タタンの魔法

@pianono

タタンの魔法

 ──まもなく発車いたします、ご注意ください。そんな無機質なアナウンスをBGⅯに、目の前の車両に足を踏み入れた。太陽の匂いをたっぷり含む、夏特有のむわりとした空気も一緒に飛び込む。そして一瞬にして車内の冷たい空気に溶けていく。すぐに扉は閉まり、電車は重い体をぐっと前に出す。

 車両には誰もいない。電車の走行音がやけに響き、足元では車輪の振動が伝わってくる中、すう、はあと、深呼吸を繰り返した。すると、走っていた間は引っ込んでいた叫びだしたいような失敗の記憶が、後悔のシミとなってじわじわと広がっていくような気がする。私はその進行を緩めるように、もっと大きく息をした。

 

 人目を気にすることもないので、暑さにへばった体を半ば投げ出すように、座席に腰を掛けた。窓いっぱいに広がるグラデーション。まるで、住宅街の海にほとんど沈んでしまった夕陽が名残惜しいと、空が手を伸ばしているようである。そんなエモーショナルな情景手前に、だらしのない格好をし、生気のないぐったりとした私の顔が映る。

 思わず目を逸らして、しばらく床の一点をぼんやり見つめていると、視界の端に「なにか」が飛び込んだ。一瞬、誰かが置いていったゴミとか、車内に迷い込んでしまった虫なんかだろうなんて思う。でも焦点があった途端、その「なにか」には大きくてぎょろりとした黒目がちの瞳があることに気づいてぎょっとする。目だけじゃない。ひょうたんみたいな形の白い毛玉から、細く頼りない手足が出ている。

 私、疲れているのかもしれない。

 試しに何度か瞬きを繰り返してみるけれど、当然目の前の光景は変わるはずもなく。そのまま、一分、二分と私と「なにか」の膠着状態はしばらく続いた。

 この電車で二人、このままどこまでも行ってしまうんじゃないか。そう思われた頃、遠くの方で甲高い音がした。いや、あれは鳴き声か。

その瞬間、「なにか」が一目散に走りだす。それと同時に、私も反射的に音の方角に顔を向けた。短い足を懸命に動かし、てってってっと全力ダッシュした先には同じ個体が数匹。そのうちの一匹がオーライオーライ、とこれまた短い腕を前後に振っている。

 振ったらカラカラと音のしそうな私の脳みそが、こんな摩訶不思議な現状をすんなり処理できるわけがない。もはやショート寸前、パニック寸前で真っ白だ。

 呆気に取られ、小さくなっていく「なにか」の背中を茫然と見ていると、急速に電車のスピードが、がくりと落ちた。窓の外をゆっくり木々の青が流れていく。ぐっと体が横に引っ張られるような感覚の後、電車の走行音が止まる。

 扉が開くと、「なにか」たちは列をなして勢いよく降車していく。その中の一匹、先ほど目が合ったあいつだけが私の方に顔を向けながら降りていくのだった。

早く追わないと。なぜか強く、そう思った。幸い、約束の時間まではまだ余裕がある。はじかれるようにして車両から飛び出す。電車は、まるでタイミングを見計らったかのように扉を締め、すぐに発車してしまった。

 降りた駅のホームの向こうには田んぼが、さらにその向こうには山がそびえたっており、向かいに渡って駅舎を通らなければ出られないようである。亮太の家の途中に、こんな駅あっただろうか。行ったのはほんの一、二回でほとんど覚えていない。

 木造の駅舎内は誰もおらず、ここはいわゆる無人駅ってやつなのだろう。改札は見当たらず、少しの間IⅭカード片手に右往左往して、結局彼らを見失うわけにはいかないと、心の中で平謝りしながら駅を出た。

