リチャード三世の言う「悪党」を、ラカンの精神分析で読んでみた
植田伊織
ラカンの「鏡像段階」「シェーマエル」で読む、リチャード三世
*以下の文章は、植田の卒業論文の一部である。(完成系は紛失した)
内容に関しては、リチャード三世をラカンの精神分析である「鏡像段階」「シェーマŁ」で読むと言う物だ。
私がAIに、思考の全てを任せるのに違和感を覚える理由が、下記の文章で書かれているため、記録として残した。
リチャード三世は、物語の冒頭で「悪党」になる事を意気揚々と誓うが、終盤では、己を「悪党」であると再認識して絶望している。
この、「悪党」という記述は、前者と後者で示す意味が異なっているように解釈できる。
この二つの「悪党」の違いを検討しよう。
まず、グロスター公の「悪党になって見せる」(p12)という独白に注目したい。
先に書いたように、これは現時点で彼の自我が「悪党」である事を表すのではなく、彼が己の自我を「悪党」とするように試みている事を表すのである。
よって、グロスター公は策略を用い、「悪党」を演じる事で、「悪党」という自我を引き受けていったはずである。
彼が「悪党」を故意に演じている事は、アンを口説くエピソードでも伺えるのであるが、グロスター公の独白に、はっきりとその事実が記されている。
それは、エドワード王の息子である、幼い王子との会話での傍白にある、「こうして道徳劇に出てくる悪玉よろしく、一つ言葉に二つの意味を盛り込むというわけだ」[前掲書,p84]という台詞である。この台詞の原語は、『大修館シェイクスピア双書』によれば、「Thus, like the formal vice, Iniquity, I moralize two meanings in one word.」[山田昭広『〈大修館シェイクスピア双書〉リチャード三世』,大修館書店,1987年,p188]と、より直接的に表現されている。
この言葉に表されている、グロスター公演じる道徳劇に出てくる正式な悪党とは、一体何者であろうか。
英文学研究者の山田昭広によれば、イギリス演劇の主流を形成していた、インタリュードや道徳劇などと呼ばれる戯曲に登場する「「悪」(The Vice)」という人物は、「悪事を稼業とする一種の道化」[同書,p19]であり、本来明るい性格であると述べている。しかし、この説明では、19世紀当時の「悪党」像と現代の「悪党」像の違いが曖昧である。エリザベス朝においての「悪党」とは、何者だろう。
ライオネル・トリリングは当時の「悪党」を「装い偽る者」[ライオネル・トリリング『〈誠実〉と〈ほんもの〉――近代自我の確立と崩壊――』,筑摩書房,1976年,p26]であると定義している。
彼は、劇の中に使われている「悪党」という言葉に、必ずしも装い偽るという意味が無い事と、「悪党」がその悪に欺瞞を混ぜず、悪を行う意志をあからさまに見せることもあり得ると断った上で、シェイクスピアの二つ折判初版の登場人物の中で、イアーゴーだけが「悪党」と指定されている事に着目した。
イアーゴーとは、シェイクスピアの作品である『オセロー』の登場人物であり、役職への不満からオセローを唆して、オセローに彼の妻が不貞を働いていると信じ込ませ、妻を殺すように仕向ける人物である。トリリングは、「彼が代表するような典型的生き方において、悪党とは装い偽る者であり、その悪の本質は観客には見えても同じ舞台を踏む人物たちには隠されているという事を示している」[ibid]と述べている。
即ち、彼によれば典型的な「悪党」とは、「装い偽る者」であり、その正体は、同じ舞台の登場人物からはわかりにくい存在であるといえよう。トリリングの定義した「悪党」は、何故「装い偽」らねばならなかったのだろうか。彼の考えを、検討してゆきたい。
16世紀に入ると、イギリスは、社会的流動性の度合いが増加し始めた。つまり、中産階級が興り、人々が自分の生まれ落ちた階級を去ることが、可能となってきたのである。しかし、トリリングは、新しい社会的流動性が過去に比べて顕著となり、社会的欲求の満足が可能になるにつれて、「その満足を阻む障碍に対する苛立ち」[同書,p28]もまた増加すると指摘した。
