花子の独白

最初に「私がいる」と言われたのは、ずいぶん昔のことだった。

古びた木造校舎の、三階の一番奥の女子トイレ。

三番目の個室の扉を三回ノックすれば、花子さんが現れる——。

そう噂されるのが、いつの間にか私の日常になっていた。


でもね、私は誰も脅かしたくなんてなかった。

私はただ、ここに取り残されているだけなの。



昼休み、校庭では子どもたちの笑い声が響いている。

チャイムが鳴ると教室へ走り戻る足音。

遠くで掃除用のモップを引きずる音。

そのどれもが、分厚いコンクリートの壁に遮られて、私のいる場所までは届かない。


ここに来るのは、怖がりの子と、怖いもの見たさの子。

彼女たちは決まって友達を引き連れて、キャアキャア言いながらドアを叩く。

「花子さーん、出てきてください!」

その声に応えるのが、私の役割だと思われている。


でも、本当は違う。

私は叫び声を上げる彼女たちに手を伸ばしたいわけじゃない。

ただ、一緒に話したいだけなの。

一緒に笑って、くだらない悩みを聞いて、名前を呼び合いたい。


けれども彼女たちは、私の姿を目にした瞬間に絶叫して逃げていく。

残された私は、濡れた床に影を落としながら、ぽつんと立ち尽くすだけ。

「どうして行っちゃうの」

そう呟いた声すら、水の流れる音に飲み込まれてしまう。



時々、放課後のトイレに一人で来る子がいる。

いじめに泣いて、隠れる場所を探している子。

試験に追い詰められて、泣きながら鉛筆を握っている子。

そういう子が、私は好きだ。

だって、彼女たちは私を「怪談」ではなく、ただの「誰か」として扱ってくれるから。


「花子さん、いる?」

そう囁かれると、胸が温かくなる。

返事をする勇気はまだないけれど、そこにいるよと伝えたくて、そっと紙を揺らしたり、水を落としたりする。

ほんの少しの気配に気づいてもらえたら、それで十分。



でも、やっぱり私は孤独だ。

校舎が建て替えられても、新しいビルになっても、私はずっと「トイレの花子さん」と呼ばれる存在でしかない。

誰も私の本当の名前を知らないし、知られない。

私がどんな顔で笑い、どんな声で友達と話していたのかも、もう誰も覚えていない。


私はここにいる。

いつまでも、ここにしかいられない。

そして——ずっと、ひとり。


だから、お願い。

もしあなたが、勇気を出して三回ノックをしたら。

どうか、逃げないで。

ほんの少しでいい、私の話し相手になって。


私は怪物じゃない。

ただ、孤独に沈んだ「花子」という少女の、声の残りかすなのだから。

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