第二十話 おまけの報酬の中身

 身支度――といっても、大したことはしない。昨日の続きのようなもんだ。

 小口径のホルスターを装着し、皺の残るジャケットを羽織る。

 パンパン、と軽く叩いて形を整えながら袖を通すと、少しだけオイルの匂いが鼻をくすぐった。


 ま、男の服なんてこんなもんだろ。


 鏡なんて見る気も起きない。どうせ顔を作る仕事じゃない。

 ただ、動きやすくて、撃てればいい。


 テーブルの上には、昨夜ノクターン・ヴェールから持ち帰ったオードブルの残りがあった。

 冷えたままのチーズとピクルス、少し湿ったクラッカー。

 腹が減っていたわけでもないが、口寂しさにひとつつまんで放り込む。

 ……ん、まぁ悪くない。高級な店の味ってやつは、冷めても上品にまとまってる。

 モグモグと咀嚼して、炭酸水の残りで流し込む。


 空になった容器をまとめ、ダストボックスに放り込む。

 小さく“ガラン”と音がして、部屋に静寂が戻った。


 ドアとシャッターを開けると、むわっとした下層特有の空気が顔にまとわりつく。湿り気と鉄臭さ、そして古い排気ガスの匂い。

 上層とは違う、下手したら顔をしかめるような匂い、それでも、この匂いを嗅ぐと「ああ、帰ってきたな」と思えるあたり、俺もすっかりこの街の住人だ。


 通りにはまだ人影がほとんどない。

 朝の時間帯、働きに出る連中が入れ替わる前の、妙に静かなひととき。

 遠くでジェネレーターの唸りが低く響いている。


 車庫へ向かう途中、壁にめり込むように設置されたベンダーマシンが目に入った。

 外装は鉄格子でがっちりと囲われ、表面のパネルには無数のひっかき傷。ここ下層じゃ、こうでもしなきゃ一晩で持ってかれる。


 朝の一杯が飲めなかったからな、なんか無いか見てみるか。


 格子の隙間からラインナップを覗く。

 いつもの缶コーヒーは売り切れ表示。代わりに、新商品の文字がやけに目を引いた。


『禁断の味! 飛ぶぞ! エスプレッソ』


「……ネーミングセンスどうなってんだ」


 思わず呟く。だが、そのふざけた文言に妙な惹かれを感じ、結局購入ボタンを押していた。

 掌を支払いパネルに押し当てると、ピッという音と共に認証が走り、内部の機構が唸りを上げてガコンと音を立てる。 


 落ちてきた缶を拾い上げて眺める。黒地に金文字、どっかのおっさんの顔のマーク。

 ……見た目からしてぶっ飛んでんな。

 苦笑しながら指先で転がし、プルタブを開ける音がカシャンと響いた。

 香りは濃いが、どこか人工的な甘さが鼻につく。


 缶を片手に、車庫へと足を進める。

 扉を開くと、昨日のドンパチがまるで夢だったかのように、俺の愛車ロードステラ・ルージュが静かに佇んでいた。


 磨き上げた紅いボディは、薄暗い車庫の光を鈍く反射し、まるで眠る猛獣が薄目を開けてこちらを見ているようだ。

 何も言わずとも、エンジンが起動を待っている――そんな気がした。


「おはようさん、昨日は随分働かせちまったな」


 缶コーヒーを一口。

 苦味とケミカルな甘さが喉を焼く。 

 うん、良く分からんが、確かに“飛ぶ”味かもな。


 俺は笑いながら、愛車のボンネットを軽く叩いた。




 * * *




 車のエンジンが低く唸りを上げ、振動が足元から腹の底へ伝わってくる。

 こいつの重低音は、他のどんな音よりも落ち着く。まるで街の雑音を全部押し潰してくれるみたいだ。


 さて、とりあえずコルドーのところだな。


 ハンドルを片手で軽く叩きながら口の中で呟く。

 昨日は徒歩で向かったが、今日は違う。どうせこの後、あちこち動くことになる。

 それに――確認しておきたい“ブツ”もある。


 ジャケットの内ポケットを探り、金属光沢を放つ一枚のメモリーチップを取り出す。

 掌の上で転がすと、チップ表面のホログラフ刻印が光を反射した。

 セバスチャンから渡されたもの。例の、報酬とは別の“おまけ”だ。


 さて、どんなお宝が眠ってるかね。


 運転席脇のインターフェーススロットにチップを差し込む。

 すぐにダッシュボードのホロユニットが起動し、青白い光のパネルが浮かび上がった。

 この車は完全スタンドアローン仕様だ。外部アクセスも遠隔ハッキングも一切通さない。

 仮に暴走しても、俺が“修理”すれば済む話だしな。


 数秒の読み込み。

 短い電子音とともに、ホログラムの奥から音声が再生された。


『……これを聞いているということは、無事に娘の治療に目途が立ったということらしいな』


 低く、よく通る声。

 一度聞いたら忘れない――あの重み。ゴードン・レインブルグだ。


『会った際にも伝えたが、娘の治療の件はルシアからの依頼。そこに父たる私でさえ、口を挟むつもりはない。だが、それでは私の気もすまん。有難迷惑かもしれんが、君を狙い、監視している企業、個人、団体について、こちらで調べた限りをリスト化して送る。現時点のモノなので、情報の精度は変わるかもしれんが、少なくとも――間違いは、ない』


 重い声の余韻が、車内の空気を震わせた。

 ……俺を監視、ねぇ。流石にどこの誰かなんか全部把握してなかったからなぁ。

 というか、この情報を持ってるってことは、レインブルグでも俺を探ってたんでしょ?

 いいけどさ。


 まぁ、今さら驚きもしない。

 この街で“何でも直せる”なんて噂を立てれば、どこも黙っちゃいない。

 こうして一覧をくれるとは、ありがたいね。


 ホロパネルには、リスト化された企業と個人情報がぎっしり並ぶ。

 上層の財閥、軍需系企業、政治家、マフィア、果ては警察機構まで。

 中には見知った名前も少なくない――コルドーのところの組織名も当然のように並ぶ。


 片手でハンドルを握り、もう片方の指でホロパネルをスライドしていく。

 車窓の外では、下層の街並みが流れていく。

 濁ったネオンの揺らめきと、道路のホログラム標識がフロントガラスに反射して、車内を淡く照らす。


 その中に、ひときわ目を引く名前があった。


 ――ヴィーラ社。

 その下に記載された人物名。


 オラフ・カーヴェル……第二技術局長。


 指先でその名をピン、と弾く。


 ホロ表示が拡大し、顔写真と共に現住所、所属区画、通信履歴、出入りする施設の記録までが詳細に並ぶ。

 まるで、いつでも“狩りに行け”と言わんばかりの精度だ。


 ……ゴードンさんよ。あんた、やるじゃねぇか。


 にやりと口角が上がる。

 愛車のエンジンが、その笑いに呼応するように低く唸った。

 アクセルを踏み込み、車体が街を切り裂くように加速する。


 赤い残光が都市の喧騒に再び飲み込まれていった。

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