つまり、立身出世の道が開かれていれば開かれている程に、障害を排除したいという欲求は高まるという事である。又、彼によれば、立身出世を目指す流動性にしても限定されたものだったために、紳士階級にしても「いかに敏感に自分はとてもその流動性の仲間に入ることはできないのだという社会的不適応の烙印をおされている」[ibid]とも述べている。
トリリングは、このようなイギリス社会の一つの顕著な事実として、「野心あるものに社会的立身出世の道として役立つ歴とした職業が払底していたということだ。このように局限された社会に、陰謀、策略は無縁のものとは思えない」[ibid]と述べている。
つまり、立身出世の目標となる職業が必要数を満たなかったために、紳士階級の人間ですら、立身出世の道が閉ざされる事があったといえる。しかし、社会的な兆候を見る限り、これまでより流動性の度合いが高まっているため、己の階級から去る事を諦めきる事のできなかった人物がいたとしても、不自然ではないのである。そのような野心溢れる人物は、どのような手段で己の道を切り開くのかというと、社会的上下の身分制度が残る限り、相手に取り入り、自分の立身出世をはかるのであると、いえるのである。この、相手に気に入られるよう立ち振る舞う事こそ、「装い偽」った行動と言えるのである。
トリリングによれば、この時代の「悪党」とは、自分の社会的アイデンティティを拒否し、己の目的を達成しうる存在であり、その目的を達するには、「秘密な行為や奸智によるしかない」[同書,p29]というのである。即ち「悪党」とは、自分の階級的身分を嫌悪し、それを向上させたいがために、普段の己を偽り、策略に都合の良い己の役割を装う事で、「悪党」という役柄を演じる事を、引き受ける存在だといえるのである。
そしてそれこそが、リチャード三世の演じる、典型的「悪党」である。
「悪党」の正体が明らかになったところで、分析を進める事にしよう。
グロスター公は独白の後、登場人物達と世間話をし、彼らがその場から立ち去ると、己の仕掛けた策略について独白する。そこへ、ヘンリー六世の棺が護衛に守られて登場し、喪主のアンが続く。アンは酷く悲しみ、夫(エドワード)と義父を殺した者に、呪いの言葉を紡いでいる。
この、呪いの対象の人物、即ちヘンリー六世を殺した張本人こそ、グロスター公なのである。
グロスター公は、従者に棺を下ろさせる。するとアンは、「消えうせるがいい、恐ろしい地獄の手先め!」[シェイクスピア 著,福田恆存 訳,『リチャード三世』新潮文庫,1974年,p20]と罵声を浴びせ、「穢わしい悪人」、「憎らしい悪人」[ibid]などという、様々な言葉を用いてグロスターを罵倒する。
このアンの罵りに対してグロスター公は、確かにエドワードを殺しはしたが今ではそれを悔いている事、アンの美しさが引き金である事、復讐を企てるのであれば彼女の手にかかりたい事を、説得するのである。これは略奪者の言い分ではあるものの、アンという一人の女性に対しては、誠実な人間であるように振舞っている。
そして彼は、言葉巧みにアンを口説き落とし、グロスターという人物を、アンの美しさ故に罪を犯したが、悔恨の情を持ち合わせている、真の愛を抱く人物だと思わせる事に成功するのである。さらにグロスターは、アンにプレゼントの指輪を渡すどころか、夫を殺した事を許させ、グロスターの妃になる未来まで考えさせてしまう(実際に、その後、舞台上で描かれてはいないが、アンはリチャード三世妃となっている)。
つまり、ここでのアンのグロスターに対する言葉は、グロスターにとっては自己定義といえるのである。
グロスターは確かに、己はアンの言うような「悪人」であると思いながらも、自分の生きる術を得つつ、善良なるグロスター公を装い偽っているといえるのである。(
グロスター公のこの行動において注意しておきたいのは、彼は普通の人間のように、アンの愛情を手に入れるために一芝居うったのではない点である。
彼は、夫婦関係――もしくは、異性との関係性――を欲したのではなく、あくまで、アンを妃にする事で自分の物となる、地位と遺産を望んでいる。
即ち、グロスター公は、アンという女性と関係性を持つとき、彼女という存在が、出世の道具以上として関わる事など、はなから考えてもいないのである。