 まだ外は明るく、視界は良好。しかし何十倍もでかい私が追いかけてくるとわかった瞬間、彼らが一斉に方々へ逃げ出すのは想像に容易い。小さな彼らを見逃さないぎりぎりの距離で、こっそり木の陰に身を隠したりなんかしては足を忍ばせた。

 辺りは田畑が埋め尽くしており、たまに、ぽつりぽつりと人家が建っているという感じだ。爽やかなそよ風が作物の間をくぐり抜け、青々とした匂いを載せて肌を滑り、鼻をくすぐる。相変わらず人の気配はなくて、不気味な気はする。それなのに、一帯に満ちているのどかで澄みきった空気がそれを打ち消していた。

 五分ほど歩いたところで彼らは一列のまま再び駆け出したかと思うと、ある建物に一直線に進んでいく。一見廃墟とも見えるそれは、お世辞にも綺麗とは言えない。年季の入った木製の壁には植物が張り巡り、庭に置かれたガーデンテーブルは、土や錆で濁った色をしていた。きっと昔は純白だったに違いない。そんな見た目だが、若干曇った窓から洩れる暖かい明かりがやけに目を引く。

 彼らはあの中に入るのだろうか。でもドアノブを回すには全員が肩車したって届きっこない。どうするつもりなのだろう。

 少し離れた電柱の影でこっそり様子をうかがっていると、重そうなドアが内側から開き、中から若い男の人が顔を出した。

「えっ」

 今まであまりにも人に出会わなかったので、当然のようにこの建物も空き家だと思っていた。そもそも電気がついている時点で人がいると気づくべきだった。

 お兄さんはにこやかに「なにか」を家の中に入れたかと思うと、ふいに視線をこちらに投げた。ばちり、と目が合い、私の心臓はどくりと大きく鳴る。向こうも軽く目を見開いている。

 急速に好奇心は勢いをなくし、しゅわしゅわ萎んでゆく。早く駅に戻ろう。そう、回れ右をしたところで、背後から「すみません」と優しく張りのある声が飛んでくる。

 恐る恐る、ゆっくりと振り向くと手招きしているお兄さんの姿があった。

「もしよろしければ、うちの店に寄っていきませんか」

 そう言って、指をさした先には小さな看板。目を凝らし見ると、そこには「カフェ・タタン」の文字。

「……へ?」


 お兄さんは白く透き通るような肌と細い体躯。セピア色のような髪は天井からつるされたステンドグラスの照明に照らされて、ところどころ黄金色に輝いていた。顔立ちも整っていて、相当なイケメンだ。なかでも、瞳の中で琥珀のような光が瞬くのが印象的だ。なぜだか、目を逸らせなくなりそう。

 事の次第を聞いたお兄さんは、ひとつ頷いた。

「なるほど。彼らを追って来たんですね」

「はい」

「では、ここがどういう場所かも知らない、と」

「どういうって……」

 含みを持たせて聞くお兄さんに、「普通のカフェ」という答えを突きつけようとして、途端にそうでないことに気づいた。あの得体のしれない生き物を「普通」の枠内では処理できそうもない。

 急に内をつぐんだ私を見て、「そうなんですよ」と相槌を打った。

「彼らの存在も普通じゃないですけどね……ここは、“成功を導く魔法のカフェ”なんです」

「まほう……」

 この世にそんなもの存在するのだろうか。いや、この状況がすでに非現実的なのだから、この際なんでもありだ。

「はい。ここは、彼らが連れてくる『失敗をしてしまった』お客様だけがたどり着くことのできるお店になっています……まあ、とは言ってもお店の存在を知っているという前提でみなさんいらっしゃるので、お客様のように偶然辿り着いてしまったパターンは初めてですが」

「はあ」

 笑顔でつらつらと説明をされ、もはや絞り出せたのは乾いた笑みだけだ。この人は一体何者なのだろう。少なくとも、脳内の選択肢に「普通の人間」はない。でも、「あなた何者ですか?」なんて、聞く勇気もなかった。

