第9話 工房主の奮闘

 光のパネルに映し出された倉庫の目録は、確かに膨大な品々で満ちていた。

 だが――料理だけが、跡形もなく消えている。


 セレスはしばし無言で画面を見つめていた。

 さっきまでの安堵は冷たく溶け去り、代わりに背筋をなぞるような不気味さが広がっていく。


「……これって、偶然じゃないですよね」


 リリィの声は小刻みに震えていた。

 細い指が倉庫UIを指し示し、彼女は怯えを押し殺しながら言葉を継いだ。


「日持ちしないものは、消える……? 誰が、なんのために……?」


 ガルドが大盾の縁を叩き、険しい顔を向ける。


「つまり……現実の理に合わせて、システムが変質してるってことか。腐るものは保存されない。――食料は、自分たちで調達するしかないのかね」


 その現実的な指摘に、リリィは小さく身を縮めた。

 まだ不安そうに水晶を振り返り、唇を噛む。


「でも……これって、何かが“選別”してるみたいで……気持ち悪いです」


 セレスは彼女の肩にそっと手を置いた。

 温もりを伝えるために、そして自分自身の覚悟を示すために。


「不気味さは否定できない。でも、それを恐れて止まってる余裕はない。――動かなきゃ、私たちの方が淘汰される」


 その確信に満ちた声に、リリィは小さく頷いた。

 彼女の幼い胸にも、この世界の冷徹さがじわりと染み込み始めているのが見えた。


 ――倉庫に頼って当然だった日々は終わった。

 探索の合間に安心して腹を満たすことすら、もはや今まで通りにはいかない。


 セレスは唇を噛み、意識を切り替えるように杖を握り直した。


「……早く生産職と繋がらないと」


「え?」


 リリィが顔を上げる。


 セレスは水晶に映る目録を閉じ、くるりと背を向けた。


「生産職は、食料や装備の供給を担える。だけど彼らは本格的な戦闘は不得手だ。――つまり、私たち戦闘職と手を組む必要がある」


 その声には、強い確信がこもっていた。

 彼女自身、ソロで戦い抜いてきた。大規模クランに入らずとも渡り合える実力を持つ。

 同じように群れに属さず、孤高に物を作り続けてきた生産職の仲間を、彼女は数多く知っていた。


「利害は一致するんだよ。私たちは食料を確保できるし、彼らも護衛が必要なはず」


 ガルドが大きく息を吐き、苦笑を浮かべる。


「……なるほどな。生き残るために、手を組むわけだ」


 リリィが不安げに周囲を見回し、小さな声で問う。


「でも……どこで見つければ……」


「工房街に行こう」


 セレスは即答した。


「私の知っている職人たちなら、必ず生き残って拠点を築いているはずだよ。街を支えるのは彼らだから」


「お互いが必要としてる……ってことですよね」


 リリィが小さく付け加えると、セレスは微かに笑みを浮かべた。

 胸に重く垂れ込めていた不気味さを押しのけるように、彼女は歩を進める。


 ――街の西側、工房街へ。


 瓦礫に埋もれた大通りには、まだ避難できずにいる人々の姿があった。

 壊れた荷車を押して必死に逃げる商人、泣きじゃくる子どもを抱えて走る女性。

 その一方で、数人の冒険者が魔物と刃を交えている。炎の粉塵が舞い上がり、剣戟の音と獣の唸り声が交錯していた。


「まだ戦ってる……」


 リリィが息を呑む。


 ガルドが大盾を構えかけたが、セレスが手を上げて制した。


「今は戦力を分散させるべきじゃない。工房街を目指すのが先決よ」


 瓦屋根が崩れ落ちた鍛冶場、黒焦げになった錬金店――工房街は壊滅的な被害を受けていた。

 だが、それでもなお、遠くから鉄を打ち鳴らす音がかすかに響いてくる。

 炎と煙にかき消されながらも、必死に生を示す音。


「……聞こえるか?」


 ガルドが足を止め、耳を澄ます。

 セレスも頷いた。


「生き残ってる。間違いない」


 その確信に導かれるように、一行は音のする方角へと足を速めた。


 炎と煙に包まれた街を進むうち、セレスたちは焼け落ちた鍛冶場の前にたどり着いた。

 崩れた屋根の下、なお赤々と鉄床が熱を帯びている。

 そこに数人のプレイヤーが集まり、必死にバリケードを組み立てていた。


「よし、その板をこっちに! 魔物が突っ込んできたら持たないぞ!」


