お題【喫茶店のデザート】(2)
社会に出てから、社会は向いていないことに気が付いた。
二十年。さほど大きくもない商社に勤めた。
それなりに働き、それなりに給料を貰って。
働き始めてから十年ほどで、外国に憧れを持った。
簡単に旅費を出せるほど稼げている訳でもないので現地に行くことは終(つい)ぞなかったが。
レコードに興味を持った。
ジャンクショップで安売りされていたプレーヤーと数枚のジャズのレコードを買ってみた。
目を瞑(つむ)るとどこか別の国にいるようで、少しだけ気分が上がった。
十五年。
コーヒーに嵌(はま)った。
特段上手に淹(い)れられる訳ではなかったが、それでも自分なりに挽き方を変えてみたり、豆を変えてみたりと工夫をしてみた。
二十年。面倒を見ていた後輩が結婚の報告をしてきた。
今まで誰も呼んだことがなかったが、なんだか思い出話がしたくて家に呼んでみた。
近所のお菓子屋で買ったケーキを添えて、珈琲を出す。
褒めて、貰えた。
『美味しい』と、そう言って貰えた。
それが無性に、嬉しかった。
会社を辞める決心をした。
元々向いてなかったのと、人間付き合いに疲れていたのと、理由はいろいろ。まとめられない。
喫茶店を開こうと思った。
大通りから一本外れた道の途中に、小さな部屋を買った。
テーブル席は置けないくらいの、小さな小さな部屋。
カウンター席を作って、古くなったレコードプレーヤーを置いて。
一年掛けて改装を終え、看板を出す。
初月、お客様は三名。
後輩と嫁さん。それと元上司。
二ヶ月目、お客様は二名。
後輩とその同期。
三ヶ月目。客足は一気に増えて十五人。
四月になって環境が変わったからだろう。
その後も少しづつ増えながら、半年はそんな状態が続いた。
開店から七ヶ月。
不思議なお客様が来た。
如何(いか)にも仕事人然としたスーツのお兄さん。
九つ並ぶ椅子の三番目に座り、視線を彷徨わせて。
声を掛けられた。
『深い珈琲を、それと…』
ここで言葉を止める。
そして
『いや、珈琲ゼリーがあればそれをひとつ。お願いします。』と。
そしてそのまま目を瞑るお客様。
どうしよう。珈琲ゼリーは置いていない。
否。ない訳では無い。
個人的に嗜むために普段から作って置いているのだ。
しかしそれを提供する訳には………。
そんな思考が頭を過ぎる。
かと言って何も提供しない訳にもいかない。
仕方なく綺麗な器に珈琲ゼリーを盛り付ける。
未だに目を開かないお客様の前に静かに器を置き、そっとその場を離れる。
それから一分ほどして、目を開けてすぐに珈琲ゼリーを食べ始めるお客様。
動かす手が止まらない。
どんどん、どんどん消えてゆく。
不味くは無いようで安心しつつ、商品でもないものを出したお詫びに珈琲でも淹れようと席を外す。
いつもより上手く出来た珈琲に満足しつつ席に戻ると、誰もいない。
よく見ると、五千円札と書き置きがひとつ。
書き置きには
【ゴチソウになりました。お代置いておきます】
と書かれている。
暫し、考える。
おかしい。
商品でない珈琲ゼリーに五千円は、絶対におかしい。
店を飛び出しお客様を探すも、既にどこかに消えてしまっている。
朝から、胃が重い…。
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