 冷静に考えたらおかしな状況。壺を売られるとか、夢を見ていることを疑った方がいいんだと思う。でも、私は確実に、このカフェとの巡り合わせに希望の光を見出していた。もし、できるのであれば──

「魔法って、どうやってかけていただけるんですか」

 今の私に躊躇している余裕なんてなかった。

 彼は何かカウンターの奥で準備をしていたかと思うと、「どうぞ」と、赤みがかった茶色いケーキを目の前に置いた。外側のコーティングが照明の光を反射し、てらてらしている。

「アップルパイ?」

「アップルパイじゃなくてタルト・タタンです」

 そう言われて、タルト・タタンをしげしげと見つめてみる。タルト生地の土台の上に、火を入れ柔らかくしたりんごが、ぎゅっと押し固められたように載っている。確かに、りんごの周囲をパイ生地で覆っているアップルパイとは少し違うような気がする。でも。

「いや、だからなんで……」

「タルト・タタンって、失敗をチャンスに変えたお菓子なんですよ」

「……はあ」

「フランスでホテルを経営していたタタン姉妹のお姉さんが、アップルパイを作ろうとして材料を炒めすぎてしまったんです。彼女は焦がしてしまったのをごまかすために、りんごの上にタルト生地を載せて焼いてみたそうです。それがタルト・タタン。失敗から生まれたお菓子です」

 お兄さんはそこで言葉を切り、こちらに目をやって含み笑いを浮かべる。ようやく本題ですよ、と言わんばかりに。

「それにあやかって、私が開発したのが『タタンの魔法』。失敗したことが逆に良い方に転がるような魔法を、これ自体にかけているんです。だから、お客様にはこちらを全て食べきっていただきます。でないと効力を発揮しませんから。魔法のために守っていただく約束はこれだけです」

 手に取ったフォークを一口大の所でタルト・タタンに入れ、掬い取った。そのままゆっくり口まで運ぶ。思っていた以上に香ばしい香りが口いっぱいに広がった。どこか懐かしいような温かみが体中に広がっていくのを感じる。

おいしい、という言葉よりも前に体が動く。ぱっと顔を上げると、得意げに微笑むお兄さんと目が合った。緩やかに弧を描き、たんぽぽを思わせる笑みは、どこか懐かしさを感じさせた。

 ――ああ、そっか。やっとわかった。目を逸らせないと感じていたのは、亮太の目に似ていたからだ。

「あの、聞いていただけますか」

「ええ、もちろん」 彼は「何を」とは聞かなかった。私はゆっくり息を吸うと、まるで亮太に懺悔するかのように、体の中でうずく言葉ひとつひとつを紡ぎ始めた。


 私には、亮太という高校生の時からずっと付き合っている彼氏がいる。部活で関わりが増えていくうちに、私の方が先に好きになった。

初めて亮太の存在を認識したのは料理部の新入生歓迎会でのこと。亮太は料理部唯一の男子で、料理部唯一の同学年だった。体育会系部活が盛んな高校のせいか、毎年部員は減っていく一方。私だってそんなに料理に興味があったわけではない。消去法で選んだ。当時の部長が私たちを前に、「ついに新入生二人かあ」と、にこやかながら力の抜けた声で言ったのを今でも鮮明に覚えている。

 ひょろりとした長身で色白、重めの前髪が眼鏡にかかる亮太は暗い印象で、実際おどおどしていた。けれど話してみればすぐに、一緒にいると安心する、陽だまりのような暖かさを持つ人だとわかり、打ち解けるのに時間はそうかからなかった。

 三月には一番の大所帯だった三年生が卒業し、その一か月後には、一つ上の先輩たちは受験に専念すると、ほとんど部に顔を出さなくなった。その代わりに私が次期部長として躍起になったものの、その年の新入部員はとうとうゼロ。高二の春、私たちはついに二人ぼっちになった。

