第二話 ジャンクヘッド
下の喧騒が嘘みたいだった。
騒がしく、鉄と欲望が入り混じっていた階層を抜け、エレベーターの扉が開いた瞬間、世界の音が全部消えた気がした。
白。
それ以外の言葉は特に出てこない。
まっすぐに伸びる白亜の廊下。
壁も天井も、磨かれたガラスのように滑らかで、
靴底が床を叩く音だけが、この空間の存在を証明している。
無機質な静寂。
窓も扉も、装飾もない。
ただ、白。
まるで何かの検査施設か、神経を削ぐための礼拝堂か。
どっちでも通りそうな無表情な空間を、俺は一人、歩き続けた。
突き当たりに、電子扉がひとつ。
無機質な銀の板。
前に立つと、「プシュ」と気圧の抜ける音を立て、静かにスライドしていく。
まず目に入るのは、部屋の中央に据えられた円形テーブル。
艶やかなガラスの天板が、光を受けて鈍く輝いている。
周囲には十三脚の椅子。
だが、座っているのはひとりだけだった。
その人物は腕を組み、俯いたまま微動だにしない。
沈黙。
しかし、俺の足音に反応したのか、ゆっくりと顔を上げた。
――キュイン。
小さく駆動音。
金属が擦れるような響きが空気を震わせる。
赤い一点の光が、こちらを射抜いた。
頭部全体が円筒状の義体構造。
中央に走る溝の奥で、単眼のモノアイが赤く輝いている。
感情の感じられない、まさしく“機械”のような光。
その手元から覗く指は、旧式の圧力駆動型。
スムースジョイントや軽量素材が主流の今じゃ、骨董品みたいな代物だ。
軋むたびに空気を震わせる、鉄の擦過音。
義体世代でいえば、数世代前の“レガシー”。
あえて新しい機構に換装しないあたり、よっぽどの頑固者か、はたまた。
だが――その“頑固者”は、《エラディカータ》の中でも最古参の幹部だ。
誰も本名を知らない。
百年以上稼働しているとも言われる、伝説のフル義体者。
通称《ジャンクヘッド》。
俺が一歩踏み出すと、あいつのモノアイが微かに明滅した。
まるで、笑っているみたいに。
「……相変わらず、古いタイプ使ってるみたいだな」
俺の言葉に、機械の頭がわずかに傾く。
「質実剛健、と言ってもらいタイナ。最新式は繊細すギル」
声は金属を擦るような低音。
発音の端が時折ノイズを挟み、まるで壊れたスピーカーみたいだった。
肩を竦めると、赤いモノアイが一瞬だけ強く光った。
ソレが彼の笑いだと、分かるやつは多くはない。
空気がわずかに緩んだのを肌で感じた。
「で、“抜け番”に何の用だ?」
俺はテーブル脇の椅子をひとつ引き、勝手に腰を下ろした。
本来なら席順が決まっているはずだが、そんなことはどうでもいい。
今は“会議”じゃなく、“用件”の時間だ。
硬い音を立てて座面に体重を預けると、向かいのジャンクヘッドがゆっくりと顔を上げた。
赤いモノアイが一瞬だけ明滅し、機械音声が低く響く。
「……ウム。依頼という形で呼び出して、済まないんダガ。修理依頼──というわけではナイ」
金属質な発音が、白い壁に鈍く反響した。
まぁ、予想はついていた。
わざわざ俺を呼び戻すほどの修理なんて、まずあり得ない。
組織には腕の立つ技術屋が山ほどいるし、連中の手に負えない代物があったとしても、俺に回すより“無かったこと”にする方を選ぶはずだ。
そういう現実主義の連中だからな、エラディカータは。
だからこそ──この呼び出しが、ただの雑談で終わるはずもない。
俺の沈黙を肯定と取ったのか、ジャンクヘッドが再び口を開く。
駆動音が「ギィ」と鳴り、歪んだ音声が続いた。
「ついこの間ダガ、随分と“上”で暴れていたみたいじゃナイカ」
やっぱり、それか。
上層での件──チップがらみでのヴィーラ社との一件。
別に隠してはいない。ある程度の情報は"裏"でも伝わってるはず。
「まぁ、それはイイ。私たちもキミの活躍を聞いて喜んでいたよ。特に“二番”と“十三番”がネ」
嫌な名前が出た。
世話になった上役と、俺の後に入った後輩。
脳裏に、あのやかましい笑い声がよみがえる。
思わず顔をしかめると、ジャンクヘッドがわずかに肩──いや、上半身の装甲を揺らした。
「フッフ。大丈夫。二人は今、別件で“外”だ。キミに会えないのを残念がっていたガネ」
“外”──つまり都市外か。
まぁ、今ここで鉢合わせしないだけマシだ。
厄介な再会劇は、正直ごめんだ。
「さて……本題ダ」
ジャンクヘッドの声が、ひときわ低くなった。
機械仕掛けの指が、ガラス天板の上で「カチリ」と音を立てる。
「君が“上”で暴れていた件に、少々関係する事なんだガ……これを見てほシイ」
そう言って、机の下に隠れていたスイッチを押す。
――ギギ……
彼の背後の壁が、ゆっくりとスライドしていく。
内部から、薄青い光が漏れた。
何かの照明、いや……違う。
壁の奥に並ぶ、十本近い透明のカプセル。
円柱状のガラスチューブの中に、青く発光する溶液が満たされている。
ぷくぷくと気泡が立ち上り、部屋の空気に淡い光を反射させていた。
中に、浮かんでいる。
――人間だ。
幼い少女から、二十代前後の女まで。
年齢も顔立ちも微妙に異なるが、すべて同じタイプに見える。
細い手足、透けるような肌、頭髪は剃られているのか、ツルリとしているが、切り取ったような線が一本真横に走る。
閉じられた瞼の下のまつ毛が、液の流れに合わせてゆっくりと揺れた。
口元がわずかに開き、そこから小さな泡が浮かび上がる。
冷たい溶液の中で、生きているのか死んでいるのかも分からない。
空気が冷えたように感じた。
心拍の音が耳に響く、鼓動の拍は変わらない。
「……趣味の悪い展示だな」
思わず、ぼそりと声が外に出た。
ジャンクヘッドは、その言葉を拾うこともせず、機械的に続けた。
「知っているダロウ? 君が前回の件で関わった女──“セシリー・レインブルグ”の、クローン体だヨ」
無機質な声が、広い部屋に落ちる。
光の粒が、青い溶液の中を漂っていた。
そのたびに、少女たちの肢体が揺れ、まるでこちらを見ているように錯覚する。
静寂の中聞こえてくるのは、カプセルから立ちのぼる気泡の音と、ジャンクヘッドの駆動音だけ。
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