第10話 生理現象は避けられない!?

 アルディスが案内したのは、街の一角に寄り添うように並ぶ鍛冶場と商店群だった。

 かつては昼夜を問わず槌音が響き、炉の火が絶えなかった職人街。今も瓦礫の下から鉄の焦げた匂いと、乾いた薬草の香りがかすかに立ちのぼっている。


 建物のいくつかは無惨に崩れ落ちていたが、まだしっかりと立っているものも多く、そこかしこに人の手の痕跡が残っていた。焼け焦げた看板や、土埃にまみれながらも整然と並ぶ作業台が、この場所が生きていた証を物語っている。


「ここが俺たちの根城だ」


 アルディスは胸を張り、誇らしげに言い放った。その眼差しは荒廃した街並みではなく、そこに宿る可能性を見据えていた。


「元々、鍛冶と商売をしてたからな。店の地下は倉庫になってるし、路地は狭くて防衛もしやすい」


 その言葉に仲間たちの目が見開かれる。複数の店が自然と一つの区画を成し、そこに生産職のプレイヤーたちが身を寄せていた。そしてさらに驚かされたのは――アルディスたちが雇っていたNPCの職人や店員までもが残っていることだった。怯えながらも彼らは工具を手にし、主人の指示に従って片付けや補修を続けている。


「……NPCの店員も、一緒に守ってたのか」


 ガルドが感嘆を漏らす。その声には、言葉以上に深い敬意が滲んでいた。


「当たり前だろ?」


 アルディスは肩を揺らして答える。その声音には迷いが一切なかった。


「彼らがいなきゃ俺たちは回らない。職人も商人も、命を懸けて守る価値がある」


 その断言に、リリィは小さく息を呑み、杖を胸に抱きしめる。まるで自分の鼓動を抑え込むように。


「……なんだか、本当に“生きてる人”みたい……」


 彼女の囁きに、セレスは静かに微笑んだ。そして首を横に振る。


「いや、もう“みたい”じゃない。彼らもこの世界で生きてる。だから、この区画ごとみんなを守ろう」


 ヴァレリアが力強く頷き、瞳を輝かせる。


「大型拠点ってわけだな。鍛冶場で装備を直し、商店で物資を分け合える。最高じゃないか」


 カイは腕を組み、皮肉めいた笑みを浮かべた。だがその声には確かな賛意が含まれていた。


「それに、路地が狭いのは好都合だ。罠を仕掛けりゃ、魔物もPK狙いの連中も近づけない」


 アルディスは仲間たちの視線を受け止め、戦斧を地面に突き立てる。その音が、決意を告げる鐘のように鳴り響いた。


「戦闘班が外を守り、生産班が物資を作り、NPCたちが支える。ここを俺たちの砦にするんだ」


 瓦礫の街の一角に、初めて拠点の形が浮かび上がる。

 ただの避難所ではない。秩序を築き、明日へと繋げるための「砦」。仲間たちの胸に、小さな希望が確かに芽生えていた。


 ――だが、その高揚感の裏で。

 安堵できる空間を手に入れたことで誰もが、自分の体に奇妙な違和感を覚えていた。緊張と混乱に押し隠されていたものが、ここにきて牙を剥いたのだ。


「……あ」


 リリィが顔を真っ赤に染め、俯いた。


「お、お腹……鳴っちゃった……」


 沈黙の中に小さな音が響き、場の空気が揺らぐ。カイが吹き出しかけて咳払いでごまかし、ヴァレリアは苦笑を浮かべた。


 やがて、ガルドが眉をひそめ、低く言った。


「……食事だけじゃないな。どうやら“現実の体”になった以上……他の欲求も、ごまかせん」


 その言葉に、全員の視線がすれ違い、やがて逸れていく。尿意、便意――ゲームでは存在しなかった生理現象が、今は確かに彼らを縛りつけていた。


 セレスは目を閉じ、唇を引き結ぶ。食欲、排泄、眠気……それらはすべて「生きている証」。無視することは、この世界で生きることを拒むことと同義だった。


(……この世界は本当に、逃げ場のない“現実”なんだ)


