第一部　序章 ― 板の上に立つこと

　古びた稽古場の裸電球が、静かな呼吸を刻むように明滅していた。

　長椅子には若い俳優たちが並んでいる。目の奥に夢と焦燥がまだ同居している顔ぶれ。彼らの前に立つのは、白髪を撫でつけた一人の老人だった。杖をつきながらも、背筋は奇妙なほどまっすぐに伸びている。彼の名前を、若手たちは「先生」としか呼ばなかったが、かつて世界の劇場を渡り歩いた大俳優だった。

「役を生ききれ。生ききれない自分を、恥じろ。」

　老人は、最初の言葉を低く吐き出した。場内の空気が引き締まる。

「ステラ・アドラーは言った。想像力の貧しい役者は、舞台の上でただ立っている死体だと。マーロン・ブランドはその教えを背負って、同時にその重さに押し潰されながら生きた。ベルナールは舞台の上で死ぬことを望み、貞奴は舞台を背負って世界を旅した。仲代さんはこうおっしゃったよ、『死ぬ以外は稽古に来なさい』と。――だが、そのどれもが同じ場所を指している。舞台は、生きる場所であり、死ぬ場所だ。」

　若手たちは息を呑んだ。

　そのとき、稽古場の闇に溶けるように、彼の記憶が立ち上がる。

　砂漠。熱風にさらされた即席の舞台。百歳に近かった彼がなお「リア王」を演じたときの幻影。

　そこには三人の女優がいた。

　ゴネリルを演じた女は、都会的で、刺すような眼差しを持っていた。誰よりも役を信じ、同時に自分を疑っていた。

　リーガンを演じた女は、激情と冷徹の狭間に立ち続ける者だった。舞台を降りれば寡黙で孤独な影を背負っていた。

　そしてコーディリアを演じた女――彼女は、透明な声で沈黙を語れる稀有な存在だった。のちに、彼の最後の妻となる。

　三人は表面上は「王の娘」でしかなかったが、裏側では絶え間ない嫉妬と渇望を抱いていた。コーディリア役を演じたいという願いを、他の二人も隠し持っていたのだ。舞台の上で、愛と裏切りを叫ぶ声は、同時に女優たち自身の叫びでもあった。

「君たちに問う。」

　老人は若手たちの顔を見渡した。

「役とは、セリフを覚えることじゃない。生きることだ。だが生きるとは、時に相手役への嫉妬であり、敗北感であり、欲望だ。ゴネリルもリーガンも、そしてコーディリアも、演じる彼女たちがそれを背負っていたからこそ、観客の心を抉った。役の血は、演者の血そのものだったのだ。」

　若手の一人が小さく震えた。

　まるで、自分もその舞台に引きずり込まれるかのように。