折紙転生

いろは

第1話 紙1枚の異世界

 折原真人、32歳。独身、会社員。毎日が同じ繰り返しだ。朝の満員電車、残業続きのデスクワーク、そして帰宅後の唯一の楽しみ――折り紙。


 子供の頃から、紙を折るのが好きだった。鶴、龍、船。何でも作れる。緻密な折り目を入れるたび、心が落ち着く。今日も、疲れた体をソファに沈め、100均の折り紙を広げる。折ろうとしているのは、複雑な折り鶴。翼を広げ、尾を優雅に曲げる。完成した鶴を手に取り、ため息をつく。


「はあ……これが俺の人生か。せめて、この鶴だけでも飛んでくれりゃいいのに」


 そう呟いた瞬間、世界が揺れた。いや、揺れたのは俺の視界か? 鶴が光り輝き、手から滑り落ちる。次の瞬間、激しい痛みが胸を貫いた。心臓か? 過労の果てか? 意識が遠のく中、俺は最後に思った。


 ――飛べよ、鶴。俺の代わりに、せめて。


 ……。


 目を開けると、そこは見知らぬ森だった。木々が密集し、陽光が葉っぱの隙間から差し込む。鳥のさえずりが聞こえる。空気は新鮮で、土の匂いが鼻をくすぐる。俺は地面に転がっていた。服はいつものスーツのまま。ポケットを探ると、財布とスマホ……そして、なぜかあの折り鶴が握りしめられている。


「なんだこれ……夢か? いや、痛い。現実だろ」


 立ち上がろうとして、頭がくらくらする。記憶を辿る。鶴を折って、倒れて……。まさか、死んだ? 異世界転生? そんなバカな。俺は小説やアニメでしか知らないのに。


 周囲を見回す。道らしきものはなく、ただ深い森。遠くで獣の咆哮が聞こえる。ヤバい。スマホを起動しようとするが、電波ゼロ。バッテリーは満タンだが、無駄だ。財布もこの世界じゃ紙切れか。


「とりあえず、動くか。出口を探さないと」


 鶴をポケットにしまい、歩き始める。木々の間を抜け、足元に注意を払う。30分ほどで、開けた場所に出た。そこに、小川があった。水音が心地いい。喉が渇いていた。膝をつき、水をすくう。冷たくて、美味い。


 ふと、視界の端に異変。川辺に、少女が倒れている。金色の髪、純白のローブ。傷だらけで、息も絶え絶え。傍らに、血まみれの剣と、倒れた魔物らしき影。狼のような、角の生えた獣だ。


「人か!? 生きてる!?」


 慌てて駆け寄る。少女の顔は美しく、10代後半くらいか。額に汗、唇が青白い。脈を測る――弱いが、ある。応急処置を。知識はドラマで見ただけだが、止血を優先。ローブの裾を裂き、傷口に巻く。


「くそ、もっと道具が……」


 ポケットから鶴を取り出す。折り紙。役に立つか? 咄嗟に、鶴を握りしめ、祈るように呟く。


「飛べ。助けろよ、この鶴」


 瞬間、鶴が光った。紙の感触が熱くなり、手の中で膨張する。パッと開くと、そこにいたのは巨大な白い鳥――鶴の姿をした、翼長2メートルほどの幻獣。羽が輝き、鋭い目が俺を見る。


「え……マジかよ!?」


 鶴は鳴き声を上げ、少女の傷口に嘴を寄せる。淡い光が溢れ、傷が塞がっていく。治癒魔法? 少女の息が安定し、顔色が戻る。鶴は一仕事終えると、俺の肩に小型化して止まる。まるで使い魔のように。


「す、すげえ……これ、俺のスキルか? 折り紙が具現化するなんて」


 興奮が収まらない。転生特典? ハズレかと思ったが、こいつはチート級だ。鶴を撫でる。温かい感触。少女が目を覚ます気配がする。まぶたが震え、ゆっくり開く。青い瞳が俺を捉える。


