第八話 接敵


 接敵地は、大黒ふ頭の奥まった場所にある倉庫らしかった。


 統一感のない集団が、ぼそぼそと話しながら暗い埠頭を進んでいく。

 ふと振り返ると、横浜ベイブリッジの幾重にも重なる橋梁が、まるで墓標が無数に立ち並んでいるかのように見えた。


「おじさんも、『バイト枠』ですか?」


 突然、後ろから声をかけられた。

 振り返ると、中学生? いや、高校生ぐらいだろうか、帽子をかぶった小柄な女の子が俺を下から見上げていた。


「ええ、まあ……。君も?」


「うん」と、彼女は小さく頷く。


「父の知り合いから紹介されて、試しに参加してみようかなって……」


「へぇ……」と、我ながら気の抜けた返事しかできない。


「ある日突然、変なものが見えるようになっちゃって。すごく嫌だなって思ってたら、ここを紹介されたの」

 そして、彼女は寂しそうに笑った。

「もし戦えるようなら、専門の機関で治療とか、今後の身の振り方とか、相談に乗ってくれるって言われて。……ほんと、やんなっちゃうよね」


 どうやらこの世界では、謎の組織が能力者を管理しているらしい。


「さっき説明してた子、あの子が勇者なんだって。それで、化け物たちと戦ってるの。すごいよね。……でもさ、信じられる?」


「あ、うん……えーと……」


 俺が曖昧に返事をすると、彼女はそれを待たずに話を続けた。


「なんかね、紹介してくれた人に聞いちゃったんだけど、状況はかなりヤバいらしいよ。今はまだこの程度だけど、そのうち世界中を巻き込む『大波乱』が起こるんだって。それも、すぐにでも始まりそうだって」


 俺が何を言っていいかわからずオドオドしていると、そんな俺の様子を見て彼女がクスリと笑った。


「私はサキコ。おじさんは?」


「ヤマ……ヤマさんって呼んでくれ」


「オッケー、ヤマさん! ヤマさんも大変だね、こんなことに巻き込まれちゃって」


 そして彼女は前を向き、フーッと一つ、ため息を吐いた。


 しばらく進んだところで、先頭を歩いていた勇者ちゃんがピタリと足を止める。

 そして、後ろを振り返ると「この中です」と唇の動きだけで合図した。


 どうやら、最低限のフォーメーションはあるようだ。さっき話していた脳筋男のトーマと勇者ちゃんが、錆びついた巨大な扉の前に立つ。その脇で、エリート男とキャリアウーマンが扉の取っ手に手をかけた。


 勇者ちゃんが小さく頷くのを合図に、二人が軋む音を立てて扉を開け放つ。


 直後、勇者ちゃんとトーマが、暗い倉庫の中へと吸い込まれるように消えた。


 俺もその後を追おうと一歩踏み出した、その時。

 くい、と強く袖を引かれた。


 振り返ると、サキコが俺の袖を固く握りしめていた。


「待って……ダメ。やられる……!」

 彼女がそう小さく呟いた瞬間、倉庫の奥から、先に入っていった者たちの絶叫が響き渡った。


 俺は、いてもたってもいられず、彼女の手を振りほどいて倉庫の中へと飛び込んだ。


 薄暗い倉庫の中。床はなく、凹凸の地面が剥き出しになっていた。破れた天井からは微かな月光が差し込み、舞い上がった土埃をキラキラと照らし出している。


 一見、幻想的にすら見えるその光景を、悪夢に変えているのが無数に宙を漂うケーブルだった。


 もともと、ここはケーブル置き場だったのだろう。だが今、それらはまるで意思を持った大蛇のように、うねうねと宙を泳いでいる。


「ひっ……!」


 後ろでサキコの悲鳴が上がり、振り返ると、彼女が恐怖に引きつった顔で天井の一部を指さしていた。


 視線をそちらに向ける。そこには、先ほどまでパーティの前衛にいた男女が、ケーブルに首を巻かれ、ぐったりとぶら下がっていた。


「本体は、真ん中にあるサーバーよ!」


 勇者ちゃんの声が響く。その声に反応したかのように、ゆらゆらと漂っていたケーブルの群れが、一斉に彼女へと襲いかかった。


 彼女は、いつの間にか手にしていた淡く光る剣で、それらを必死に打ち払っていく。


「トーマさん! サーバーを破壊して!」


「む、無理だ! 下手に手を出せば、こっちがやられる!」


 自慢の大剣『正五郎』を握るトーマの手が、わなわなと震えていた。


「チッ!」

 勇者ちゃんの舌打ちが、離れたここまで聞こえてくる。彼女は完全に防戦一方で、本体のサーバーまでとても手が届きそうにない。


 その時、サキコが俺の服を掴み、必死の形相で訴えてきた。


「ヤマさん! 早く、剣を出して!」


 剣?


「俺は剣なんて持ってないぞ」


「でも、見えるの! ヤマさんが剣で、戦うビジョンが!」


 そう言われても、俺には武器になるようなものなど何一つない。何しろ、昼間にアンジュに拉致され"会社帰り"にここへ来たのだから。


「……まずいわね」


 いつの間にか隣に立っていたアンジュが、静かに呟いた。


「このままだと全滅するわね」


 彼女はそう言うと、俺の肩に手を置き、ちらりと視線をよこす。


「いい? 手を前に出して、私の真似をして言いなさい」


「はい!?」


 俺が聞き返すより早く、腹の底の方からブワッと何かがこみ上げてくるような、熱い感覚に襲われた。


 それはまるで、強烈な便意が逆流して、一気に全身を駆け巡るような、不快で、それでいて強大な感覚だった。


「な、なんなんですか、これ……」


 アンジュは、戦場を冷静に見据えたまま答える。

「私は直接手が出せない。だから、『シン』の力の蛇口をひねった。……やるのは、あなたよ」


 そして、なぜか完璧な発音で「Repeat after me」と言った。

 俺は頷く。なぜ今、英語!? と思ったが、ツッコんでいる場合じゃない。


『我が名において命ずる。時を司るその意思に、我が今、干渉する』


 俺は、アンジュの言葉をたどたどしく繰り返す。

「わが名において命ずる……」


  そして、アンジュは最後にニッと不敵に笑うと、唇だけを動かして、最後の言葉を俺に伝えた。

 俺は前を向き、その言葉を紡ぐ。

 

 ──スロー・デセプション!

 

 なぜやっぱり英語?と思いながらも、俺の手のひらから、先ほどの熱量が光の奔流となって噴き上がるのを感じた。


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