背中ごしの恋

@jadn

第1話始まり

午後の校舎は、夏の陽射しを跳ね返して、真っ白に光っていた。

僕、**佐藤蓮(さとう れん)**は、体育館の裏手でひとり、汗だくの体を拭きながら立っていた。


視線の先には、彼女がいた。宮本結衣(みやもと ゆい)。いつも笑顔で、クラスの誰とでも話せるタイプ。まるで空気のように自由に、周囲を巻き込みながら歩く彼女。


僕は、そんな彼女の背中を蹴りたくなるほど憎らしいと思う瞬間がある。いや、正確に言うと憎いのではなく――触れたいけど、触れられないもどかしさが、僕をそうさせるのだ。


「……蓮、今日も体育館裏?」


声に振り向くと、友達の伊藤直樹が汗だくで立っていた。


「……ああ。ちょっと、色々と考え事で」

僕は笑った。考え事、というか、結衣のことだ。彼女の声、笑顔、仕草……すべてが頭から離れない。


「相変わらずだな。で、昨日の結衣、どうだった?」


直樹の質問に、僕は一瞬言葉を詰まらせた。昨日の昼休み、クラスの誰かと楽しそうに話す彼女を見た。僕も混ざりたいのに、どうしても言い出せなかった。


「……別に」

そう答える僕の声は、思った以上に弱々しかった。直樹はすぐに察したらしい。


「またか。お前、どうしても自分から動けないんだな」


その言葉に、胸の奥がヒリヒリと痛む。動けない、いや、動く勇気が出ないだけだ。結衣の笑顔を壊したくない、そんな気持ちが僕を押しとどめる。


放課後、僕は一人で校庭を歩いていた。夕焼けが赤く校舎を染めている。結衣はすでに帰った後だったか、教室は静まり返っている。


ふと、あの時の場面が頭をよぎる。体育祭の準備中、結衣が班のみんなをまとめている姿。笑顔の中に強い意志があって、まるで誰にも頼らず、でも誰も置き去りにしない――そんな印象だった。


「……俺は、何をしてるんだ」


自分の無力さに苛立ち、僕は拳を握りしめる。背中に、蹴りたい衝動が生まれる。しかしそれは、憎しみではない。嫉妬でもない。ただ――触れたい、存在を確かめたい、その感情の裏返しだ。


次の日、僕は決心してみた。


「……今日は、話しかけてみる」


授業が終わると、結衣はいつも通り教室のドアに向かって歩いていた。僕はゆっくりと追いかける。心臓が破れそうに速くなる。


「……結衣」


呼びかけると、彼女は振り向いた。


「ん? 蓮?」


笑顔。その笑顔に、僕は一瞬息を止める。


「その……昨日のことなんだけど、手伝ってほしいことがあって」


言葉がぎこちなく出る。結衣は首をかしげながらも、目を細めて笑った。


「ふふっ、いいよ。何を手伝うの?」


その瞬間、僕は理解する。背中を蹴りたくなるほど届かない存在に見える結衣も、こちらに目を向けてくれるだけで、世界は変わるのだと。


放課後の教室で、僕たちは文化祭の準備を始めた。紙を貼り、装飾を整え、ふとした瞬間に笑い合う。距離はまだ遠いけど、少しずつ近づいている感覚があった。


「蓮って、意外と几帳面なんだね」


結衣の笑顔に、僕は少し照れくさくなる。


「……そうかな?」


言葉少なに答える僕に、結衣は小さく笑った。


その夜、家に帰って鏡を見たとき、僕はふと思った。背中を蹴りたいほど遠い存在だと思っていた結衣。実は、それは自分の弱さの投影だったのかもしれない。


明日も彼女に会う。話しかける勇気を持つ。少しずつでも、近づくために。


そして、いつか――ただの友達以上に、彼女に触れられる日が来るかもしれない。


その想いが、僕の胸を締め付ける。苦しくて、でも甘い痛み。青春とは、こういうものなのだろう。


窓の外には、夕焼けが深紅に染まり、教室の机に僕の影を長く落としていた。僕は拳を握りしめ、未来に向かってそっと一歩を踏み出す。


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