第11話 合流に息を、撫でに数を

Ⅰ 開幕――二度目の“透明”、床に灯る祠水印


 朝の講堂は、昨日より少し白かった。天井の照明を一段落とし、床の祠水印ラインが目に見える程度に淡く光る。角ごとに埋め込んだ微細刻印は、踏まれれば履き跡と重なって記録になる。

 配信用のカメラは計四台。天吊り二台は広角で会場全体を、サイドの二台は実験台の手元と観客の表情を交互に切り替える。配信卓には二重の鍵。画面の四隅に時刻とセッションIDを含む祠水印が脈打ち、編集の切り継ぎを露骨に見せる設計だ。


「——始めます。公開共同研究 第二回:合流の乱流制御」

 澪の声は芯が通っていて、しかし春の空気みたいに柔らかい。

 前列には学園生徒、後列には一般市民席、最後列に他校の陰陽師候補生。通路際には記者。スマホの画面に流れるコメント欄は、すでに雨粒のように賑やかだ。


〈うわ床に刻印あるのエモい〉

〈水印えらい!切り抜き対策〉

〈臨界点ちゃん今日もかわいい〉

〈数値派の解説楽しみ〉

〈唐揚げの人また出る?〉


 颯がスクリーンに図を出す。「今日の論点は乱流です。輪で局所を鎮め、川で外流に合わせ、撫でで極端を薄める。合流点の滞留時間と交差角が要です」

 私は胸の小袋を指で軽く叩く。からん。石は眠く、守るより見せる日だと告げる。

 隣には天御鷹真。一拍、私が吸い、彼が吸い、同時に吐く。息が合えば、合図はいらない。



Ⅱ 実演(基礎)――輪の臍、川の肩


 透明の水路模型は、昨日よりも接続部が滑らかだ。学園工房で削り出した樹脂に微細水印が彫り込んである。

 私は細い筒を持ち、喉の奥で星をひとつ転がす。輪を置くと、筒内の水に渦が立つ。砂が臍に集まり、観客の目に“閉じ込め”が見える。

 輪の縁を撫でて、外に川を敷く。合流点の肩が下がり、砂の軌跡がほどけてゆるむ。拍手。

 澪が要点を添える。「閉じすぎは圧、合わせすぎは希薄化。——ほどよさが命です」


 スクリーンにコメントが滝みたいに流れる。


〈見えるの分かりやすすぎ〉

〈撫で=極端薄める手、覚えた〉

〈臨界点ちゃんの手つきがもう料理〉



Ⅲ 実演(乱流)――半拍ズレの訓練、ぴたりの再会


「では、不測の合流に移ります」

 澪の合図で補助がレバーを落とす。右水路の流量が跳ね上がる。

 私は内に輪、鷹真は外に川。息が合っているから、置く高さと速度が自然に揃う。

 砂は二条の曲線を描き、尖りが見えない。拍手の熱が一段上がる。


「次、現場のズレを再現します」

 颯が淡々と言い、補助がもう一段落とす。私は半拍早く輪、鷹真は半拍遅く川。

 ぱしん、と水の面が弾けて観客が息を呑む。私は笑って、「唐揚げの油も、鍋の縁を撫でると落ち着くよ」と言いながら縁をなでる。

