お題【喫茶店のデザート】(1)

旧式のレコードから流れる知らないジャズの音(ね)と共に。

サイフォンが奏でる蒸気の音(おと)と共に。


無性に何かを口にしたくて。ひとり、現世(うつしよ)を忘れられそうな偶然通り掛かっただけの喫茶店に足を向けた。

綺麗、とか。静謐(せいひつ)、とか。

そんな『言ノ葉』では言い表せない様な。

不思議な場所、とかいう漠然(ばくぜん)とした感想しか浮かばない。浮かばせられない。


店内。テーブル席は、ない。

他に客の姿は見えないので、とりあえず奥から三つ目の椅子に腰掛ける。

メニューがない。あるのかもしれないが、見当たらない。

唯一、キッチンに立つ初老の男性に声を掛け注文をしてみる。


「深い珈琲を、それと…」

と。ここまで言ってふと思い至り

「いや、珈琲ゼリーがあればそれをひとつ。お願いします。」

確証はないが、きっと出てくる。そんな気がして暫(しば)し待つ。


遠い国の音楽に包まれながら目を瞑り、ひとりの世界に入り込む。

数秒。数分。はたまた数時間。

目を開ける。


眼前から珈琲の香りが漂うことに驚き、反面それを当然とも思っている自分がいて。

添えてある銀のスプーンを使い一口。

甘さを抑え込み、苦味だけでもない。そんな絶妙な味。

『どこがうまい』

と聴かれると返答には数時間掛かるだろう。

そんな味。


が、掬う手が止まらない。

一口、一口と掬い、食べるを繰り返す。

気付けば、器にはなにも残っていない。

唯一、深呼吸をすると珈琲の香りが鼻の奥を刺激する。


御馳走様。

と呟き腰を持ち上げ人影を探すも、見当たらない。


今更ながら店内を見回して、扉は入ってきた一つしかないことを確認する。

どこか、狐に摘まれたような、そんな気分になりながら荷物をまとめる。


そのまま店を出る訳にも行かず、暫し考えて財布から五千円札を一枚。

『ゴチソウになりました。お代置いておきます』と書き置きを残し、店を出る。


一歩進むと街の空気に戻り、先の出来事が幻だったのではないかと疑いの感情さえ沸きあがる。

後ろの扉が消えている──などということもないので仕方なく駅に向かって歩き始める。


値は張ったが、良いリフレッシュになった。

今日の私は、頑張れる。

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