第四話 小奇麗な女の依頼
右の掌の中で、ピンポン玉ほどの球体を二つ、カチカチと音を立てぬように転がしながら帰路を歩く。
昼過ぎになったせいか、日雇い連中の姿はほとんど消えて、通りは心なしか閑散としていた。
──静けさといっても、この街の場合は「死臭の少ない時間帯」って意味だがな。
今日は結局、目当てのタルトにはありつけなかった。
代わりに見つけたのはジャンク屋で売ってた小型EMP手榴弾。手のひらにすっぽり収まるサイズの割に、半径十メートルは機能を潰せる優れものだ。値段も手頃だったし、いざって時の保険には悪くない。
そういや「ピンポン」って競技、この街にあったかどうか……。
バーで見たのは、トンデモ改造人間がラケットの代わりに義肢で打ち合うスポーツレース。結局は賭け事のネタにしかなってなかったな。
「……まぁ、今度気が向いたら見てみるか」
つぶやきながら、角をひとつ曲がる。
視界に飛び込んできたのは、見慣れたシャッター付きの我が家兼作業場──のはずだった。
だがその前に、不釣り合いな人影が立っていた。
女だ。しかも、この街じゃ場違いなくらい小綺麗な恰好。
時折シャッターを軽く叩き、何かを呟いている。その合間に、ビクビクと周囲を伺っている。
「……よくまぁ、無事でここまで来れたもんだ」
この自由自治区じゃ、あんな格好は格好の標的だ。
攫われるならまだマシな方で、運が悪けりゃその場で“解体ショー”が始まってもおかしくない。
なのにまだ立っていられるのは──周囲の連中が、俺の関係者だと勘違いして手を出してないからだろう。
俺自身は、まったく知らん顔なんだが。
まあ、あのまま放っておくのも寝覚めが悪い。
仕方ねぇ、声でも掛けてやるか。
「おうい、何の用だ」
俺の声に、女がびくんと肩を震わせた。
振り返った瞬間、可愛らしい悲鳴が空気を裂く。
「ひ、ヒヤァっ!」
そのままガタガタと跪き、両手で頭を抱え込む。
「……おいおい」
思わずため息が漏れる。
本当に、どうやってこの街の雑踏を抜けてここまで辿り着いたんだか。
奇跡みたいな話だ。
「こんな往来でしゃがみ込んでんじゃねぇよ。……で、なんだ、修理屋に用事か?」
ぶるぶると震えている女に軽く声を掛けつつ、ポケットから鍵を取り出してシャッターを開ける。
ガラガラと鉄板の擦れる音が路地裏に響き、巻き上がる埃が鼻をつく。
シャッターが収納されるのを確認しながら、扉の鍵もガチャリと外した。
「うちに用だってんなら、とりあえず入れ。そうじゃねぇなら、さっさと帰んな」
改めてそう告げると、女はビクリと体を震わせ、ぱっと顔を上げた。
言葉を探すように口を開きかけ、逡巡し、結局は黙り込んで立ち尽くす。
……頭の上には、分かりやすい吹き出し。
《こ、この人が“あの”修理屋さん! ど、どうしよう……来てみたはいいけど……こ、殺されちゃわないかな!》
……おい。
俺はそんな物騒な人間に見えてんのか。いや、否定しきれない気もするが。
「……用はなさそうだな。じゃあな」
そう吐き捨てて扉を閉めようとした、その瞬間。
「ま、待って! す、すみません! 用事、あります!」
縋るような声とともに、女が慌てて詰め寄ってくる。
ふわりと漂うのは上物の香水。嫌みにもならず、自然に馴染んでいる。普段から使い慣れてる匂いだ。
「……ええい、分かった分かった。とりあえず話は聞くだけ聞いてやる。だから少し離れろ」
軽く手を振り、距離をとらせてから中へ招き入れる。
ジャケットを脱ぎ、壁に掛ける。
手で遊んでいたジャンクの小型EMP手榴弾を、ゴトリと作業机に置いた。
椅子に腰を下ろすと、シュウンとエアサスペンションが沈み込み、体を柔らかく支える。
向かいにある客用の一人掛けソファを指で示すと、女はおっかなびっくり腰を下ろした。
