

どうしたらテオは安心出来るだろう。


「俺らの絆は惚れた腫れたとかなんかよりよっぽど強ぇんだよ。ポッと出の嫁は遠慮しろッ」

「そのポッと出にまんまと奪われたのはどこのどいつだ」


(………これ、いつ終わるんだ?)


テオが鼻で笑って、サジェドは低く唸る。

真剣に悩んでいる俺を他所に盛り上がっていく口喧嘩に、どうにも緊張感が失せてしまう。


(とりあえず……)


今のうちにテオを補充しておこうとすりすりすりすり髪に頬擦りしたり匂いを嗅いだりしていたら、視線がようやく俺に戻ってきた。


「顔色が悪い。痛みはないか?」

「ないよ、大丈夫」


足の上に尻を落ち着けたテオが俺の首筋を撫でる。

その間、巻きついたサジェドの腕がぎゅうぎゅう締め上げてくるのは突っ込まずに耐えた。骨が折れない程度にして欲しい。


「本当だろうな?おまえが動けなければアルストリアに戻れん。痩せ我慢は邪魔なだけだぞ」

「うん、わかってる」


痩せ我慢してたのは最初だけで今は本当に痛くないし。

テオの言葉から離婚は無さそうだと心の底から安堵した。

訝しむ声に頷きながら手首にキスを落としたら今度はギッと睨まれる。


「反省しているのかおまえは。私がどれだけ気を揉んだと思っているんだ」

「うるせぇなァ、説教すんなら帰れっつーの。大将には俺らがいるし。なァ?大将」


「え?いや、」


「ピーピー泣いていただけの貴様に任せろと?頭がおかしいのか?」

「はァ!?泣いてねーよッ」


「あの……」


「いちいち騒ぐな。大体何度同じことを言わせる気だ。私のアースィムから離れろ」

「誰がてめぇのだ、調子乗んなよクソ王太子」


口を挟む隙が全然ないんだけども。

これはもう少し待った方がいいかもしれない。


テオの意識がまたサジェドに移ったのをいいことに、手首から手のひらに唇を滑らせて啄む。指が跳ねた。

チラッと向けられた流し目がとんでもなく色っぽくて、いつの間にかおさまっていた劣情は簡単に再燃する。


(どうしよう。今すぐ抱きたい)


サジェドの言う通りだ。

借りてる部屋で発情するなんてどうかしていると思うのに、中途半端に触れ合ったせいかテオを感じたくて仕方ない。


(ちょっとだけ二人になりたいって言ったら、やっぱり怒られるかな……)


相当浮かれている自覚はある。

上がる体温に突き動かされるまま首筋に顔を寄せた俺が、強く腰を抱き寄せたところでバタンッとドアが倒れた。


開いたんじゃない。

外れて、文字通りに倒れた。

ピタリと口論が止まり、俺もぎこちなく目を向けた先。


「医者だ!!」


すごい剣幕のイザームがそこにいた。


(肩に担がれた人、気絶してるけど……)


「ソイツを医者に診せた方が良くね?」


呆れ果てたサジェドの言葉への反論は、当然上がらなかった。






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