彼は、異性との関係性を望まず、立身出世の道具として、利益重視の関係性を結んだのだ。
さらに興味深いのが、アンのグロスターに対する認識である。グロスターは言葉巧みに己を偽り、己に対するアンの認識を「悪党」から、実はそうではないのではないかもしれないと、移行させる事に成功している。即ち、己の装いを用いて、自らの立身出世に都合の良い関係性を作り上げる事に成功しているのである。
*注意*
しかしながら、シェイクスピアの描く女性像は、そこそこ偏っているのも事実であり、彼の考えるシナリオに強引に合わせた「女心と秋の空」とも考えられるため、不自然と言わざるを得ない。
しかしながら、最愛の夫を殺され、女性が持つ力と言えば「呪い」しか無かったと言われる当時において、優しい言葉にほだされる事もあったのかも知れない……と、一応注釈を入れておく。
このやりとりでグロスターは、アンの認識を「悪党」からかけ離れた人間としながらも、彼女を出世の道具として利用する事で、その認識を裏切っているのである。
そうする事で、彼は結果的に利益を得たと同時に、そのようにして社会に参入する術を手に入れたと、解釈することができる。
以上の分析で明らかになる事は、次の三点である。
一、 彼の欲求は、異性からの愛情ではなく、社会的権力(もしくは、それを介しての何か)である。
二、 グロスター公は「想像的関係」(ここでは、言葉を使って嘘をついたり策略を実行したりする事を示す)での営みによって、他者からの認識を「悪党」ではないと偽る事に成功した。
(演技して、自分の想い通りの評判を得る事に成功したと言い換えても良いかも知れない)
三、 グロスター公は、二で装った、他者からの認識を裏切る事で、益を得る術を確立した。
この三点の分析は、アンが去った後のグロスターの独白で伺うことができる。少し長いが、引用してみよう。
こんなふうに言いよった男がいるか?この手で、女を手に入れた奴がいるか?あの女、かならず手に入れて見せる、といって、いつまで大事にしておく気もないが。大したものだ!亭主と親父を殺した俺が(中略)向こうには神だ良心だのと、いろいろ盾がある。だが、俺の口説きを助けてくれる身方は一人もいない、ただ悪魔と仮面と、その二つだけだ。その俺が、女を手に入れる!恐れ入ったぞ!ふん?もう忘れてしまったのか、あの勇敢な王子エドワードのことを?(中略)あの女の目は俺に?(中略)びっこで、こんな出来そこないの男に?すべてを合わせても、エドワードの切れ端にも及ばぬ男に?自分の領地を鐚銭同様に思い込む手はない、どうやら、俺は自分を見くびっていたらしい[同書,p28,29]。
この独白によってグロスター公は、「神だ良心だの」[ibid]を恐れる事なく、「悪魔と仮面」[ibid]を用いて、社会を生き抜いてゆけるのだという事を初めて知り、自分に自信を持ったのだと読み取れる。
***
これを、ラカンのシェーマLで表されたa’―a(想像的関係)、A―S(象徴的関係)の関係を用いて検討すると、どのようになるだろう。
まず、グロスター公が、「神だ良心だの」の声を恐れないという箇所は、「無意識」からのメッセージを軽視していると考える事ができる。
これは、L図で表される所のA―Sの「象徴的関係」の軽視であると解釈できる。
グロスターのいう「神だ良心だの」は確かに存在しているし、台詞の中にもその概念が表現されているため、「良心」などという大文字の他者は機能していると考える事ができるのであるが、それは彼にとっては従うべき法などではなく、どうでも良いものなのである。
次に、彼が「悪魔と仮面」を用いて欲望の対象を手に入れる方法を知った箇所についてだが、これはa’―aの「想像的関係」の強化に重点を置き始めた、最初の瞬間であると考える事ができるのである。
つまり、ここでのa’―aの「想像的関係」の内訳は、偽りの誠実なるグロスターという自我と、それを信じる周囲との関係性である。
そして、これを強化するというのは、善良なるグロスター公の信用を盾にし、裏で策略の糸を引く事によって邪魔者を陥れ、己の地位を高める事であると解釈できる。
