最後の精神病院入院日記
脳病院 転職斎
第1話
2019年から2020年にかけ三回に渡り雁の巣病院に入院した俺は、貴重な20代後半の青春を棒に振ってしまった。
今考えれば思い出したくも無い閉鎖病棟の保護室、制限された外出、どれも苦しいものでしかなかったが、その中にもまた喜びはあった。
自分含めて頭がおかしな連中ばかりの環境にいても、その時はその時で会話して楽しかったのも事実だ。
俺は退院後、職業訓練校と就労移行支援を経て社会復帰したが、今の嫁と知り合い熊本に移住するようになってからも、心のどこかに精神病院時代の懐かしさが忘れられないでいた。
2024年の俺は、社会復帰を果たしていたから経済的に余裕があった。また、長く勤めていたため有給もある。
もし、今の健康な状態の俺が精神病院に入院したらどのような感覚になるだろうか?
気になって気になって仕方なくなった俺は、熊本中の精神病院に電話して、短期間での任意入院が可能か伺ってみた。だいたい数十軒は掛けたことだろう。
やはり一、二か月入院しないと駄目なのだろうかと諦めかけていた時、一軒の精神病院から三日間での入院が可能ですとの返答を頂いた。
このチャンスを逃してたまるものか!
2024年中旬、俺は熊本市内の精神病院に入院した。
雁の巣病院と同じく、最初に医師の診断があり、治療計画について説明を受ける。やがて看護師に案内されて病棟に着き、入院生活に関する説明を受けた。
この時、数年ぶりだろうか?俺は所持品の金属類、紐類を預けさせられ、4年ぶりに精神病院の空気を吸った。
これからはどんなことが起きるのだろうか?そうこうしていると12:00頃に食事が運ばれて来た。久しぶりの精神病院飯だ。
暖かくて美味しい。あの頃を思い出す。
懐かしさやワクワク感がスパイスとなり、あっという間に俺は昼飯を平らげた。
しかしどうしたものか?
雁の巣病院と違って患者同士の触れ合いがない。俺が知っている精神病院とは違う世界だ。
昼食後しばらく物思いに耽っていたところ、
患者の自由参加の体育館スポーツレクリエーションの点呼が始まった。
早速俺は参加して体育館に向かった。
ここでサッカーとかやって、楽しい精神病院生活が待っているんだろうなと思った。
が、ワタルさんは入院して間もない統合失調症患者なのでウォーキングのみとなりますと告げられた。
⁈
何故なんだろう?何だか思っていた入院生活と違うぞ?
雁の巣病院に入院した時は、皆んなでサッカーをしたり野球をしたりして、皆んな子供時代に戻って遊んだものだ。その楽しみさえ今回の入院生活では与えられないようだ。
そして、どうやら俺は統合失調症らしい。4年も前に完治したはずだと言うのにまだ統合失調症とされている。今の俺には何の幻覚や妄想も見えないのに。
思えば雁の巣病院に措置入院になった時、俺は自分を統合失調症だと思わなかった。正常である俺が周りの患者のようなキチガイであるはずが無い。
俺はおかしくなんかない。しかし、俺に付けられた診断名は統合失調症。当時紛れもなく俺はキチガイだったのだ。
そんな認めたくも無い疾病名を付けられ、運動する自由も無くなった俺は、誰も将棋やトランプをしないロビーを一人彷徨った。
それにしても、自由は制限されてなくても何もやることもなく、誰とも話もしない病院の夜は不自由で退屈で長い。
俺の部屋を出てすぐの所に漫画の本棚もあるが、俺は長時間本を読む苦痛に耐えられなかった。飽きてすぐに読書を辞めた。
そして、作業的に洗濯機にコインを入れて洗濯し、乾燥が終わるまでスマホをしながら待ち、長い夜に動きを入れて時間が経つのを待った。
やがて看護師が現れて消灯時間なので薬を飲んで下さいと告げて来た。俺は乾燥機から洗濯物を取り込み、横になった。
がらんとした真っ暗な個室。何の音も聞こえず、普段ならたくさんあるはずの想像力も出てこない。俺は目を瞑り、明日が訪れるのを静かに待った。
そして朝の点灯で目を覚まし、機械的に朝食を8時頃に食べ、これから長い退屈が始まるなと途方に暮れていると、作業療法士が現れた。
これから塗り絵や手芸のレクリエーションが始まるので参加したい方は集まって下さいと言い出した。
これは他の患者達とも関われる機会なのでは?
