まるで陽が沈むように
不足
第1話
絢香について
スマホのアラームが鳴り響く午前五時。太陽から逃げるように部屋の一番暗いベッドの角に膝を立てて顔をうずめる。鳴りやまないアラームに嫌気がさし、手探りで停止ボタンをタッチした。
今日も一睡もできなかった、会社に行きたくない。
ベットから降りて、開けっ放しにしていたカーテンを閉めに窓辺に向かう。ガラス越しにやつれた顔が映り、溜息を吐きながら山際に目を向けた。嫌というほど朝日はきれいな色をしていて、見ていて苦しくなる。今日という日がまた始まってしまった。
もうあんな会社辞めてしまいたい。そう思っているのにやめるのが怖くて。やめたとしてもその後生きていく意味を見出せなくなり自己嫌悪に陥りそうで。でも、結局のところは全部自分が弱いから行動に移せていないだけで。全部言い訳に過ぎなくて。そしてどんどん日が経ってしまって。生きる意味が会社になってしまったような気弱な馬鹿に成り下がってしまった。前はこんなんじゃなかったのにな、と本棚の上に飾っていた学生時代の写真を見つめ、吐きそうになり写真立てを倒した。
「はぁ。」
重い足取りでリビングに向かい身支度をする。
「行ってきます。」
別に誰に向けて言うわけでもないが、これが言えなくなったら終わりだと思っている。朝の涼しい時間帯に暑苦しい客層の電車に乗り込み、重苦しい気持ちで会社に向かう。
あと三駅で会社の最寄についてしまう……どうしよう。
激しい動悸とめまいと吐き気、過呼吸に襲われながらなんとか最寄で電車を降りることができた。毎日こんなことになっているのだから逃げればいいのに、とわかっていながら、でもせっかく入れたずっとあこがれていた会社だからと、逃げられずにいる弱虫にあきれトイレで戻してから会社に向かう。
*
午前六時。当たり前だがオフィスには私以外誰一人いない。始業は九時なのだから。それでも六時に来なくてはいけない理由がある。オフィスの掃除、コピー用紙の補充、給湯室の茶葉やインスタントコーヒーの補充。そして、昨日部長が帰り際に渡してきた今日十時〆の資料のまとめ作業。やらなくてはいけない仕事が山積みなのだ。全部一人でこなすのは無理だ。でもやらないとまた部長に怒られてしまう。みんなの前で。大声で。まるで見世物のように。
いじめ、なのだと思う。でもこれも仕方のないことで。入社してすぐ社内でもかわいがられていた男の先輩と付き合うことになって目をつけられた。
まずはいわゆるお局のおばさん。仕事はできないのに会社設立当初からいるためなかなかやめさせられないらしい、と入社してすぐの頃噂で聞いたことがある。その人からのいじめは粘着質で、小言に始まり、仕事を押し付けてきたり、失敗を全く関係のない私に押し付けてきたりといろいろあった。私も私でめんどくさいのは嫌いなので、はいはいとすべて受け入れてしまったのが後の祭り……。お局に感化されるように、だんだんと周りのみんなも私はいじめてもいい存在なのだと認識し、関わりのない人にまでいじめられる始末。それを面白がった性根の腐った部長がこれ見よがしに大声で怒ってくるようになった。みんなに仕事を押し付けられ、みんなから変な噂を流され、こき使われ。私のあこがれていた大手のデザイン会社はこんなものなのかと失望していた。所詮人間とのかかわりで成り立っているのだ。無視程度ならよかったものの、その変な噂が付き合っていた彼の耳にも入ってしまい、弁明の余地なく一方的にふられてしまった。でもきっと、いじめられてる人と付き合っているという立場に立っていたくなくて振ったのだろうと何となく感じた。それからは当たり前のように肩身がぐっと狭くなってしまい、どこにも居場所がなくなってしまった。
お昼休み、私はいつも会社から少し離れたマンション街の隅にある小さな公園に行く。ここには会社の人も来ないし、人通りも全くないからベンチを独占していても誰にも迷惑をかけずに済む。
私はベンチに腰掛け、お弁当箱にしまっておいたカッターナイフを取り出し、自分の右手首に刃を立てた。たちまち熱い痛みと赤い血が滴り、その痛みにうずくまる。別に死にたいわけではない。 ただ生きているという実感が欲しかった。ただそれだけ。その方法がたまたま自傷行為だっただけなのだ。別に何でもよかった。いろいろ試してみたが、痛みを感じることが一番生を感じられた。死にたいわけじゃない。いや、そう言い聞かせているだけかもしれない。深層心理では死にたいと思っているのかもしれない。でも私は、まだ生きたい。生きたいのだ。そう思えるのが、そう思えたのが自傷行為だっただけ……。
「……ッは」
気づかない間に止まっていた息を、これでもかというくらい大きく吸い込んだ。痛みに耐えながら、ジンジンするそこを必死に抑えて止血する。
「いつもより深くいっちゃった。」
公園の隅にある蛇口をひねって傷口を洗う。
「あちゃ~、痛そうだね、大丈夫?」
「え?」
顔を上げると、そこには見知らぬとってもきれいな女の人が心配そうに私をのぞき込んでいた。人に話しかけられるなんて思ってもいなかったから、少し上ずった声で返事をしてしまった。
「あ、大丈夫です、お見苦しいところをお見せしてしまいすみませんでした。」
「何言ってんの!ほらもっとよく見せて!ちゃんと洗って!」
「え?」
「あんたこれが初めてじゃないでしょ!ちょっと待ってて!すぐ戻ってくるから絶対ここにいてね!」
そういって元気なお姉さんは飛び出していった。
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