「……あなたは、誰?」


 声は弱々しいが、凛としている。聖女っぽい雰囲気。ローブに十字の刺繍がある。


「俺は折原真人。えっと、通りすがりだ。君を助けたよ。いや、正確にはこの鶴が」


 肩の鶴を指す。少女の目が丸くなる。


「聖獣の鶴……!? あなた、神官様? いえ、こんな力……信じられない」


 彼女は体を起こそうとするが、痛みに顔を歪める。俺は支える。


「まだ動くな。傷は治ったけど、無理すんな。ところで、君は?」


「私はリリア。聖教会の聖女見習いです。この森で、魔狼に襲われて……。あなたが現れなければ、死んでいました。ありがとうございます」


 リリア。ツンとした口調だが、目が潤んでいる。感謝の色だ。俺は照れくさくなる。


「いや、たまたまだよ。ところで、ここはどこ? 俺、道に迷ってさ」


 リリアの表情が曇る。


「ここはエルドリア大陸の辺境、魔物の森です。近くに村がありますが、魔王の呪いで荒れています。私、教会の任務で薬草を探しに来たのに……」


 魔王? 異世界らしい設定だ。俺の心臓が早鐘のように鳴る。転生したんだ。本当だ。


「魔王って……ヤバいのか?」


「ええ、大陸全土を脅かしています。勇者様が現れるのを待つばかりですが……。あなたのような力をお持ちなら、きっと役立つはず!」


 リリアの目が輝く。俺は苦笑い。


「いや、俺はただの折り紙好きで……。まあ、鶴が使えるなら、試してみるか」


 リリアは頷き、立ち上がる。まだフラつくが、俺の腕に寄りかかる。柔らかい感触にドキリとする。


「一緒に村へ行きましょう。私の治療の礼に、宿を用意します。……それに、もっとあなたの力を見たいです」


 ツンとした言い方だが、頰が赤い。俺は鶴を肩に乗せ、頷く。


「わかった。じゃ、行こうか」


 森を抜け、村へ向かう道中、リリアは少しずつ話す。教会の話、魔王の脅威。俺は相槌を打ちながら、鶴を弄ぶ。次はどんなのを折ろう? 剣か? 家か? 可能性が広がる。


 しかし、村に近づくにつれ、空気が重くなる。煙が上がる。叫び声。リリアの顔が青ざめる。


「まさか、襲撃!?」


 村の入り口に、魔狼の群れ。村民が逃げ惑う。リリアが剣を拾うが、力及ばず。


「くそ……俺の出番か」


 ポケットから紙を取り出し、急ごしらえで折る。鶴の次は、剣。シンプルな折り紙剣。握りしめ、祈る。


「具現化しろ!」


 光が爆発。紙の剣が鋼のように輝く。刃渡り1メートル、軽いが鋭い。俺は構え、魔狼に飛びかかる。


 一閃。狼の首が飛ぶ。血しぶきが上がるが、俺の服は汚れず。魔法か? 次々と斬り伏せる。鶴も翼を広げ、風を起こして狼を吹き飛ばす。


「すごい……あなた、本当にただの旅人?」


 リリアの視線が熱い。戦いが終わり、村民が集まる。感謝の声。俺は息を荒げ、剣を解体。紙に戻る。


「まあ、運が良かっただけさ」


 リリアは俺の腕を掴む。


「謙遜しないで。あなたは英雄です。教会に連れて行きましょう。きっと、魔王打倒の鍵になる」


 英雄? 俺はただ、折り紙がしたかっただけなのに。村人たちに囲まれ、村の宿へ。リリアの隣で、夕食を囲む。彼女の視線が、時折俺をチラチラ見る。


「真人さん、ですよね。……あの、鶴の力、もっと教えてください。興味が……ありません、なんて言いません」


 ツンとした言葉だが、笑顔。俺の心が少し、温かくなる。


 夜、宿の部屋で一人。鶴を折り直す。次は馬車か。明日から、本格的な冒険だ。魔王打倒? 平和なスローライフ? 折り紙があれば、何でもできる気がする。


 ――この世界で、俺の紙一枚の物語が始まった。

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