番外編 3

 真琴視点


 ノートが、すっとこちらへ押し出された。

 ページの端が机をかすかに擦る音が、心臓の鼓動に重なってやけに大きく聞こえる。


 ――返事を書いてくれたんだ。


 指先が自然にノートへ伸びる。

 けれど、すぐにはページを開けなかった。

 緊張で喉が乾き、手のひらにじんわり汗がにじむ。

 開いた瞬間、そこに並ぶ言葉はもう消せない。

 それを読むことで、彼女の心に触れてしまう――そんな予感がして、指がためらってしまう。


 でも、待たせるのは失礼だ。

 私は思い切ってページをめくった。


 ……そこにあった文字を目にした瞬間、息が止まった。


『こんにちは。

 声に出して言うのは、ちょっと恥ずかしかったから……』


 たったそれだけの文章。

 けれど、一文字一文字が丁寧で、彼女の性格そのものが滲み出ていた。

 インクの線はすこし揺れていて、迷いながら書いたのだと伝わってくる。

 その迷いすら、私には愛おしく思えた。


 胸の奥がふわりと温かくなり、同時に頬が熱を帯びる。

「恥ずかしかったから」――その一文に、思わず唇が緩んでしまう。

 彼女も私と同じ気持ちだったのだ。

 声にするのは照れくさい。けれど、何かを伝えたい。

 その思いが、紙の上にこうして形になった。


 私はノートをそっと閉じ、指先で表紙をなぞった。

 胸の鼓動はまだ落ち着かない。

 隣の紗世に視線を向けると、彼女は机に頬杖をついたまま、わずかにうつむいている。

 耳までほんのり赤く染まっていて、こちらを見ようとはしない。


 ――かわいい。


 その言葉が、心の中で自然に浮かんだ。

 声に出すことはできないけれど、確かに胸の奥で芽生えた気持ち。

 私はそれを抱えたまま、次にどんな言葉を返そうかとペンを握りしめた。

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