牙の向く先ー2

──翌朝:仮設拠点

朝の光が仮設拠点の窓から差し込み、机の上に広げられた報告書に淡い影を落とす。

魔力解析官ケルヴィ・ヴァン=エルド。王宮直属の魔導技術局に所属する若き天才。

冷静で合理主義、感情を交えずに事実だけを語ることで知られている。

その無機質な口調は、時に冷たくも感じられるが、解析精度は王宮内でも群を抜いていた。

そんな彼は整然と並べられた資料の束に目を通しながら、静かに口を開く。

「魔物の暴走時に出る魔力の波形とは、だいぶ異なります。これは……何者かが、意図的に魔力を散布した痕跡と見て間違いないかと」

彼は図面を広げ、牙痕の角度と深さを指し示す。

「噛みつき痕も、一見すると魔物によるものに見えますが……データと照合すれば、傷の浅さと整った形状からして、魔物のものとは異なります。もし魔物が本能で襲ったのであれば、もっと乱れている」

リルは眉をひそめ、図面に視線を落とすと小さく息を吐き、ケルヴィに視線を向ける。

「つまり……誰かが魔物の仕業に見せかけたってこと?」

ケルヴィは端末を操作しながら、少しだけ声の調子を緩めた。

「はい。……総合的に判断して、作為的な印象が強く、ナイトファングが犯人だと断定するには根拠が不十分です」

リルはしばらく黙っていたが、やがて静かに呟いた。

「……リーンの言ってた“演出”って、こういうことだったのね」

ケルヴィは報告書を閉じながら、静かに言葉を継ぐ。

「魔物を疑うには、材料が足りないと判断いたします」









──捕獲小屋。

朝の光が木枠の隙間から差し込み、干された藁の上に柔らかな影を落としていた。

サン・エルミナスはそっと膝をつき、ナイトファングと目線を合わせるように身を低くする。

彼女は王宮特別捜査隊の癒し手であり、感情の媒介者として隊の中でも異彩を放つ存在だった。

ゆるく巻いたセミロングの髪が揺れ、リボンが朝の光を受けてきらりと瞬く。

目の前には、怯えるナイトファング。灰と白が混じる柔らかな毛並みは、夜露の名残で微かに光っている。まだ成獣になりきれていない細身の体は、尻尾をぎゅっと体に巻きつけ、耳は伏せられていた。

「……怖かったね。大丈夫だよ……」

サンはゆっくりと手を差し出しながら、静かに声をかける。

ナイトファングは一瞬、身をすくめたが、サンの手から漂う穏やかな気配に、少しずつ鼻先を近づけていく。

その瞳――赤と銀のオッドアイには、依然、混乱と怯えが色濃く滲んでいた。

「うん、大丈夫。誰もあなたを傷つけたりしない。お母さんが殺されて……ただただ悲しくて、怖かったんだよね……」

サンはそっと微笑みながら、低く囁くように言った。

「…………」

少し離れた場所で、リーン・アークライトが静かに様子を見ていた。

彼の視線は、ナイトファングの仕草ひとつひとつを丁寧に追っている。

「……サンは魔物に心がないと思うか?」

サンが振り返ると、リーンは微笑を漏らした。

「すまん。馬鹿な質問だったな。俺も思ってはいない」

リーンはサンの隣へ屈むとナイトファングへ視線を向ける。

「今のこいつは……お前の言う通り、悲しみと恐怖だけだ」

そう言いながら、リーンはナイトファングの頭を撫でる。

「一回抱えたトラウマは消えないかもしれないが……二度とお前を同じ目には遭わせやしない……」

サンは少しだけ目を細めて、リーンを見つめる。

「……人には厳しいのに、魔物には優しいんですね」

リーンは肩をすくめる。

「魔物は賢くて素直だからな」

ふっと笑うと、サンもナイトファングの頭を撫でる。

「……人は違うって言い方。ふふっ、でも、そうですね。間違ってもこの子は賢くて素直……そして、怖くて悲しくて、寂しい……」

サンの言葉にリーンは何も言わず、ただ静かにナイトファングを見つめる。その瞳には、過去の自分の痛みを重ねているようだった。


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