13話 覚悟

 俺は、王宮に帰ると、一目散に自室へと戻った。扉をバタンと開け、ゆっくりとソファーに座り込む。


 執事であるセルバは、そんな俺に何も言うことなく、コーヒーを注いでくれた。セルバが、俺の前に、ゆっくりとコーヒーを置く。ほろ苦い香りが、ゆるやかに鼻の中に溶けていく。


「坊ちゃん、今日は一段とお疲れの様子で」

「あぁ、色々あってな」


 眼鏡の奥からやわらかな目で、セルバは俺を見つめる。俺は装飾が施されたカップを手に取ると、コーヒーをゆっくりとすすった。


 穏やかな、甘い味がする。


 疲れている俺のために、ミルクを少し多めに入れてくれたようだ。


 俺はコーヒーを飲む手を止め、セルバの方に目を向ける。彼は掃除をしていたが、こちらの視線に気づくと、不思議そうに、俺を見つめた。その眼差しは、ひどく柔らかなものであった。俺は、口を開く。


「なぁ、セルバ。もし、どうしてもやりたくないことをしなきゃならない時、お前ならどうする?」

「……、そうですね」


 俺がセルバにそう聞くと、彼は目尻を押さえ、考える仕草をした。セルバが、深く息を吸う。そして、俺の方に向き直ると、ゆっくりと、されど、強く噛み締めるように言った。


「長年、王家に仕える中で、私も時たま、やりたくない仕事をさせられることもあります。その時、私は決まってこう思うようにしています」


 俺は、コーヒーをすする。


 ほんのりと温かなコーヒー。


 フーフーと息で冷ましながら、冷たいコーヒーカップを唇に当てる。セルバの穏やかな声が、熱を帯びた。


「私は、組織の歯車に過ぎないと」

「歯車?」


 俺が尋ねると、彼は微笑みながらうなずいた。


「ええ。私がどんな行動をしようと、何も変わることはない。でも、もし私がしなければ、その嫌なことを誰かが必ず代わりにしなければならなくなる、と。そう思うと、嫌なことでも少しばかりやろうと思えるものです」

「『誰かがやればいい』、そうは思わないのか?」


 俺の質問に対して、セルバは朗らかな笑みを浮かべ、優しく答えた。その声には、長年生きてきた人間の深みがあった。


「誰かが嫌な思いをするくらいなら、このじいはその重みを肩代わりしますよ。それに……」

「それに?」

「私は私のせいで、誰かが嫌な思いをすることに耐えられない、弱い人間ですので」


 セルバの顔に、暗い影が立ち込める。が、すぐに、いつものにこやかな表情に戻った。セルバが、今までの口調と変えて、どこか面白がるように言う。


「ところで話は変わりますが、仕事でお疲れの坊ちゃんに元気を出していただこうと、リリアーナ殿下もお呼びしておりますよ」


「お兄様ー!!」

「リリアーナ!?」


 リリアーナが、俺のところへと駆け寄る。


 俺は突然飛びついてきた妹にたじろぎつつも、ぎゅっと抱きしめた。


 その身体は、思ったよりも小さく、そして、弱かった。


 まだ幼いこの少女に、俺と同じ重荷を背負わせてはいけない。才能に恵まれているとはいえ、まだ年端のいかない少女なのだ。


(俺も、この国の王子であり、そして、この子の兄でもあるんだ。腹をくくるか)


「お兄、さま?」


 上目遣いで、心配げに、リリアーナがこちらを見つめる。


「ごめん、リリアーナ。少し、行かなくちゃならないところがあるんだ」


 リリアーナのサラサラとした髪を優しく撫でる。俺は、セルバに軽く頭を下げると、まだ半分ばかり残っているコーヒーを机の上に置き、自室の外へと足を運んだ。


 セルバは、コーヒーカップを片付け、そして、俺の背中をゆっくりと見送った。


 



◇◆◇◆

 図書室。


 王宮の中にある暗い書架で、一人の青年がパラパラと書物に読み耽っていた。


 暗い図書室に差し込む半月の淡い光。物憂げな光は、青白い肌のその男を、幻想的に照らしていた。


 ドタドタ、タン


 男は、眼鏡を上げる。


 走ってきた俺に気づいたのだろう。ゆっくりと顔を上げ、その男はこちらを見た。



「リアム、なんのようだ? さっき帰ってきたばっかりなのに、そんなに慌てて」


「エリアス、最後の作戦を立てるぞ」


 その言葉を聞き、先ほどまで、熱心に本を読んでいたその男--エリアスは、持っていた本をパタッと閉じた。その口元には、にやりとした笑みが浮かんでいる。


「ようやく、自堕落王子の本領発揮というわけか。なら、この俺も手を貸さないとな」

「あぁ。この交渉、絶対に成功させるぞ」

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