第五話 魔導具

「……驚きました」


そうですよね、と深々と肯定の意を示される。珍しく感情が乗った声である。


「何をどうしたら、あなたがその状態になるのでしょうか」


アイリスはレイを繁々と眺める。埃と汚れと血に塗れたレイは、面目ない、と頭を下げる。その後ろに、魔導具と羊皮紙と本が至るところに散らばり、足の踏み場も存在しなさそうな、レイの自室が見えた。



***



月の終わりに、アイリスは再びサザーランド辺境伯家の王都邸宅を訪れた。普段ならば初老の執事長が出迎えるはずが、何やら邸が慌ただしく、現れたのはメイド長だ。はて、と首を傾げつつ案内されたのは、客間ではなく、婚約者の自室である。


「申し訳ございません。坊ちゃまは離れで不眠不休で魔術開発をしておられたのですが、こちらに戻ってきた際に、寝惚けて客間を吹き飛ばして負傷してしまったのです。折角だから模様替えもしようということになりまして、今日は客間でなくて、坊ちゃまの自室に案内させてもいただきます」


色々と突っ込みどころがあったように思うが、面倒なのでやめておいた。


「坊ちゃま。婚約者様がいらっしゃいました」


ドンガラガッシャン、と派手な音が部屋の中から聞こえ、程なくして扉が開けられた。


「坊ちゃま。そんな格好では失礼ですよ。きちんとなさいませ」

「身なりよりも手当を」

「乳母。二の姉上の部屋の治療箱を出しておいてくれ」

「......畏まりました」


若いメイドをひとり残して立ち去るメイド長を見送ってから、アイリスは、呟く。

――驚きました、と。


話は冒頭に戻る。


「普段は離れで暮らしていると手紙に記されていたように思うのですが、この部屋の散らかり具合は如何なることでしょう」

「使えない魔導具や羊皮紙を押し込めておりました。触れると爆発する危険性があるため、使用人は立ち入らせておらず……結果この惨状です」

「なるほど、理解いたしました。こちらにいらしてください」


レイは大人しく部屋から出てきた。その頬にも、小さく切り傷がある。アイリスはハンカチを取り出すと、背伸びをして血を拭った。


「魔術の開発に勤しまれるのは結構ですが、ご自分の身の安全を優先してくださいませ」

「申し訳ありません」

「手当をお受けください。わたくしは、どこかお邪魔にならないところでお待ちしております」

「.....では、姉の部屋に参りますので、ついてきていただけますでしょうか。今は殆ど使われておりませんが、職業柄、手当の道具は大量に置いてありますので」

「承知いたしました」


アイリスはレイに付き従って廊下を進んだ。会話はなかった。



***



レイがメイドに手当されている間、アイリスはずっと黙って外を眺めていた。何か言葉を掛けた方がいいだろうと頭では分かっているのに、紡ぐ言葉を見つけられなかった。手当が終わると、レイはアイリスを見つめたが、アイリスは微動だにしない。


「――お怒りなのでしょうか」

「.......」

「きちんとした恰好でお出迎え出来なかったことをお詫び――」

「そんなことに苛立っているのではありません!」


アイリスは声を荒げ、そんな自分に驚愕した。人の言葉は遮らない、大きな声を出さない。そんな初歩的な礼儀作法を忘れたのは、幼児の時以来だ。


「では、何にお怒りなのでしょう.....?」

「あなたが、あなたがご自身を大切にしないことに苛立っているのです」


レイは目を丸くした。小さく開かれた口からは、何の言葉も出てこない。

宴の時と真逆だ。あの時は、レイが怒ったのではなかったか。こんな風に、傍目にも露わな怒り方ではなかったけれど。


「わたくしは、あなたが魔術開発をすることは喜ばしいことだと思います。あなたの天賦の才をこれほど生かせる場所など、そうそうありません。ですが――ご自身の安全を第一に考えてくださいませ! 先程、どれだけわたくしが驚いたとお思いですか!」

「......申し訳、ありません」


アイリスは大きく息を吐く。


「......ご迷惑をおかけするのなら、お頼みしませんでした」

「迷惑ではありません。いずれ、部屋も整理しなけれなならないと思っておりましたので」

「......そうであるならば、よいのですが」

「ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません。今後は安全に留意いたします」

「お願いいたします」


何をしているのだろう、とアイリスは心の中で自問する。相手は婚約者とはいえ、いつかアイリスを殺す男だ。何故その身を案じるのか――アイリスは思考を停止する。情は不要だと教わって育った。足枷にしかならぬと知った。なればこそ、自分が他者に情を抱くことは許せなかった。


「……何故お笑いになるのです」

「失礼しました。公女さまは眉根を寄せていらっしゃっても可愛いらしいと思いまして」

「……は!?」


思わず意味を成さぬ声が喉から飛び出した。

可愛いという形容詞は、アイリスにとって最も遠いものだった。忌まわしきこの色彩を持つ限り。


「ご不快にさせてしまいましたか?」

「不快では、ありません、けれど」


アイリスが心の底からレイの目の機能を心配していると、レイは花のように美しく笑った。アイリスは目を逸らす。


「……移動致しませんか。長く姉君の部屋に留まるのは気が引けます」

「あぁ、そうですね。では、離れにご案内いたします――狭く汚いところですが、どうかご容赦ください」




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