番外編 青は藍より出でて藍より青し

「うっわぁマジかあいつ二つ名をもらった上に貴族社会でもお偉いさんになるの......なんてこったい」


フェリシアノ・セレーナは届いた手紙を見てがしがしと頭を掻いた。5年以上前に別れた弟子が年々ヤバくなっている気がする。そろそろ師匠への敬意を忘れられても可笑しくなさそうだ。嘆かわしい。


「青は藍より出でて藍より青し、か」


フェリシアノは深々と溜息を吐いた。


「昔は両手で抱えられるほど小さかったのになー」


弟子を――レイ=ウィンストン・サザーランドと出会った時のことを思い返し、フェリシアノは空を睨んだ。



***



魔術師は必ず師を持つ。どんな辺境でも、罪人の子であっても、必ず生まれてすぐに師を得るのだ。なぜならば体内に宿る魔力は感情の揺らぎに伴い、魔術の形で発露する。赤子ともなれば制御などできないことは当然で、魔力量が多ければ多いほど周囲にもたらす被害も大きくなるからだ。こういった被害は魔術師に対する嫌悪感と畏れを招く。魔術師に対する迫害を防ぐため、近くにいる魔術師がふらっと現れ保護することが多い。そうして魔力制御が出来た頃になって子は家に戻り、唐突に家を出て行く。家族を持つ者もいるが、縛られることを嫌う魔術師たちは生涯独身を貫くことが多い。十年足らずの短い師弟関係だけが、家族に近しいものと言えた。


フェリシアノ・セレーナもその例に漏れず、独身のまま38を迎えた。魔力量は253、上級魔術師としてはまずますの方である。

国元を出て早25年。様々な国の権力者からお抱えとして働かないかと言われながらも、すべての依頼を断り、気ままに旅をしていた。お抱えとなれば生活は安泰だが、ともすれば戦争や商売道具として使われかねない地位に身を置くことが嫌だったのだ。

人付き合いが苦手なので弟子を取るつもりはてんでなかったのだが、たまたま通りかかった領地の領主の息子が魔力持ちだということで、フェリシアノに半ば強引に預けられた。組合に頼んで別の魔術師に引き取ってもらおうかとも思ったが、引き合わされた赤子を見てその考えも吹き飛んだ。

とにかく、その赤子はやばかった。

フェリシアノの2、3倍はありそうな魔力を全く制御せず、赤子らしく泣き喚いては不完全な魔術を暴走させるのだ。これはまずい。人の手には負えない。

フェリシアノは疲労困憊で赤子を届けに来た使者をねぎらい、とりあえずこの子供の魔力制御を教え込まねば、そして大人への敬意を身に付けさせねばと固く誓った。

風魔術の暴走で、ただでさえ薄かった髪の毛を切り取られたのが原因とかではない。断じて違う。


「あーっ、やーっ!」

「ぎゃーっ、止まれ止まれ泣き止めほんとお前泣いちゃダメ!」


それから、フェリシアノとレイの共同生活が始まった。赤子の面倒を見たことがないフェリシアノは全力で他人を頼りたかったのだが、いかんせん魔力制御ができるまでは人を近づけることができなかった。

レイはよく泣く赤子だった。後から思えば慣れない環境に移ったせいもあるだろうが、フェリシアノは毎日結界を張り、破損した家を修補し、と日々雑務に追われた。物心ついてから感情を表に出さないようにと口をすっぱくして言ったことで、次第に喜怒哀楽を表すことが減り、皆無になり、あれやりすぎたのでは、と思い至ったのは5歳になる頃だ。この頃にはレイは基本的に無表情で黙っていることが多かった。


「あーレイ、もう少し笑ってもいいんだぞ?」

「いえ、だいじょうぶです」

「そ、そうか......」


レイは率直に言って天才だった。魔力量が桁外れな上に、魔術式の組み立ても上手だった。5歳から本格的に魔術を教え始めて1年半、教えることはなくなった。各地を転々として様々な魔術師に預け、その技術を会得させるのが最適という答えに辿り着いたのはそれから半年後のことである。フェリシアノはレイを連れて各地を回り、自分より優れた魔術師に半年間預けてはまた違う魔術師の元に連れて行く、ということを繰り返した。この作戦が功を奏したのだろう、レイはどの分野の魔術も器用にこなすようになっていった。二つ名を得ることも夢ではない、とまで評された。しかし、笑わない、怒らない、泣かない、と教えすぎて相変わらず表情が皆無なのがフェリシアノには心配だった。漫才を見せたり面白い物語を持ってきてもぴくりとも表情が動かないので、絶対に言い過ぎた、と深く反省した。