「次は何作りたいとか、アイデアない?」

調理器具を洗いながら、私はぎこちなく亮太に尋ねた。調理室には西日が差し、亮太の顔半分はオレンジ色に染められている。換気のために開けた窓から、心地よい風が吹き込んだ。

「……パフェ」

「パフェ?」

 ポロリとこぼれた言葉を拾って私は首を傾げた。

「ホイップクリームとか、冷凍のフルーツとかお菓子とか、適当に買って載せるだけの簡単なやつ」

「それって――」

「たまには」

 調理って言っていいのかな、という疑問を口にする前に、亮太は遮るようにしてつづけた。

「少し手、抜いて、新歓のお疲れ様会とかとどうかなって思って……日比さん、最近いろいろ頑張ってくれてたから」

 亮太はそう言ってこちらに視線を移し、口元に笑みを浮かべた。優しい声が体の中を駆け巡って、凝り固まったものがじんわりと緩んでいく。緩んだ瞬間溢れそうになった涙をぐっとこらえた。

 私だけじゃない。二人ともやれることは全部やったし、出せる力は全部出し切った。それでも新入部員はゼロで、さすがに次期部長としては責任を感じるし、かなりへこむ。

そういうのを全部、隣で見ていてくれて、わかってくれて、「頑張った」と優しく救いの手を差し伸べてくれる亮太がヒーローのようにたくましく、輝いて見えた。

 しかし一転、ヒーローはすぐに恥ずかしくなったのか、唇を内側に巻き込んでうつむいた。いつもの亮太である。その変わりようがおかしくて、ぶっと吹き出した瞬間、防波堤は決壊。涙と鼻水とでぐちょぐちょな顔で笑う私。それに対して何も悪いことをしていないのにあたふたと謝罪を繰り返す、必死な亮太。激しい嗚咽とぼやけた視界の中で、その亮太の顔や声が、記憶の中ではっきりとした輪郭を帯びている。

 弱っているときに優しくされたからって、つくづく単純な人間だと思う。でも、仕方ない。これが間違いなく、亮太を好きになった瞬間だった。

 その数日後、私から告白。そして、少し待ってほしいと言われ待つこと三か月後。晴れて交際することになった私たちは今、別々の大学に通っている。そのため高校時代よりは会える頻度が減ってしまい、ここのところは専らLINEや電話でのやり取りばかり。それも、私から始まるのがほとんどだった。

 そうなるきっかけは、入学直後の周囲との差に始まる。私には何もないんだ。そう気づかされたのは入学して間もない頃。周りの人はやりたいことや目指すものを明確に持っている。特に目的もなく、なんとなく大学に来てしまった私は、突然真っ黒な大海に放り込まれた。

 何か見つけなければいけない、と焦燥にかられた私は、いろんなことに挑戦してみた。大学の授業の傍ら、有名チェーンのカフェと塾でバイトをし、学生団体でボランティア。料理サークルという名の飲みサーで人脈作りに勤しみ、就職に有利という資格の勉強に注力し……それでも、私の生活は満たされなかった。常に不安の波にもまれ、溺れ、もがきながら、自然と手はスマホのロックを解除する。そして、呼吸ができる場所を求めて亮太とのトーク画面を開いた。

 その日の成果を報告すると、亮太は「すごい」、「頑張ってる」、と私の欲しい言葉をくれる。亮太を頼ったのは無意識だ。でもたぶん私は、亮太が私の気持ちを満たしてくれると、心の底ではちゃんとわかっていた。だから毎日の報告をやめられなかった。

 そんなことが続いたある日、向こうから電話があった。丁度バイトを終え、岐路についている時間で、亮太はその時間を見計らったに違いない。画面に表示された名前を見て、珍しい、なんてお気楽に緑の電話マークを押した。そんな自分が今では愚かしい。