 同時に、鷹真が外流の減衰係数を更新する。「0.62→0.58に。臍の位相を合わせる」

 輪が臍をやわらげ、数が肩を落とす。弾けは一拍で収まり、砂は泳ぐように散った。


〈例えが天才〉

〈数値が横で走るのカッコよ〉

〈二人のタイミングすげぇ〉


「いまのズレは意図的です」

 澪が締める。「ズレは悪じゃない。撫でと数で合う。——息が、手になる」



Ⅳ 透明の裏側――切り抜きの雨、飴と棘


 休憩の三分後、非公式アカウントが切り抜きを投下した。

 『臨界点と財閥後継、食い違いの瞬間』『“感覚で鍋を撫でる”安全設計?』

 祠水印が生映像の出所を示しているから改変はされない。だからこそ、要約と見出しの温度で揺らす。

 反対側からは有栖川のチームが、別角度で「笑って頷く二人」「“温度の共有”」を押し出す。

 飴と棘が同時に口の中へ。

 黒江は配信卓で通知を淡々と捌く。「出典明示」「文脈補足」「誤誘導注意」。叩き潰さない。撫でる。

 私は紙コップの水を飲み、石を指で叩く。からん。浅い。まだ来ない。



Ⅴ 理事会――“温度の象徴”を決める声


 都心の塔の最上階。

 鳴海(財務)は反応曲線を指でなぞる。「不安の波形は売上を伸ばすが、過剰不安は長期に悪い。温度を作れ」

 西園寺(流通)は地図に赤い矢印を増やす。「学園支援パックを倍増。蛇口は腹へ通す。工事は祠に睨まれた、遅らせる」

 有栖川(広報)は笑みを崩さず。「善と不安を同時に流し込む。温度を支配すれば、物語を握れる」

 九条(警備)は黙して映像の合流点だけを巻き戻す。

 織江が結ぶ。「斎宮透花は温度の象徴に。孤立ではなく囲い。善で輪を作り、蛇口で満たす」



Ⅵ 学内の揺れ――“どちらが安心?”


「鷹真くんの数のほうが安心じゃない?」

「いや、臨界点の撫でがあるから事故らないんだって」

 廊下の声は半々。

 澪の肩がぴくりと強張る前に、私は笑って「二人で合流してるよ」と言う。

 それがまた『天真爛漫で押し切る臨界点』みたいな見出しになって流れていく。

 でも、いい。天真は空気の湿りを飛ばす。



Ⅶ 祠の低音――乱流そのものが“形”になる


 夕暮れの祠室。石は乾き、油煙のない灯が一点だけ揺れている。

 蔵王が言う。「境が、合流の形で膨らむ。乱流そのものが“式”から“形”へ、怪異化しつつある」

 颯の目が細くなった。「数で乱流を設計し、符でトリガを噛ませる。鍵屋の仕事に近い」

 澪が小さく息を呑む。「人為……」

 私は石に触れる。からん。低い。来る。



Ⅷ 夜の校舎裏――排水管の渦、音も匂いもある“式”