改めて観察する。
キャスケット帽を深くかぶり、小綺麗といってもパンツスタイル。多少は場違いを自覚しての対処だろう。
だが、肌はきめ細かく、荒れひとつない。手先も同様。帽子の隙間から覗く銀色の髪はキューティクルが光を弾き、磨かれた金属みたいに艶めいている。
化粧は薄く自然。水商売の女特有のけばけばしさは感じられない。
唇はきゅっと結ばれ、先ほどの慌てた声で見えた歯並びは整っていた。
……どう見ても、上層の人間。
しかも育ちのいい家の嬢さん。
まったく、なんでそんなのが女一人で、こんな場所まで来てやがるんだ。
心の中で舌打ちする。
やれやれ、と息を吐きつつ、腰を落ち着ける。
仕方ねぇ。話だけは聞いてやるか。
「さて……で、用事ってのはなんだ」
俺は作業机の下に置いた小型の冷蔵庫を開け、水のボトルを二本取り出す。一本は机に置き、もう一本を女に向かって軽く放った。
慣れない手つきでワタワタと腕を伸ばし、何とかキャッチすると、大きく安堵の息を吐いている。
……ううむ。やっぱ場違いな人種だな。
「お、お水……ありがとうございます」
おずおずと礼を言い、タブを外して一口含む。
喉を潤したせいか、ようやく呼吸が落ち着いたらしい。俯いたまま、ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「……妹の事です。体が弱くって。遺伝子治療も受けたんですけど、それでも障害が残ってしまって……」
俺は腕を組みながら聞く。
──よくある話といえばよくある話だ。
ただ、こっちじゃそんな子供が生まれた時点で“どっかへ行っちまう”のが常。
生き延びてるってこと自体が、上層の連中ならでは、ってやつだ。
「それで、途中から悪い部分を義体化していきました。今は……体の半分が機械なんですけど、それでも、不自由のない生活はできていたんです」
そこまで言ったところで、女の目尻に小さな涙が滲む。言葉を区切り、深呼吸をひとつ。
「でも、ある日……治療用のアップデートチップを入れたら、急に体がおかしくなって。それで……無理やりチップを抜いたら、何とか命は助かったんですけど……体がズタボロになってしまって。知り合いのお医者さんも、技師の人も、『これは治せない』って……」
最後の言葉は震え声になり、ついに女は声を殺して泣き出した。
握りしめたボトルが、べコリと凹んだ。
……さっき引き渡したチップ。コルドーの野郎、「上層からの流れモンだ」なんて言ってたな。
まさか、とは思うが。
女は涙を拭い、顔を上げた。
「それで……ここの修理屋さんなら、何でも直せるって噂を聞きました。だから──お願いします! 妹を……セシリーを治してください!」
懇願するように、両手を握りしめて俺を見つめてくる。
銀髪に滲んだ涙が光を反射し、妙に痛々しい。
「……ちなみに、そのチップは今も残ってるのか?」
俺の問いに、女は首を振った。
「いいえ……本当は、あのチップを証拠に原因を調べて、訴えも起こそうとしたんです。でも、気づいたらなくなっていて……治療の混乱のときに紛失したのかもしれません」
治療のゴタゴタでたくさん人が出入りしてましたから。
そう言ったあと、何かを思い出したようにポケットを探り、端末を取り出した。
「あ……でも。治療の時に取り出したチップの画像ならあります。妹の状態と一緒に記録しておいたんです。何か役に立てばと思って……」
端末の画面を差し出してくる。
そこに映っていたのは──爛れて歪み、焦げついたチップ。
俺がコルドーに渡したばかりの“修理前”と寸分違わぬ姿だった。
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