「今の僕じゃ美帆ちゃんと対等になれない」

 耳にスマホを当てるなり、聞こえたのはその一言だった。亮太の口調は怒っている風でも、皮肉を言う風でもない。海が凪ぐように静かだった。

「ちょっと待って、どういうこと?」

「だから、少しだけ距離を置きたいんだ」

「え?」

「そういうことだから。本当に、ごめん」

 亮太は有無を言わせなかった。私が理解をする前に、とにかく引き留めようとする前に、電話を切ってしまった。

 その後、亮太に何度電話しても繋がらなかった。しかし迷惑を承知で続け、根気負けした亮太に会う約束を取り付けたのは昨日のこと。一睡もできず、そわそわする気持ちを抑えきれず、約束よりも早く家を飛び出した。


「今ならわかります。というか、こうなるまで気づきませんでした。最近亮太が何をしているか、どんな思いをしているか、私は知ろうとしていなかった。それどころか、私はずっと亮太を利用していたんです」

あの日好きになった、慈雨のように降り注ぐ優しさを、いつの間にか自分の都合のいいように消費していた。

「だから、愛想つかされちゃいました」

 きゅっと喉の奥が閉まる様な感覚がして、急速に口元とお皿を往復していた動作が重くなる。

「あまり口出しをしてはよくないと思いますが、少しだけ」

 それまで黙っていたお兄さんは、そう口を開いた。

「もしかすると、お客様の『愛想をつかされた』というのは少し違うかもしれません。あ、あと」

 彼は右手をあごにやり、右ひじを左手で支えるようにして、探偵みたいなポーズをとった。

「お話をまとめると、お客様が原因で悪化してしまったお相手との関係をどうにか修復したい、とのことですが……それは、なぜでしょう」

「なんでってそれはちゃんと、恋愛対象として亮太が好きだから──」

「それを、最近ご本人にお伝えしましたか?」

 お兄さんの問いに、はっとした。彼はクスリと笑う。

「お相手の話を聞くことももちろんですが、お客様の口から大事なことを伝えないと、でしたね」

 雲間から一筋の光が差し、闇に紛れていた道を照らしだした。わかればわかるほど、後悔の波が押し寄せる。ぼろぼろと涙が止まらない。私には泣く権利なんてないのに。

頬を伝う涙をぬぐいながら、ぱくり、ぱくりと次々口に入れていく。涙の奥で、タルト・タタンは甘く、ほろ苦く、でも、あまい。その繰り返しをしているうちに、あと一口の所まで来た。しかしすさまじい眠気が襲い、体が溶けていくような心地がする。フォークを持つ手から力が抜けていく。

 だめ、まだだめなの。あと一口なのに。私の意思に反して、意識は落ちていく。

「大丈夫ですよ。お互いの気持ちがちゃんと伝われば」

 お兄さんの言葉が不明瞭に響く中、口に含んでいた一口を飲み込んだところで私の意識は途切れた。

 

 ――次は北野台、北野台。お出口は左側です。

ぼんやりとした意識の中、耳が駅員さんのアナウンスを捉えた。はっと目を開くと、私は電車の座席に体を横たえる体制を取っていた。慌てて体を起こしながら周囲を見回すと、あの田舎町の気配はなく、ただひたすらに住宅街が続いている。

 さっきまでカフェにいたはずなのに、これは一体どういうことだろう。あの小さな「なにか」もお兄さんもいない。

まさか、全て私の夢だったのだろうか。そう思うものの、おなかの中にあるぽってりとした確かな満足感が、夢ではないと主張している。同時に、全部食べ切れなかったことを思い出した。

 夢でも、夢じゃなくても魔法は効かない。

 エアコンの冷気が、涙の乾いた頬を撫でる。泣くのはもう、止めだ。

 降りるはずの駅まであと二駅。

 

 待ち合わせ場所にした亮太の地元にある公園は駅からすぐ近くだった。そこまで大きな公園ではないため、すぐに木の陰で佇む亮太を見つけることができた。約束の時間までまだ相当ある。