結局、生家に戻る前になってもレイはなかなか笑わない子になっていた。好きなものもあまりなく、魔術の深淵に魅入られた様子であった。いつか好きな人とかできるのだろうか、その時に表情が死んでて誤解されないだろうか、と随分早く気を回したことを覚えている。

師の懸念をよそに、レイはあっというまにフェリシアノの階級を追い抜いて二つ名を得た。手紙でそれを知らされた時、文字通りひっくり返った。とんでもない子だとは思っていたが、まさか14にして二つ名をもらうことになるとは思ってもいなかった。1年半ではあってもそんな天才を教えたのが誇らしいような、それでいて悔しいような心地だった。

しかし、二つ名をもらって1年で生国の公女と婚約するとは。貴族社会でも魔術師社会でも頂点を極めすぎてはいないだろうか。

フェリシアノは手紙に視線を落とした。婚約しました、と淡々と書かれた文字に、何ら感情は滲まない。


「......婚約者を愛しているのか?」


願わくば、そうであってほしいが。

フェリシアノはすぐに返信をしたためた。婚約者とはどうだ、と当たり障りない質問には、3か月後、普通です、と短い言葉が返ってきた。魔術師の普通なんてあてにならない、つまり、


「なんかこれだめそうだぞ!」


この時フェリシアノはデューア王国から遠く離れたバルシュミーデ王国にいた。迷った末に、折角だし戻ろう、とデューア王国に戻ることにした。折しもバルシュミーデ王国の第二王女がデューア王国の国王に嫁ぐということで、花嫁行列に先んじる形でデューア王国に向かった。


「うーむ、しかし、アルビノか......」


国に近づくにつれ、少しずつ情報が集まった。

レイの婚約者はアイリスといい、アルビノであった。フェリシアノ自身、魔術師に育てられたといえど、西の地の風習はある程度身についている。悪魔の生まれ変わりだとか呪いに熱中してるとか言われているし大丈夫だろうか、と心配になった。レイとの関係が微妙そうなこともあって、色眼鏡があったことは否めない。


「――あれ、なんか文章が柔らかいな」


3通目の手紙には近況が記されていた。新国王の即位、公爵配としての職務。婚約者が可愛いこと。さらりと惚気が混じっていて、フェリシアノは一瞬目を疑った。


「関係改善したのか......? 婚約者と相思相愛とか......?」


フェリシアノは何度か手紙を読み返した。にこりともしない弟子が、雪のように真白の髪、ルビーのような瞳、とかいう詩的な表現を書くなんて、ちょっと信じられなかったので。


「まあ、百聞は一見に如かず、か」


国王夫妻のパレードの後、王宮の庭園が解放された。レイは、と探して、すぐに見つけた。バルコニーに立っていた。隣に佇むのは婚約者であろう。髪が真白で、手紙にかいていたように雪のようだ。

ふたりは何かを話しているようだった。近づいた口元はどちらも弧を描いている。

――あぁ、レイ。お前はそんな風に笑えるんだな。

よかった。魔力暴走を起こさせないようにと言い続けた言葉が、枷になっているのではないかと思っていた。


「――幸せになったんだなぁ、レイ」


今、婚約者の隣に立つレイは、心底嬉しそうだった。魔力制御も完璧で、誰も傷つけることなく感情をあらわにしていた。


「――よかったなぁ」


フェリシアノの口角は、自然と上がっていた。

魔力分けやがれ、と悔しい気持ちもあるし、自分の前で笑ってくれないだろうと少し寂しい気持ちもあるけれど――それでも今は、心から弟子を祝福できると思った。


「でもよう、少しは師匠にも慈悲をくれよう!」


天才的な魔術の才能に、家柄に、可愛い恋人だなんて。

何一つ勝てないなんて、それはちょっと老骨に堪えるぞ、とフェリシアノは目を細める。

視線の先で、若い恋人たちは啄むようなキスをしていた。



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