 日が落ちると、講堂裏の排水管がぬめるような光を帯びた。

 渦は水ではない。数学の黒板から降りてきた線が、水の匂いと油の匂いを吸い、薄い輪を巻き、表面張力みたいな皮膚を持って揺れる。

 耳にざらついた高周波が触れ、鼻に鉄の匂いが刺さる。表面には、ごく小さな紙片が貼り付いている——祠水印ではない記号。鍵屋の簡易通し印。


「——行く」

 私は一歩で距離を詰め、喉の星をひとつ。輪を二重に、川を外へ薄く。撫での速度を遅緩→一定に。

 渦の臍が一瞬だけ黙り、だが外側の肩が盛り上がる。

 屋根の縁に、一瞬だけ人影。九条か、その部下か。すぐに消えた。


「減衰係数0.62、外圧1.3。臍の位相+π/4」

 背後から鷹真の声。数式が夜気の上に文字として立つ。

 私は星をもうひとつ、輪の縁を浅くして手触りを柔らかくする。

 二人の調整がぴたりと重なり、渦の肩が沈む。臍は眠い息を吐き、光がざらつきから粉へ。

 粉は草の露に乗って落ち、ただの湿り気になる。


「——もう一段、撫でを浅く」

 私は囁き、鷹真が「外圧1.2」に落とす。

 渦の輪郭が紙に戻り、紙は破れず、夜の湿りに溶けた。

 胸の石がからん。来ない。終わりだ。


 駆けつけた黒江は「写真だけ」と短く言い、紙片の癖、樹脂の光り方、残り香をすべて記録に収めた。



Ⅸ 朝の紙面――“共闘”と“依存”の見出し


 翌朝、食堂のテレビは静かにしゃべる。字幕は騒がしい。

『学園と財閥、乱流怪異を共闘で制御』『公開研究の成果』『“温度”で社会を守る』

 同時に、別の帯には『学園は財閥なしでは危うい?』『透明性の裏で“感覚”頼み』。

 私は唐揚げに塩を二振り、牛乳を飲む。「食べるニュースは、元気になる」

 澪は少し笑って肩の力を抜き、颯は「切り抜き耐性」スライドを新たに一枚増やす。莉子は『乱流ってなに?』会報の図解に鍋の絵を描き足した。



Ⅹ フォローアップ公開――“乱流の窓”を狭める設計


 午後のフォローアップ。

 颯が示す図に、危険領域=乱流の窓が赤い楕円で示される。「輪×川の交差角を小さく、撫での滞留時間を均一にすると、窓が狭まります」

 私は言葉で補う。「紙、破らない。極端の肩を落とす。鍋を撫でる」

 鷹真が数で裏打ちする。「臨界点の撫でに寄り添う数。鍵穴ではなく蛇口に近い数です」

 息はもう、合図というより呼吸だった。拍手は長すぎず短すぎず。ちょうどいい温度に落ち着く。



Ⅺ “善”の列を敵にしない――内と外の台所


 放課後、校門の外には学生支援フードの移動販売車。列は静かで、でも長い。善は腹へ届く。

 学園内の補食窓口にも列。事務主任の書類は短く、水と味噌汁が必ず出る。善は内に置ける。

 昨日の上級生が、銀のペンを胸から外し、代わりに申請書の控えをしまった。「窓口、助かった」

 私は唐揚げを渡す。「塩、いる?」

 彼は笑わないけれど、顔の硬さが薄くなった。



Ⅻ 塔の陰――九条の独白


 塔の屋上、風はほとんどない。

 九条は一人で夜景を見下ろし、瞼を一度閉じてから開く。

 撫でと数がぴたりと合うと、安全核の希少性は薄まる。市場の言葉で言えば価値の平準化。

 現場の言葉で言えば、灯りが増える。

 彼はそれを知っていて、眉をほんの少しだけ寄せた。「次を見る」



ⅩⅢ 祠室――半目盛りのまま


 夜、祠の灯は小さく、安定している。

 蔵王が水位の目盛りを示す。「半目盛り上がったまま、固定。悪くない。撫でが間に合っている」

 澪は頷き、颯は「導線記録」と「封印タグ」の点検表にチェックを入れる。

 私は石に触れ、からんと確かめ、牛乳を一口飲む。「寝る」

 「寝るの宿題、提出済み!」と莉子は元気よく手を挙げ、祠がかすかに笑ったように見えた。



ⅩⅣ 屋上――半歩の距離、ぴたりの息


 星は少ないが、風は気持ちいい。

天御鷹真が立つ位置は、いつもより半歩近い。近すぎない距離だから、ぴたりと並べる。


「今日の実験片は人為。けれど強行ではない。善の外側、影の練習だ」

「輪の外に川、その外に撫で」

「……君の比喩はいつも腹が減る」

「唐揚げ、いる?」

「遠慮しておく」

 彼は息で笑い、きちんと礼をした。「並走。——僕は、孤立させない」

 礼を返す。息が合えば、手は勝手に同じ方向へ動く。



ⅩⅤ 翌朝――紙の角は丸く、破れない


 掲示板に新しい紙が一枚。

 “公開共同研究 第三回:裂け目の前で(祠水印/編集折半/個人遮断/導線記録)”。

 角は丸く、繊維は強い。破れにくい紙だ。

 私は指で縁を撫で、唐揚げに塩を二振りして、牛乳を飲む。

 胸の石を軽く叩く。からん。

 来い、ではない。行こう。

 輪を撫で、川を合わせ、紙を破らない日へ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る