「亮太」

 声をかけると、そわそわした様子の亮太もこちらに駆け寄ってきた。さっそく私は、謝罪の言葉を口にした。

「今までのことだけど、本当にごめん。周りが見えなくなって、自分のことばっかり話して、亮太のこと、何も知ろうとしないで、都合よく利用するみたいにして……」

 俯いた亮太の表情は分からない。私はそのまま続ける。

「今更で、遅いと思う。でも、もし亮太が良ければ、今何を考えてるのか、どうしたいのか聞かせてほしいんだ」

 声が震える。魔法は効かないとわかっているのに、もしかしたら、なんてどこかで縋ろうとしてしまう自分がいた。そんな弱い自分がまっすぐ立っていられるよう、お兄さんの言葉を繰り返す。私の口から、大事なことを伝えないと。

きっと、魔法じゃ意味がないんだ。

「僕は」

 亮太は視線を反らし、瞬きを繰り返しながら、傷つけない言葉を探していた。

「……僕は、高校生の頃からいつも、美帆ちゃんの背中を追いかけてばかりだった。どんどん前に進んでいく美帆ちゃんをかっこいいと思いながら、同時に不安でもあった。置いてかれてしまうんじゃないかって」

 じゃり、と爪先の先で公園の砂が音を立てる。

「大学生になって、いろいろ頑張る美帆ちゃんの隣にいるためには今のままじゃだめだって思って、僕も新しいことを始めるために時間が欲しかったんだ」

「だから、距離を置きたいって……?」

 私が尋ねると、亮太は黙って小さくうなずいた。つーっと背中を汗が伝う。亮太の目に私はそんな風に映っていたんだ。実際はそんなことなくて、背伸びして空回りしてばかりだというのに。知らないことばかりだった。

「でも、今美帆ちゃんの話を聞いて思ったことがあって」

 そう続けて、亮太は顔を上げる。先程まで険しかった表情はとても柔らかく緩んでいた。

「美帆ちゃんは都合よく利用してたっていうけど、嬉しかったんだ。僕でも美帆ちゃんの力になれてたのかもって」

 目の前の亮太は、くしゃりと顔をゆがめ、右手で顔を覆って肩を震わせた。ごめん、と弱弱しく絞り出した亮太の左手を取った。燃えるように熱い。

「最近だけじゃないよ。ずっと、高校時代から私は亮太の優しさに救われてきたんだよ──謝らなきゃいけないのは、『ありがとう』って何万回も言わなくちゃいけないのは私の方」

 今まで亮太からもらった「ごめん」も「ありがとう」も私はほんの少しだって返すことができていない。

「もし、まだ亮太が許してくれるのなら──今まで亮太にもらってばっかで救われてばっかだけど、私も返していきたい」

 亮太は私の言葉に、ぶんぶんと首を縦に振り、左手でぎゅっと私の手を握りしめた。私も呼応して握り返す。

「大好きだよ、亮太」

 ほのかに、くったりとしたりんごの甘い香りがしたような気がした。


「──どうしてさっき、強制的に帰したかって?」

 青年は食器を拭きながら、視線を食器から離さず言う。対照的に、側で小さな「なにか」が青年の顔を見上げている。

「それはもちろん、必要なさそうだったからです。自力で解決できるに越したことはないですから」

 小さい彼は何も言わない。青年は尚、言葉を続ける。

「それにしても、偶然この店にたどり着いてしまうなんて、そんな魔訶不思議なこともあるんですね」

 青年はクスリと笑って食器を棚に戻した。コトリ、と小さな音も静寂に満ちた店内ではやけに大きく響く。

「ま、私たちが言えたことではないですけど」

 すっかり日も落ち、真っ暗闇の中にポツリと光を漏らすカフェ・タタン。失敗してしまった人だけが導かれ、不思議なタルト・タタンを食すことができるというカフェである。

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