 荒っぽい声が飛ぶ。

 だが、その中心に立つ男の背中は、セレスには見覚えのあるものだった。

 鍛冶師の皮鎧に煤で汚れた顔。戦斧を軽々と振るうその姿に、彼女の記憶が重なる。


「……アルディス?」


 声をかけると、男が振り返った。

 鋭い眼光が一瞬驚きに揺れ、やがて笑みを浮かべる。


「おお……やっぱりセレスか! 生きてたか!」


 駆け寄るその姿に、仲間たちは息を呑んだ。

 本来なら彼は鍛冶師――典型的な生産職のはずだった。

 だが現実化したこの世界では、戦斧を握り魔物を薙ぎ払うその姿は、立派な前衛にしか見えなかった。


「アルディス……」


 セレスの胸に、安堵が広がる。

 彼は、ソロギルドの自分が取引でよく世話になっていた、生産職仲間の一人だった。


 アルディスは後ろを振り返り、仲間たちを示す。


「見ての通り、生産職ばかりだ。鍛冶、錬金、裁縫……戦闘は不得手だが、俺たちの役割は分かってる。物を作ることだ」


 背後の職人たちは不安そうにこちらを見ている。

 だがアルディスの声には、揺るぎない力があった。


「だから、とりあえず見知った仲間をまとめたんだ。街が燃えても、俺たちが物資を供給できればなんとかできる」


 ヴァレリアが感嘆の声を漏らす。


「すごいな……クラフターって」


 カイは口元に笑みを浮かべた。


「こういう状況で動けるやつが本物だよ」


 セレスは静かに頷き、杖を握りしめる。


「アルディス。もしよければ、力を貸してほしい。私たちも手を貸す。……一緒に拠点を築こう」


 その言葉に、生産職の仲間たちの顔に安堵と希望の色が広がった。

 混乱の街の中で、初めて“未来を作るための力”が合流した瞬間だった。


***


 情報共有のためにセレスが倉庫から取り出した素材の一部を広げた。

 アルディスたち生産職の目が一斉に輝いた。

 樽いっぱいに詰まった鉱石、山のように積まれた魔獣の牙や革、乾燥した薬草の束――。

 かつてはゲーム内の数字でしかなかった品々が、今は血肉を繋ぐ現実の資源として輝きを放っている。


「こ、これ……希少素材じゃない」


 錬金術師の少女が、声を詰まらせた。

 小さな手に抱きしめた薬草は乾燥が完璧で、触れるとカサリと心地よい音を立てる。


「……保存も完璧……! すぐに回復薬にできる!」


 その目は涙ぐみ、胸の奥からこみ上げる安堵が隠せなかった。


 鍛冶師仲間の男は、ずしりとした金属の塊を撫でながら感嘆の息を漏らした。


「魔鉱石もこんなに……! これがあれば在庫の武器も強化できるぞ!」


 瞳の奥に宿った光は、職人としての矜持そのものだった。


 仲間たちの熱気に、アルディスは苦笑を浮かべつつも、制するように声を上げセレスを一瞥する。


「落ち着け。……だが確かに、これだけの素材があれば本格的に物資を回せるが……」


「アルディス達が分けて使ってくれていいよ。装備の修繕も、回復薬の供給も、君たちの技術がなきゃ私達だけじゃどうにもならない」


 苦笑するセレスの声には、確かな信頼が込められていた。


 アルディスは腕を組み、しばし思案した後、深く頷いた。


「……俺達にも在庫はあるが、今のこの状況じゃ素材を集めてくるのもままならん。確かに助かる」


 ヴァレリアが腰の剣を鳴らし、戦意を滲ませた笑みを浮かべる。


「物資があれば戦い続けられる。補給線を守るのは任せて」


 カイは軽く手を挙げ、口元に苦笑を浮かべる。


「素材の調達は俺達がやろう。……まあ、得意分野だしな」


 リリィは杖を抱きしめ、少し不安げに口を開いた。


「わたしは……回復を頑張ります。薬と一緒なら、もっと人を助けられるはずだから」


 その声はまだ細いが、確かな決意を帯びていた。


 アルディスは満足げにうなずき、戦斧を肩に担いだ。


「いいだろう。戦闘班と生産班――役割を分ければ、この街でも俺たちがここで“生きる仕組み”を作れる」


 炎と煙に包まれた街の片隅で、確かに新しい秩序の芽が芽吹きつつあった。

 戦闘と生産――二つの力が結びついたとき、一行の胸に小さな、だが確かな希望が灯ったのだった。

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