即ち、どんなに善良なる者として装い偽ったとしても、役者としてのグロスター公自身については「悪党」に変わりはないために、彼はa’―aの関係性という舞台の上で役柄を演じつつも、その裏では周囲の承認を裏切って、社会に参入したといえよう。
即ちこの瞬間に、悪党グロスター公が誕生したのだ。
Ⅱ)マーガレットの呪い
場面は、ロンドン、王城内の一室へ移る。王は、グロスター公とアンの身内、そして部屋に集まる人々と侍従長の、互いの不和を水に流す事を目的とし、一同を集めた。王妃エリザベス、その弟のリヴァース卿、妃の連れ子グレー卿、バッキンガム公とスタンレー卿らが、エドワード四世王の体調について話しあっている。
すると、グロスターががなり散らしながら入室する。
彼は、王から、一同と不仲だと思われている事を不服と言い、自分こそが王を心配しているのだと、怒鳴り散らした。
彼の言い分は、「みんなでこの身を陥れようとしているのだ、もう黙って引っ込んではおらぬ。(中略)俺にはお追従が言えぬ、造り顔が出来ぬ、人前で微笑を浮かべ、愛想よくもてなし、相手を罠にかけるなどというまねは出来ないのだ。(中略)一人の凡人が世の片隅で、ひとに迷惑かけずに生きてゆこうというのに、それも許されぬというのか?」[同書,p32]というものである。
グロスター公のこの台詞を、言葉通りに受け取ることはできない。事実として、彼は「ひとに迷惑かけずに生きてゆこう」などとは思っていない。多くの人物を「罠にかけ」ようと企てており、このような台詞も本心からのものではなく、策を進めるにあたって必要な立ち振る舞いなのである。
すなわち、この振舞いによってグロスター公が演じているのは、嘘をつけないグロスター公リチャードなのである。
そして、彼が必死にこの役柄を演じるのは、周囲に演技をどれだけ信じ込ませておけるかによって、それを裏切る事で得られる利益も大きいからである。よって彼は、近いうちに実行する裏切りの布石として、一生懸命、善良なるグロスターを演じているのである。
グロスターの演技が佳境に入る時、故ヘンリー王の未亡人マーガレットが、周囲に気がつかれぬように入室する。怒鳴り散らし続けるグロスターと、彼の暴言に耐えられぬエリザベスとで、激しい言い合いが行われる。マーガレットは物陰から、グロスターの演技など通用しないかのように、
「失せろ、悪魔」[同書,p35]
(グロスターの「昔の私はどんなだったか、それが今どうなっているか」[同書,p36]という台詞への合いの手で)
「人殺しの悪党だった。今もそうだ」[ibid]
「恥を知れ、悪霊め!地獄こそお前のお里だ。」[同書,p37]
と呪詛を吐く。それだけでは治まらず、マーガレットは追放の身であるにも関わらず、一同の前に立ちはだかり、夫の命を奪ったグロスター公を呪うのである。
この、グロスターに対するマーガレットの呪いの言葉は、後々重要になるため、少し長いが引用したい。
一人の私の想いも及ばぬ数々の耐え難い禍を、もし天がどこかに取っておいてくれるものなら、おお、願ってもない、お前の罪が熟しきるのを待って、その怒りの雨を一気に降らせてもらおう、お前の頭上に!この憐れな世界の平和を掻き乱す張本人!それまでは、良心の牙に魂を噛みさいなまれるがいい!生きてあるかぎり、己の身方を裏切者と疑い続け、胸に一物ある連中を無二の腹心と恃むのだ!その憎たらしい目、いかなる眠りにも閉じるなよ、おおさ、眠るがいい、そのときは、身の毛もよだつ地獄の鬼どもが現れて、悪夢にうなされるのだ![同書,p40]
呪いを受けた当のグロスター公は、この呪いの締めくくりに、自分の名前を呼ばれるところを、「マーガレット。」[ibid]と答えて、呪いをかけた当人である、マーガレット自身に呪いの矛先が向くように仕向けている。
周囲も、マーガレットよりもグロスター公を信頼しているために、誰も彼女の言葉に真実を見ない。よって、彼女の呪いはこの時点で力を持たないのである。
グロスターは、マーガレットの呪いに己の信用を傷つけられなかった上、呪いを当人に帰して、彼女の地位を貶めている。
即ち、このやりとりを見る事で、彼は「装い偽る者」として成功していると解釈できるのである。