そう思い、俺はレクリエーションに参加した。
が、参加してみると皆んな無言である。
一体皆んなどうしたのだ?
これは福岡と熊本の県民性の違いか?
とりあえず何かやってみようと思い、俺は写経を希望して、ただひたすら般若心経を書いた。とにかくひたすら般若心経を書き続けた。
書くうちに俺は、今までの精神病院での日々、辛い生活保護の日々、離婚した日のことなどを思い出していき、その全ての終止符を今回の入院で終わらせないといけないと思うようになっていった。
何故だか分からないが、一字また一字と書く度に心のモヤモヤが取れていく気がする。
そうか、俺はこのために今回入院したのか。
精神病院に入院してワクワクする楽しい思い出を作ろうとしていた俺が間違っていたのだ。
だから今回の入院は何もワクワクしなかったのか。
1時間は般若心経を書き続けただろうか?
地味なレクリエーションは気付くとあっという間に終わり、お腹が減ったことに気づいた。
この時間のせい?
俺は売店でチョコモナカジャンボを買って、空をボーっと見上げながら頬張った。今のこの何も無い時間も、長い人生の中であっという間に流されて忘れられていくのだろう。こんな時間も悪く無い。
訪れた今、良い時間。久々の良い時間。
その日は退屈さがあまり気にならなくなり、薬を飲んですぐに深い眠りに着いた。
翌朝は遂に最終日だが、ぼんやりと過ごしたこの二日間で何か得られるものはあったのだろうか?
早朝、俺はタバコを吸いに外に出た。雨が降っていたので傘を持っていった。
街路樹の下でタバコを吸おうと思って近づくと、同じ病室の中年女性もタバコを吸っている。
あなたもここで吸うのですねと声を掛けた。俺はここに入院して以来で初めて口を開いた。
聞けばこの女性は、近所のスナックで働いていて、過去に何度も入院したことがあり、今回も閉鎖病棟から開放病棟に移って来たとのこと。
精神病院では水商売関係の入院患者は昔から多いのだが、精神障害者になってしまったからこそ夜の仕事にしか就けなくなった人なのだろうと俺は推測した。
そしてタバコを吸い終えて病棟に帰り、正午の退院時間まで何をしようかなと思っていたところ、また作業療法士が現れてスポーツレクリエーションの点呼を取り出した。
これが俺が最後に経験する精神病院のレクリエーションか。どうせまたウォーキングだろう。
とりあえずやる事が無いので参加してみると、
今回のレクリエーションは全員参加型のゲートボールだと告げられた。
おお!
俺の入院生活最後にゲートボールが出来るとは!
雁の巣病院のデイケア以来のゲートボールだ!
俺は知らない患者とペアを組まされ、トータルで高スコアを狙いに行った。
うろ覚えだが、結果は三位か二位だった!
何の褒美も貰えないけれど、俺は人とコミュニケーションが取れたことによって嬉しさに満ち溢れていた。
そして12:00に最後の昼食を食べ、荷物を揃えて退院した。駐車場には見慣れた嫁の車が待っていた。
いよいよ明日からは仕事である。いつもの日常がまた戻って来る。
雁の巣病院ほどエピソードに溢れた入院生活とはならず、地味な入院生活だったが、とにかくこうして2024年・人生最後の精神病院入院生活は終わった。
最後の精神病院入院日記 脳病院 転職斎 @wataruze
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
離婚日記/脳病院 転職斎
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます