特別編:セリア店長の休日
週に一度の定休日。
カーディーラー「ディアブロ・モータース」の看板の炎も、この日ばかりは静かに揺れている。
街角のカフェ。休日仕様の私服に身を包んだセリア・ディアブロは、窓際の席に座った。テーブルの上には、ニューヨークチーズケーキとミルク入りのコーヒー。
白いブラウスにジーンズ。普段の魔王モードからは想像もできないほどラフな格好だが、凛とした雰囲気は隠しきれない。
セリアはミルクを小さく注ぎ、スプーンで静かにかき混ぜた。白い渦が褐色に溶け込み、やがて柔らかな色合いに変わっていく。
一口、コーヒーを含む。深いコクとほろ苦さ、その奥に潜むミルクのまろやかさが舌を滑り抜け、喉の奥にゆっくりと広がる。
――そして、フォークにのせたニューヨークチーズケーキを口に運ぶ。
口に入れた瞬間、チーズの豊かな香りが一気に広がった。
ただ甘いだけなら一口で満足してしまうところだが、ほんのりと加えられたレモンの酸味が甘さを引き締め、コーヒーのほろ苦さが後を追う。
気づけば、次から次へとフォークがケーキへと伸びていた。
(……チーズケーキ、うますぎるな。トラブルで人間界に来たのは不本意だったが……これがあるなら悪くないかもしれん)
魔王らしからぬ心の声が、休日の陽射しの中でゆるんでいた。
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本来、このディーラーは魔族だけの職場だ。
鬼族の課長、オークの営業マン、サキュバスのカリスマ先輩、整備班のスケルトンたち。皆、魔法で人間に化けて働いている。
セリア自身も含め、全員が**完璧に擬態していると信じて疑わなかった**。
佐藤が入社初日から時折、微妙に引きつった顔を見せるのも――緊張のせいだと結論づけていた。
「新人なら当然の反応だろう」
セリアはそう思い込み、何の疑いも抱いていなかった。
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本来なら魔族以外は雇うつもりなどなかった。人間は魔族社会に馴染めないし、長続きしない。
だから佐藤を採用したのは完全な手違いだった。
――なのに彼は辞めなかった。
鬼山課長の声がガラスを震わせる朝礼も、夜な夜なカラカラ歩く整備班の足音も、オーク先輩の豪快すぎる営業トークも。
普通の人間なら一週間も持たずに辞めるだろう。だが佐藤は、三か月売れなくても店に立ち続けた。
その姿が、セリアには妙に気にかかっていた。
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最初は、すぐ辞めると思っていた。
だが佐藤は、不器用ながらも必死に食らいつき、初契約を取るまで会社に居続けた。
――あの日の喫煙所。
報告を聞きながら、セリアは魔王としての威厳を守るために淡々と頷き、褒め言葉を飲み込んだ。だが、内心は少しだけ誇らしかった。
「……このような考え、私には無縁のはずなのに」
最後の一口のチーズケーキを味わい、コーヒーを飲み干す。
甘味と苦味の余韻がゆっくりと舌に残り、セリアは小さく息をついた。
彼が次に売るとき、どんな顔を見せるのか。
なぜあんなにビビりながらも辞めないのか。
そして――いつか、自分が本当のことを話す日が来たら、彼はどんな顔をするのか。
「……まあいい。次の休みまでに二台売らせる」
魔王店長セリア・ディアブロは立ち上がり、カフェを後にした。
ニューヨークチーズケーキの甘さとコーヒーの香りをまといながら、その背中は――休日でもやはり魔王だった。
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