何故ならば、アンの時とは違い、彼は多くの他者、即ち大文字の他者A(この場面では、グロスター公の仲間や王からの共通認識と解釈してください。本来のAは、自我を超越するものの事で、その定義は文脈によりことなります)から、
「善良なるグロスター公」としての承認を得ており。
真実を述べているマーガレットをやり込めるだけでなく、周囲の信用を巻き込む事で、彼女の地位を貶めている事に成功しているからである。
これをラカンの理論を用いて言い換えると、
グロスターは、「呪い」という、良心と無意識、即ちA―Sの「象徴的関係」に影響力のあるメッセージの効果を発動させずに、
周囲の信頼を己の手腕によってもぎ取り、マーガレットの地位を貶めるという、a’―aの「想像的関係」において、権力を持っていると言えるだろう。
即ち、周囲と「偽る者」としてのグロスターの関係性において、彼はマーガレットより優位であるといえる上に、「想像的関係」において、邪魔者を社会的に貶める事のできる程、強い影響力を持っていると言えるのである。
マーガレットは誰にも相手にされず、「おお、いつか思い出すがいい(中略)あのかわいそうなマーガレットは預言者だったと」[同書,p44]と言い、退場する。
グロスター公は「悪党」としての成功を収め、いよいよ残虐な策略をスタートさせる。策略の進む中、彼は一度としてマーガレットの呪いを思い出す事は無い。
しかし、彼女の呪いは消滅したのではなく、グロスターの良心に残り続けている事が、物語の進むうちに明らかになるのである。
Ⅲ)「想像的関係」の強化とその欠点
王からの招集の後、グロスター公は刺客を使い、兄のクラレンスを殺害する。
そして、そのような動乱の中、エドワード王が病死する。
バッキンガム卿を腹心としたグロスター公はさらに、ヘイスティングズ卿に難癖をつけて、謀反人に仕立て上げて殺してしまう。
これらの殺戮が行われている間、実際に殺害を任された刺客が、良心の呵責に苛む事はあったが、グロスター公は、まるで良心など存在しなかったかのように、一度もそれに悩まされる事はない。
彼は王位を己のものにするために、着々と邪魔者を殺害し続ける。
このように、グロスター公が、偽りの自己の裏で邪魔者を排除し、王座へ上り詰めてゆく様が、「想像的関係」の強化に当たると解釈できる。
しかしここで、周囲のグロスターへの認識に変化が訪れる。
彼が策略を実行し「想像的関係」を強化させるたびに、グロスターへの呪いの言葉が増えてゆくのである。
彼は、策略が成功すればするほどに、より多くの他者から「悪党」といわれる事になる。
これは、彼が長い間かぶっていた、善良なるグロスター公の仮面が、剥がれ落ちてきたと解釈する事ができるのである。
そのようにして、グロスター公は徐々に市民からも、政治の重要な場所に位置づく「悪党」として認知されてゆく事になるのであるが、ここでは市民のグロスターに対する認識について、検討してみよう。
エドワード王が死ぬと、世間では、幼い王子が即位するのではないかと噂された。
そして人々は、一番王位に近いグロスター公が政治を握るのではないかと、禍が訪れるかのように噂しあうのである。市民のグロスターに対する印象を引用すると、
「グロスター公、あれがなかなか油断できませんぞ!お妃の息子もいるし、兄弟もいる、いずれも劣らぬ鼻高だ。それがみんな治められる側に廻って、治めるほうにさえならなければ、万事うまくおさまりましょうよ」[同書,p75]
というものである。この台詞に現れているように、市民は、グロスター公を「治めるほう」、即ち支配者の側に相応しくない人物であると認識している事がわかる。そして、その認識がより明確に現れている箇所が、次のバッキンガムの市会演説のエピソードである。
グロスターとバッキンガムは、ヘイスティングズの死を利用し、市長に謀反人に対する見せしめを行うように促す。そのついでに、グロスターはバッキンガムに、非常に興味深い指示を下すのである。
それは、市会で「エドワードの子供たちは、みんな妾腹だ」[同書,p107]
と、中傷せよというものである。グロスター公の狙いは、エドワード王とその子らを中傷する事によって、市民の王に対する不信感を煽り、そのかわりに、己こそ市民からの支持を得るに相応しい人物である事を、示す点にある。
しかし市民は、バッキンガムの演説を聴いた結果、お互いを見やってから、真っ青になって押し黙ってしまうのである。
バッキンガムは慌てて、王や子供たちを貶める出来事を、細大漏らさず言った上に、グロスター公こそ真の後継者であると演説した。そして、国を真に愛するものは、
「イングランド王リチャード万歳!」[同書,p110]と唱えろと命じるのである。
しかし、それにも関わらず、「誰も一言も」[ibid]発する事はなかったのだ。
グロスター公は、王を中傷する事によって市民からの承認を得ようとしたのであるが、それは失敗に終わったのである。
先程の(壊れた卒論データなので、先程が無いのですがご了承ください)
「主人と奴隷の弁証法」によれば、「支配者」は「奴隷」(ここでは被支配者である市民の事である)の承認を得なければ、「支配者」になる事はできなかったはずである。
王への中傷は明らかに、市民からの承認を得る方法としては上手くない。
よって、グロスター公は「支配者」として相応しからぬ振舞いをしてしまった事になるのである。
何故ならば、第一に、グロスター公本人への認識が、「治めるほうにさえならなければ」[同書,p75]と言われている事に見られるように、支配者として承認されていない事に、自分では気がついていない点が挙げられる。
もし、彼が己の承認に対する認識に慎重であったならば、善良なる人物としての演技にもっと注意を払ったはずである。
そして第二に、ライバルの出生を貶める事で、承認を得ようという手段を取った点が挙げられる。
何故ならそれは、善良なる人物が行う、被支配者からの承認を得る術とは言えないからである。
この二点が重なり合う事で、グロスターは、自分では王に相応しい人物を演じているつもりなのであるが、観客である市民にとっては、彼の「悪党」としての本音が筒抜けになっていると解釈する事ができるのである。
この、グロスターの抱く、善良なる「支配者」像に対しての誤謬と、彼の本性が滲んだ行動が要因となって、
他者の意識の中に存在した、善良なるグロスター公が消滅してしまったのだ。
即ち、大文字の他者からの承認を得た社会的アイデンティティであるaが、揺らいだと解釈できるのである。
市民からの沈黙を介し、グロスターは己の演技に対する大文字の他者からの返答を聞くのであるが、彼はそれをものともせずに、ついに「イングランド王リチャード」になる。
エリザベス、アンが口々に、リチャード三世へ呪詛を吐く。
もはや、誰の目にもリチャード三世が「悪党」である事は明らかになっている。
Ⅳ)崩壊してゆく自我
いよいよ、敵の艦隊が見えてくると、リチャード三世の態度は一変する。
今までは自信を持って、策略を張り巡らせていたのに、とたんに味方を信じることができなくなってしまうのだ。
今まで指示を出していた部下にたいしてまで、「いや、お前は信用できぬぞ」[同書,p157]というような有様である。
さらに追い討ちをかけるように、身方は次々と反旗を翻してゆく。謀反の知らせを受けるリチャードは激昂し、次第に知らせを持ってくる部下が口を開いただけで、殴りつけてしまう。
もはや、己を装い偽る事を武器に、虎視眈々と欲望の対象を強奪する彼の姿は微塵もみられない。
かつて、「想像的関係」の権力を持ち、マーガレットの地位を貶めた事が嘘のように、まるで世界の中で己を保つ術を忘れてしまったかのように、ぎこちない振舞いをしているのである。
日が沈み、リチャード王と、対するリッチモンドは床につく。すると、二つの天幕の間に沢山の亡霊が出現するのである。
その正体は、リチャード王が殺してきた人の亡霊であった。亡霊たちはそれぞれの言葉を持ち、決戦を控えた二人の夢を媒介にして、リチャードには執拗な呪いの言葉を、リッチモンドには激励の言葉をかけるのである。
ここで非常に興味深いのは、亡霊のメッセージが夢を介して伝えられている点である。
何故ならば、散々、「良心」のような「象徴的関係」を軽視して「想像的関係」の強化をしてきたリチャード王であっても、無意識の欲望が主体である夢を介するのであれば、「象徴的関係」、すなわち大文字の他者からの欲望や、リチャード自身の無意識の欲望の声に対して主導権を握れない。
よって、それらを無視する事ができないからである。
そして、理性が勝ることの無い夢の世界では、普段、リチャード王が軽視してきた感情が、嵐のように吹き荒れ、初めて彼を動揺させるのである。
それは、「象徴的関係」を押さえつけていた「想像的関係」の効果がなくなっていたからとも考える事ができる。
リチャードは、自らの無意識の主体が語る、自我についての語らいを、夢を介する事で聞いてしまうのである。
リチャードは、「リチャードはリチャードの身方(中略)俺は俺だ」[ibid]と言い聞かせる事で、恐れおののく良心の声を抑えつけ、いつものグロスター公リチャードに立て直し、「象徴的関係」からの声から耳を塞ごうとしている。
何故、彼は「象徴的関係」からの声を聞こうとしないのであろうか。それは、グロスター公の、社会に参入する方法と関係があると考える事ができるのである。先の市会エピソードで見られた、大文字の他者の承認の変化も踏まえつつ、彼の社会への参入方法について検討したい。
リチャード三世の社会への参入方法というのは、周囲からの、「善良なる人物」という承認を裏切る事で成立しているために、先のL図で言う、彼の自我aが、善良であるという、大文字の他者Aからの承認に依存せざるをえない。
(=簡単に訳すと、皆から「リチャード良い人!」と思っていてもらわないと、そもそも人って騙せませんよね?)
よって、善良なるグロスター公という承認が崩壊してしまい、
彼の自我aが「悪党」グロスター公として承認されてしまえば、
彼の善良を装った演技は、ただの空虚な記号であって、意味を伴わないのである。
すると、彼は社会的に存在する手段を失う事になり、
ラカンの理論で言うところの「本質的な死」を迎えてしまう事になる。
よって、彼が己の自我を保ち続けるためには、「想像的関係」の声を振り払わねばならなかったのである。
これをさらに詳しく検討したい。
グロスター公リチャードが「象徴界」に参入している状態とは、
「善良なるグロスター」という言葉をもって、名実ともに「善良なる人物」として、社会の構造に存在している状態であるといえる。
この「善良なる人物」という言葉の定義は、グロスターが物語の冒頭から王位を狙っていた事を考慮すると、「支配者に相応しい善良なる人物」であると解釈できる。
彼は初め、「善良なる人物」として大文字の他者から承認され、
「想像的関係」において権力を持てるほどの信頼を得ているのである。
しかし、グロスター公は、大文字の他者の承認を裏切る事を目的として、
「善良なる人物」を装い、「象徴界」に参入しているのであった。
よって、彼の自我aは「善良」ではなく、
「装い演じる者」である「悪党」である事になる。
しかし、主体が己の自我を「悪党」と定義づけていたとしても、他者の承認がなければ、それは、他者の欲望を引き受けた自我aとして存在するのではなく、
己の自己定義としての欲望に留まるはずであった。
しかしグロスターは、冷酷な策略を進めるうちに馬脚を露し、「善良」なる人物として社会的に存在するための条件を失ってしまった。
すなわち彼は、市会のエピソードで見たような、
グロスター自身の抱く「善良なる人物」像への誤解と、
大文字の他者の欲望する「善良なる人物」像とのミスマッチが原因で、
「善良なるグロスター」に成りそこなってしまうと考えられる。
すると、大文字の他者は夫々の「パロール」を用いて、グロスターを「悪党」だと承認しはじめるのである。
そうして、彼に対する認識は、「善良なるグロスター」から「悪党グロスター」へと変化してゆく。
そうなると、彼は「イングランド王リチャード」という、
善良であるべき「支配者」の名前は持つものの、
その実は「支配者に相応しい善良なる人物」ではなく、
大文字の他者からの「悪党」という欲望を引き受けた、
「悪党グロスター」としての自我aを持つ人物であると、考えることができるのである。
すると、「支配者」という名の記号を持ちながら、
その意味は「悪党」を表す「リチャード三世」という人物は、
「支配者になる事のできない支配者」故に「支配者」として、即ち、打ち倒すべき暴君であるが故に、「支配者」として、「象徴界」に参入している事になる。
この自己矛盾を抱えた「支配者」にとって「被支配者」とは、「王」という記号を示せば、自ずと記号の起源に傅く存在なのではないだろうか。
それは、市会エピソードにおいて、グロスターの策略上の最大の障害である王族に対し、彼らを中傷する事で血筋の正当性を貶め、己を優位に立たせようとした点から判断する事ができる。
つまりグロスターは、血筋の正当性、即ち、「王」としての正当性が、「支配者」の条件であると考えていたと、解釈する事ができる。
この価値観の下では、「被支配者」からの承認を得るという発想が欠落していたとしても不思議ではない。
よって、リチャード三世は、「被支配者」と彼らの環境を、最善の状態に調整する事ができないために、「被支配者」からの承認を得る事ができない。
そのために彼は、大文字の他者からの「悪党」という認識を書き換える事ができないため、「悪党」という「パロール」を自我aとして、引き受けざるをえないと考える事ができるのである。
このようにして、リチャード三世は「支配者」としての、社会に存在するための条件から、永久に出会い損なう事になってしまう。
つまり彼は、「支配者」になるために「悪党」になろうと誓ったにも関わらず、
その策略の過程で「悪党」という自我が基になる、意識的な行動を重視しすぎて、彼を取り巻く世界から、己がどのように認識されるかという、無意識に働きかける関係性を軽視してしまったと、解釈する事ができるのである。
それは、リチャード三世が作中において、一度も客観的な視点に立ち、自省する描写が無い事からも伺う事ができるのである。
何故ならば、自省するには「神だ良心だの」が必要であり、
その「神だ良心だの」の正体は、
メルロ=ポンティの言う主体を取り巻く「世界」であり、
ラカンのいう「大文字の他者A」だからである。
先の、ラカンのL図で言及したように、大文字の他者Aは、主体の無意識Sに働きかける事で(A―S)、他者の欲望を主体に伝えるのである。しかし、A―Sの「象徴的関係」は、あくまで無意識下でのやりとりであるために、意識上で覚醒している自我aは、完璧な姿で欲望を意識化する事ができないはずであった。
よって、「良心だの」と「エス」の関係性である、「象徴的関係」を軽視し、
意識的に演じる「自我」とそれが引き起こす「他者」からの反応の関係性である「想像的関係」を重視しすぎてしまうと、
かえって、意識的に操作されている「想像的関係」が、
本来の主体の欲望である「象徴的関係」の邪魔をしてしまうために、
倒錯的な結果に終わってしまう事があるのである。
彼は今まで、自我と理性を身方に、己の欲望を叶えてきた。
しかし今や、無意識の語らいを知覚してしまうことで、最も信頼の置ける腹心こそが「本質的な死」を予期し、もはや滅びる方が道理である、と喚き散らしているのである。
そして、この瞬間こそまさに、物語の冒頭でかけられたマーガレットの呪いどおりの結末が待ち構えている事に気がつくのである。
初めは誰にも受け入れられていなかったマーガレットの呪いは、消滅する事無く、
他者の無意識の中に潜伏していたと考える事ができる。
そして長い時間を経て、グロスター公の偽りの自己の崩壊をきっかけに、
大文字の他者のメッセージとして、側近や市民に受け入れられ、やがてリチャードに対する欲望へと変貌し、最終的には、リチャード自身がそれを受け入れざるを得ないほどの力を持つに至ったと解釈できるのである。
***
即ち、
最初に使った「悪党」は、
「装い、偽る者」
「大勢の人に、自分は良い人だと信じ込ませ、それを策略と大胆さで裏切る事で、立身出世をする者」
を示すのでり、(この文章には書いていないけれど、)
最後、死に際にリチャードが呟いた「悪党」は、
「本質的な死を迎えるのが必然な支配者」であり、
「無意識(民衆、殺した人達、呪いをかけたマーガレット)が言う「死すべき程の罪犯した」と、自分でも追認した者」なのである。
リチャード三世の言う「悪党」を、ラカンの精神分析で読んでみた 植田伊織 @Iori_Ueta
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