第3話
第3部 ― 砂漠の舞台と悠馬の死
砂漠の熱気が舞台を覆う。観客は存在しない、ただ砂と太陽だけが観客だ。老人は杖を握り、三人の女優と悠馬を見つめる。彼の目には長年の稽古と失敗、嫉妬と愛情、欲望と諦観が渦巻いていた。
「悠馬、お前に全てを託す」
老人は声に力を込めた。悠馬は百歳の師の視線を受け、深く頷く。砂漠での『リア王』、それはただの演劇ではない。生命の試験、精神の試練、身体の限界を超える場だった。
悠馬の決意
悠馬は若く、熱情に溢れていた。師から受け継いだ技術、舞台感覚、そしてステラ・アドラーが説いた「役を生きる」覚悟を胸に、彼は板の上で立つ。観客は風だけ、だがその風は彼の体をなめ、声を運ぶ。砂が足首に絡まり、汗が目に入り、呼吸は荒くなる。それでも悠馬は止まらなかった。役は生きるもの、死ぬ覚悟で生きるもの――それを体現するために、彼は全力を尽くす。
三人の女優はそれぞれに役に向かい、ゴネリルの香織は切っ先の鋭さを研ぎ、リーガンの理栄は沈黙の奥行きを増し、コーディリアの紗良は透明な悲しみを全身に宿す。だが悠馬の存在はその中心にあり、師の教えのすべてが彼の背にのしかかる。
舞台上の死
その瞬間は突然に訪れた。悠馬の足が砂に沈み、心拍が乱れる。彼の胸は劇的な台詞の途中で止まる。呼吸が途絶え、視線は空に向いたまま、砂漠の太陽に溶けるように消えた。板の上ではなく、砂の上で、悠馬は息を止め、師の眼前でその命を落とす。
三人の女優は悲鳴を上げることもなく、ただ固まった。ゴネリルは握りしめた拳を震わせ、リーガンは唇を噛み、コーディリアは目を潤ませながらも足元の砂に目を落とす。老俳優は杖を握りしめ、心の奥底で叫んだ。悠馬よ、何故お前が……だが、それ以上に、役として生ききるその勇気に、涙が止まらなかった。
板の上と砂の上
老人は立ち上がり、砂に跪いた。悠馬の体を抱き上げる。彼の心には、板の上で死ぬこと、役として死ぬことの重みが押し寄せる。百歳の師として、全てを託した弟子の命がこの砂漠で途絶えた。それは悲劇だが、同時に演劇の究極の真実でもあった。
「悠馬……お前は本当に生きた。いや、生ききった……」
彼の声は乾いた風に混ざり、砂漠の果てまで届く。三人の女優も、胸の奥で静かに祈るように頭を下げる。ゴネリルは悠馬の手をそっと握り、リーガンは肩越しに砂を払い、コーディリアは目を閉じて小さな声で呼びかけた。
「あなたの生き方を、忘れません」
砂漠の太陽は容赦なく降り注ぎ、悠馬の体を金色に染める。死であっても、彼は舞台の中心にいた。板の上でも砂の上でも、役は生き、役は死ぬ。悠馬の魂は、そのことを全身で証明したのだ。
老俳優の決意
老人は悠馬を抱えたまま、砂の上に跪く。涙を流し、声を振り絞る。
「全てを託したつもりだったが、お前が先に行くとは……だが、これでいい。これで全てが正しい。役を生ききること、それが最高の贈り物だ。悠馬、ありがとう……そしてさようなら」
三人の女優もまた、砂漠の風に身を任せ、呼吸を整える。彼女たちは悠馬の死を胸に刻み、次の舞台へと進む覚悟を固めた。砂漠は静かに沈黙し、太陽は無情に照り続けた。
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