 炎の残り香が漂う街の片隅で、彼らは気づかされる。拠点を得た安堵と同時に、避けられない人間の営みが待ち受けていることを。


 その後、粗末な区画で身を寄せ合いながら、仲間たちはなおさら思い知らされた。胃の奥がきしみ、下腹部を押さえたくなるような不快感が忍び寄る。


「……くっ」


 ガルドが顔をしかめ、身をよじる。彼の内面は若い女性だ。しかし今の姿は堂々たる男性騎士。その体で――と思うと、言葉にできない羞恥が喉を塞いだ。


 セレスもまた、膀胱を締め付ける感覚に耐えていた。今の身体は十七歳の少女。二十七歳の男であった頃にはなかった羞恥が、心をじわじわと侵食する。


 ヴァレリアはそんな二人を見ても、肩を竦めて明るく笑った。


「まあ、そういうこともあるよね。観念しちゃったほうがいいんじゃない?」


 そのおおらかさに救われる者もいたが、羞恥は簡単に消えない。カイは腕を組み、心底安堵したように息をついた。


「いやー……俺は中身も外見も一致しててよかったよ。マジで」


 その様子を見ていたアルディスが口を開く。


「……心配するな。もうトイレは作ってある。井戸から水を引き、廃材で仕切りもした。生理現象は避けられないからな」


 実務的な言葉に、一同は安堵と同時に赤面した。沈黙が落ち、誰もが目を逸らす。


 その空気に、リリィも気づいてしまった。彼女は硬直し、唇を震わせる。憧れていたのだ――セレスを、年上の女性冒険者だと信じて。大人びた姿に追いつきたいと夢見て。


 けれど現実は、残酷にその幻想を剥ぎ取る。


「……セレスさん……もしかして本当は、男性……?」


 リリィの声は震えていた。セレスは息を呑み、何も言えない。否定も肯定もできず、ただ沈黙が場を覆う。


 少女はうつむき、唇を噛みながら、それでも絞り出すように言葉を重ねた。


「……だましていたんですか?」


 その瞳に宿るのは、悲しい追求。


 セレスの胸を鋭く貫いたのは、激しい罪悪感だった。


(ちがう……違うんだ……! 僕は、君を騙したかったわけじゃない……!)


 二十七歳の男の魂が慟哭する。けれど声にはできない。

 「理想の魔法師セレス」としての微笑みが、皮肉にも仮面のように張り付いて離れなかった。



 ――焚き火の明かりが揺れる工房街の片隅。

 仲間たちがそれぞれ疲れを癒やす中、リリィはそっとセレスの隣に腰を下ろした。

 瞳にわずかな冷たさを宿してはいたが、完全に拒絶するものではない。その距離感に、セレスはひとまず胸をなで下ろす。


 無理もない、とセレスは思う。

 これまでリリィは「同じ女性」と信じて語り合ってくれた。将来の夢や、可愛い装飾品のこと、誰にも言えないような憧れや不安。

 その相手が実は男だったと知れば、裏切られたと感じても仕方がない。自分は騙すつもりなど毛頭なかったが――少女の心からすれば、結果的に裏切りに近い痛みを与えてしまったのだ。


「……リリィ」


 セレスは静かに声をかけた。

 リリィは焚き火を見つめたまま、わずかに顎を引く。


「……はい」


 短い返事に、セレスは胸の奥が痛むのを感じた。

 少女の信頼を、少しでも損なってしまったのだ。


「ごめんなさい」


 セレスは真っ直ぐに言った。

 自分の声が震えないように、必死で押さえながら。


「ずっと黙っていたこと……本当は、謝らなきゃいけないって思ってた」


 その言葉に、リリィの視線がようやくセレスへと向けられる。

 わずかに冷たさを帯びていたが、そこに嫌悪はなかった。


「……セレスさんは、女性になりたい人なんですよね?」


 くすっと小さく笑う。その声音は子供っぽい悪戯のようで、けれど胸にちくりと刺さる「ささやかな嫌がらせ」でもあった。


 セレスは一瞬、言葉を失う。

 心の奥の“僕”が「違う!」と叫び、慟哭する。だが、口から出たのは別の言葉だった。


「……そうかもしれないね」


 自嘲を込めて微笑む。

 リリィは少し驚いた顔をしたが、すぐに目を細め、焚き火に照らされた横顔を見つめ返す。


「でも……セレスさんは、もう“女性”なんです。だから、それでいいんです」


 割り切ったように告げるその声には、子供なりの優しさと、大人びた冷静さが同居していた。

 セレスの胸は締め付けられる。

 「それでいい」――その一言に救われる自分がいる。

 同時に、もう決して元に戻れないのだと突きつけられる自分もいた。


「……ありがとう、リリィ」


 かすれそうな声で礼を告げ、セレスは彼女の頭をそっと撫でる。

 リリィは少しだけ頬を赤らめたが、抵抗せずにその手を受け入れた。むしろ甘えるように、焚き火の熱へと身を寄せる。


 炎がゆらゆらと二人の影を寄り添わせる。

 そこには、悲しい誤解と――それでも確かに芽生えた、温かな信頼が同居していた。




【あとがき】


今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

TSしたら、絶対生理現象で困るはず、困りますよね……?


もし少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、

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どうぞこれからも見守っていただければ嬉しいです!

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